全配信者は「スイカゲーム」を配信するべき(だった)
スイカゲーム、それはリスナーにとってこのうえなく甘い果実。しかし配信者にとっては、およそ悪魔の果実。なぜそんな答えにたどり着いたのか、筆者の主観3000%で記してみたい。
といったところだが、推しとて配信者。関わりはむしろ強い。記事にする意義大。
0.始めに
「なぜ二年前にリリースされた作品が今更?」
といった考察はすでに数多の有識者が記事にしているであろうがため、割愛します。というか、私もよく知りません。夏=スイカ、ぐらいしかわかんない。
もしここに、「今から初めてスイカゲームを配信する」とお考えの配信者が訪れたのならば、悪いことは言いません。今すぐこんな記事なぞ破り捨て、配信ソフトを起動し、直ちにスイカゲームを配信してください。
余計なバイアスが貴方の大切な「初めてのスイカゲーム配信」をふぁっきんしっとなものへと変化させる可能性があります。読まんでええ。配信しろ。
また、私もスイカゲームを楽しみたいがゆえに、動画攻略等一切チェックしておりません。その前提で記します。
記事タイトルの過去形は「流行っている今のうちに」という意味合いがあります。だから配信者はほんまに読まんでええ。今すぐ配信しろ!
1.ユーザーライク、同時にリスナーライク
当然その時々で変動はあるが、例えばFPSで言えば、概ねOW<VALO<APEXの順で同接が増える傾向にある。これは、そのどれもが未プレイのリスナーにとって、一目で「なにをしているかがわかりやすい」のが丸々順番に反映していると私は予想する。(実際私はそうでした)
スイカゲームとて同じ。まずルールのわかりやすさと、一目で状況がわかる単純明快な配信画面が、単に「夏=スイカ」で流行ったとは言えない協力な理由のように思う。
未プレイヤーでもルール理解度が早く、リスナーにとっては一目で状況把握しやすく、かつ1マッチも短い。これほど配信に向いたゲームもそうない。
つまり、同接が伸びやすい。
配信者にとって、これほどわかりやすい配信理由もないだろう。
2.どこからともなく現れるスイカリスナーたち
上記に連なるが、同接が伸びやすい理由は何もそのゲーム性だけではない。私が実体験した話、スイカゲームを鑑賞するとまた次のスイカゲームがサジェストされるのだ。
まるでその果物の進化の輪廻よろしく、リスナーもまた知らず知らずのうちにその輪に組み込まれてゆく。しかもこの一目でわかる配信状況。スイカが画面に現れようものなら、「む! これは3000点の気配!」と、どこからともなくリスナーも現れては、同接は目に見えて増していく。
流行している今だからこそ成立する、ただ配信をするだけでCMとなるその効力。私自身「こんな配信者おったんか」と膝を打つこともしばしば。なれば配信者もまた、今すぐ配信して損はないだろう。
3.「3000」という明確なボーダーライン
知識のあるものにはお馴染みだが、このゲームにはわかりやすく「3000点を超えられるかどうか」が一つのボーダーラインとなっている。
「スイカができるかどうか」でもなく、「スイカとスイカを合わせられるか」でもない。かといって、一つスイカを誕生させたところではまず3000には満たない。
この絶妙なボーダーラインもまた、同接増加の要因の一つ。一目で「今、面白いところかどうか」がわかるのだ。
たとえその配信者にまったく興味がないリスナーでも、YOUTUBEの場合、サジェストからマウスカーソルを数秒あてがうだけで瞬時に状況が把握できる。
「スイカが画面におる!」
「もうすぐ3000超えそう!」
「まさかのダブルスイカですか!?」
これもまた、流行極める今だからこその効能。いいから配信者はスイカゲームを配信しよう。夏が終わるその前に。
4.スイカという名の名刺
ゲーム性、点数もそうだが、何より面白いのがこのゲーム、まーじで配信者の人間性が透けて見えてくるのだ。
すでに様々なスイカゲームを渡り歩いてきたリスナーなら同意していただけるかと思いたいが、このゲームはシンプルが故に「どう場を繋ぐか」、初めてのスイカに対するリアクション、また攻略そのものに躍起になる配信者も少なくない。
わかりやすい例の一人をば。
理論値スイカゲーム、おもろい。
つまり、「その配信者が普段どんな配信をしているのか」が、ジャンルやスタイルに関わらず、このスイカゲーム一つでほとんど覗けてしまえるのだ。冒頭で述べたセンテンスの根拠がこれである。
当然配信者も千差万別。「こんなクソスイカくんだりで理解されてたまるか」と考える者もいるだろう。しかし逆に考えれば、スイカがアーカイブに一つあるだけで「私はこんな配信者です」という名刺代わりとなりうる可能性も。
この即効性は結構強い気がしている。実際にスイカゲームを通して「面白い配信者を発見できた」、また「推しの意外な側面が垣間見れた」、そういう体験をしたリスナーも少なからずいるのではなかろうか。
リスナーも配信者もWIN:WINな側面があるスイカゲームとは、もはや配信のために生まれてきたかのようなゲーム。そう言えるだろう。ならば答えは一つ。ええから配信さっさと配信しばくぞ!
5.貴方は3000を超えられるのか
冒頭「丸裸」の根拠づけ二つ目。
確かにたった一度の配信で3000を超えた配信者もいれば、秋こんにちはでも未だにスイカに囚われし配信者も存在する。
結局は配牌、つまりは運に左右される部分も多分にあるのだが、しかしその牌の切り方にもテクニックは確実に存在する。たとえまったく同じ配牌だったとして、配信者によって点数が異なる結果となるのは想像に易い。
要するに、「3000を超えられるかどうか」、また「3000を超えるまでにどれだけの時間を費やしたか」が、そのままその配信者のゲーム技量に直結するのだ。
これもまた、上記「名刺」となりうる根拠の一つ。とはいえ声を大にして言っておきたいのが、何も3000が超えれなかったとして、その配信者はけっしてゲームの下手糞な配信者、という裏付けにはならないということ。
上手くいかなかったら「配牌が悪い」で一旦片づけてしまえるのもまた、スイカゲームの懐深いところではなかろうか。そう考えたい。考えよ? 実際結構難しいよこれ。白雪レイドさんはマジですごい。さすが麻雀うまいだけある。逆にすべてのプロ雀士は今すぐ配信してくれ? 一体どうなっちまうんだ?
それでも3000を超えた配信者に一定の技量があることは疑いようもない。配信者はまず、そのボーダーを超えられるかどうかが一つプレッシャーとなり、リスナーは鑑賞するうえでの面白いポイントとなるだろう。これもまた、配信画面開いて数秒で把握できる=同接が集まりやすい点だ。
そのスイカは決して甘くない。しかし、おいしい。悪魔とわかってなお手を伸ばした数々の配信者たちに、私はリスペクトの拍手と同時に、こんな言葉も送りたい。
あんた最高だよ、サンキューな
でも、どうして配信しちゃったんだ?w
6.終わりに
リスナーからすれば、その配信者が普段どのような配信をしているかがゲーム一つでわかり、おまけにちょっとしたゲーム理解度、及び技量まで測れてしまえるのだから、知らない配信者でもついつい覗いてみたくなる魅力的な果実。
配信者からすれば、およそ丸裸にされてしまうわけだが、しかしスイカが画面に現れた途端に同接は伸び、期待と重圧、同時に次の配信への導線を瞬時に形成してしまえる、まさに悪魔の果実。
どこもかしこも同じゲームを配信しているのに、それでも配信者が流行りのゲームを配信する理由が、このスイカゲームには詰まっている。(いた)
あえて自ら競合他社に入り混じること。それもまた、配信者としての立派な生存戦略なのだろう。
一度観始めたが最後、サジェストに暫く居座る流行りのこのゲームは、とはいえそろそろ陰りも見せつつある。Summer Is Gone.さりとて秋にもハーヴェストあり。
しかしそれは同時に、リスナーもまた永遠に終わらぬ進化の輪廻に組み込まれたに同義。スイカゲームを覗く時、スイカゲームもまたこちらを覗いている。悪魔との取引を交わしてしまったのは、実のところ私のような阿呆リスナーなのかもしれない。
さぁ、次はどんなスイカを観ようカナ・・・
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