世界最後になる“かも”しれない日に何する?
世界の最後になるかもしれない日には何をしよう。
大切な人と過ごす?炊事洗濯掃除?シェルターづくり?身辺整理?豪遊?犯罪?お世話になった人たちに感謝を伝えて回る?神に祈りを捧げる?色々ありますが……
「世界」は文脈に応じてそのニュアンスや意味合いが変化するから、とてもあやふやな言葉。
ここで意味する世界は「最後」や「終わり」のくる(可能性を持つ)世界のこととなる。
さらに、ここで意味する「かもしれない」は確率としては50%で、「明日は雨が降る可能性がありますので、折りたたみ傘を持って出かけるといいでしょう」の感覚で世界の存亡が問われることとする。
SFの世界(ここでは、同一の種類の集まりの意)では、最後の日は100%確定事項としての体で訪れるけど、現実では100%確定された世界の終わりが訪れることはないと思う。
中途半端に一部で甚大な被害が出たりはするんだろうけれど。
そしてここでの前提として、「雨が降ったり降らなかったりするでしょう」の感覚で予報される「世界最後の日になったりならなかったりするでしょう」なので、滅亡か存続かの二択だけしかない。ことにする。
滅亡の場合、全部が一斉に終わる。存続の場合、何も変わらない。中途半端に一部で甚大な被害が出たりはしない。0か100か、という前提で進める。
そんな、「世界が最後になる“かもしれない”日」には何をするべきだろうか。
すごく思い切ったことはできるだろうか。
「明日も世界が続くなら」(有川浩の書籍タイトルみたい)と考えてしまうと、全財産を使い果たしたり、社会的地位が崩れ去るような行動は自制が効いてしまってできない。
今後、生活ができないレベルで“思い切ったこと”は私ならやる度胸はないかな。
一方では、スクランブル交差点の真ん中で全裸になって叫ぶ、みたいなネットニュースを騒がせる人も出てくるんだろうな。
今後の生活に支障のない範囲で思い切ったことであれば、むしろ全部やってしまおうと踏ん切りのつくいい機会になるんじゃないか。
わたがしマシンでわたがし作りまくりたい。
パティが5枚くらいハンバーガーを食べたい。分厚い肉をフォークでぶっ刺してンギギって引っ張りながら食べたい。ヴィレッジヴァンガードで普段買う勇気のなかった商品を購入したい。コンビニでやけに高いフルーツ系のサンドイッチを食べたい。ピザを数枚重ねてホールケーキぐらいの厚さにして食べたい。
食のことばっかじゃねぇか。
たとえば、「好いてる人へ気持ちを伝える」告白イベントは各地で頻発するだろうな。あと、その際の成就率は史上最高値を叩き出すと思う。
フラれたとしても、「そっか…でも最後に君に会えてよかったよ…」なんていえば大逆転の確変が入るかもしれない。
しかし、地球最後になるかもしれない日のことなので、それが最後の日ではなかったらすさまじくダサいことになってしまう。おそろしい賭けだな。
世界(国や社会、地球を意味する)が最後になるかもしれないなら、その日はひどく気が動転するだろうなぁ。でも現実味がなくて、すぐ冷静になって、お世話になった人たちにメールでもして、家族といつもより少し豪華なご飯を食べて、睡眠薬を飲んで眠る。
おしまいの瞬間に何が起こるかわからないから怖いし(どでかい隕石に潰されるのか、ブラックホールが出現して圧縮されるのか、核爆発みたいなものの熱線で全部消し飛ぶのか)痛い瞬間には鉢合わせたくない。
「世界最後の日に何をする?」というよくある質問より、「世界最後になるかもしれない日に何をする?」の方がより一層その人の性格や考え方が出ると思う。
私のように臆病な人間がこぞって睡眠薬を手に入れようとするから品薄状態なんてことも起きそう。瀬戸際に立ったとき人間の本性や正体は暴かれる。
モラルが低い発言や行為に走る人は大抵いろいろ瀬戸際なのだ。
ワニが100日後に死ぬ4コマ漫画が完結した時に、みんなが口々に言いたいことを言ってたのを見ていた。毎日チェックして毎日の更新を心待ちにしていた熱心な読者でもないのに、自分の文章に付加価値をつけるためワニの話題性に便乗してるような感想文ばかりに見えた。
「死ぬことがわかってる方がまだマシだ。僕らはいつ死ぬかわからないからこそ、今を大事に生きなきゃいけない」なんてことをつぶやいてる有名人もいたけれど、深いイイ話にしようとして失敗してる感がある。
余命宣告を受けてる方がまだマシなのだろうか。世界の終わりは確定されている方がマシなのだろうか。
物事の「終わり」は全員にやってくるけど、確信を持って終わりが予告されている状態より、いつ終わるかわからない状態の方が“まだマシ”なんじゃないか。
後者には、今後のことを考えられる余地が存在する。前者には、その今後すら残されていない。
みなさんの世界最後になるかもしれない日の予定は、何をしてお過ごしでしょうか。
世界最後になるかもしれない日には、“今後”に一縷の望みをかけて眠りたい。
そしてその前日はっちゃけて買ったヴィレッジヴァンガードのいらないものの数々を見て後悔したい。