深夜の独り言
救ってくれるのは“人”だった。
自分では足らない脳みそでいくら考えても答えには至らない。
いや、答えなんてない。
自分が予想できなかった事象を、ひたすらに溜めていく。
新しい発見がある。
「画面」に捉われるな。
その数インチの鉄のかたまりに、期待してはいけない。
そういえば小さい頃から、
「寂しい」と言うのは苦手だった。
テストの点数も良くて当たり前。
親が帰るまでお利口に家でお留守番するのも当たり前。
「手をかけなくても何でもできる子」だった。
”人に頼るより、自分でやった方がはやいし。
人にわざわざ言うことじゃないし。
私のことなんて別にみんな興味ないよな。“
そんな感情を持っていた。
そして、「自分のことを誰も知らない環境に行きたい」という欲が自然とあった。
誰も私のことを知らず、誰にも干渉されない場所に。
そのお陰か、1人旅がこわくない。
1人で生きようとするのも、怖くない。
しかし
孤独は人を殺す。
誰しもが1人で生きられると思ったら大間違いだ。
自分を驕るな。
そこに人はいる。
助けられている。
誰かのおかげで今の生活がある。
こうやって文字を打てるのも、ジョブズたちのお陰だ。
毎日「あ゛〜」って変な声出しながら横たわるベッドを作ったニトリの人にも感謝だ。
どんなに1人ぼっちでも、帰る家があったのは親のお陰だし。
...と、そう思うしかない人間と人間の環境下に置かれている。
環境が違うだけで、当たり前が変わる。
急に無人島に辿り着いて、砂浜や大きな葉っぱの上で寝ることになっても、
地球の恵みに感謝するだろう。
そうなったら、大事なのは「人」がどうとかでなく、その環境にいかに”感謝“できるかということではないのか。
そう。「ありがとう〜」って思う気持ち。
そして常に、「当たり前を疑うこと」。
美味しい空気を吸って、綺麗な星空を見に行きたいなぁと思う6月になりたての深夜。
あまりに脳死だったので読み返すのが怖い。
おやすみなさい。
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