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ありきたりからの脱却、そしてハッシュタグ
「人と同じことをしてても意味ないんだよな〜」みたいな意識は正しくて間違ってると思う。
あらゆることにおいての基礎編では人と同じことをある程度してないとダメで、発展・応用編では人と同じことをしてるとパッとしない。
地盤がゆるゆるのフルーチェみたいな状態で「ありきたりをしない」のは粋がってると見られるし、能力はあるのにやり方が「ありきたりばかりする」保守的なのは誰にも響かない。かも。
私はアコースティックギターを弾く。5〜6年前から。1年目はさっぱり弾けなかった。理由は、独学で粋がって基礎をすっ飛ばして進めようとしてたから。
早く上手く弾けるようになりたかったんだろうけれど、結果的にその自意識が妨げになった。一向に弾けない私はギターをしばらくインテリアにした。
そこから反省して基礎をよく理解して再出発したので、ある程度は弾けるようになった。
ただ、今度は簡単なことばかりしていたので特殊な奏法やソロスタイルの弾き方が異様に難しく感じる。要は、今の自分がどの段階にいるか把握することなのかな。わからんけど。
今までの勉学と全然関係ない仕事に就いて余計にそう思う。基礎がしっかりしてないとそれ以上のことを積み重ねられない。どうぶつタワーと同じ。
一時期すごい流行ったけど、あれまだやってる人いるのか?LOFTのパズルコーナーの近くで売ってそうなゲーム。
それとハッシュタグについて。
ハッシュタグは発信した情報のカテゴリ分類のような役割なので、ハッシュタグ付けたら人の目に入る割合も高くなるのですが、もういいかと、もう付けても付けなくても変わる差は些細なもんだと。
そう思ったので、今までエッセイとかコラムとして書いたつもりのない文章に「#エッセイ」とか「#コラム」とか付けてたけど腑に落ちないのでやめました。
恐ろしい数のハッシュタグを記事内容と全然関係ないのに閲覧数のために付けてる人もいて、それを見て規模は違えどやってることは自分も同じかと思い、この崇高な考えに至った次第なのです。これ出家しちゃうな〜。インターネット出家しちゃうな〜。
いやまぁ、ハッシュタグを色々たくさん付けるのが基礎であり初歩的な面でもあるけどさ、そんなこと言ってもさ。ね。
内容とかジャンルとかをバシッと言い表わしてるタグはもちろん付けるけどね。
ラーメンのことを書いたら#ラーメンだし、業務スーパーのことを書いたら#業務スーパーだし。業務スーパーに売ってる牛肉だしの素のことを書けば、#業務スーパー#牛肉だしの素 だし。出汁。
最後にハッシュタグあるある。
「ハッシュタグを細かく分けて文章作るインスタグラムユーザーはその投稿スタイルを独創的でウケると思ってがち」