【恋愛小説|3|もしも僕が触れられなくても】創作大賞2024応募作 #恋愛小説部門
|あらすじ|
ノンセクシャルの僕が恋をした。恋した彼女は、過去の傷から人間関係や恋愛を避けて生きた。秘密を抱え生きている2人。触れられない僕と触れてほしくない彼女か紡ぎ出す”体が触れない”恋愛物語。
前回のお話|2|無垢な男
|3|彼女の話
『聞いてほしいことがあるので時間をもらえたら嬉しいです』
韓国出張から帰国した夏菜子から連絡が入った時、休憩室を覗いたが姿はなかった。俺は仕事中に何をしているんだと廊下を歩きながら、今日の退社予定時間を考えていた。繁忙期を過ぎて仕事は穏やかだ。いつでも時間は取れるが、話の内容を知る怖さにいつものネガティヴ思考が邪魔をして会う日を決められずにいる。だが話せる機会を絶対に失いたくないと焦る気持ちから意を決して返信をした。
「帰国したばかりは雑務処理で忙しいだろうから夏菜子の予定に合わせるよ。今日でも明日でもそれ以降も俺は大丈夫だから」
翌日、夏菜子が指定した店はスターバックスだった。俺は勝手に夕食とお酒を飲みながら……と勝手に思いこんでいたから少し戸惑った。でもこの店は彼女が好きな場所と話していたことを思い出し、そのテリトリーに入れて貰えた嬉しさが店へ向かう俺を足早にさせた。
先に到着していた彼女は、少し痩せた感じがした。出張の疲れ、またはこの約束がそうさせたのか。
「道人お疲れ様。久しぶり。元気だった?先に注文する?」
テーブルを見るとマグカップが置いてあった。コーヒーが半分になる位早く到着していたのがわかった。俺も少し早めに来ればよかったなと思いながら、注文してくるよと伝えて席を離れた。
店は会社員らしき仕事帰りの人達で意外に混んでいた。並びながら何を注文するか考えていたが、ここで話すのか移動するのか聞かずに並んでしまった。この先のことも知りたくて甘いものを食べるか否かで今日の予定を探ってみようと思った。
「夏菜子も甘いもの食べる?一緒に買えるよ」
ありがとうのスタンプだけで返事がないことに少し不安を感じた。今日は手短な話なのか。これ以上は聞かずにコーヒーだけを買って席に戻った。
『LINE見てなかった?』と声をかけようとしたが、彼女は真剣な顔でA4サイズの書類を読んでいた。スマホはテーブルに置かれたままだった。俺のメッセージには気づいてないだろう。何も聞かずに『お待たせ』と声をかけると読んでいた紙から半分顔を出し『おかえりー』と微笑んでくれた。
席に座り穏やかに会話する俺たちは恋人同士に見えるのかな?どちらからも話し出すことなく互いにコーヒーを飲んでいると沈黙の音が聞こえるようだった。
「月が綺麗だったよね」
先に話し始めたのは夏菜子だった。
「そうだね。綺麗な月だった。あの夜は韓国出張が決まっていたんだね。聞いてなかったからびっくりしちゃって、月曜日沢山LINEしてごめん」
俺は韓国出張を知らされなかったことに怒って捻くれている男みたいじゃないか。伝えたいのはこんなことじゃないだろう、と器が小さい自分が嫌になった。
「あの日は月を見てとても気分が良くなって確かに出張は決まっていたんだけど、久しぶりの楽しい時間を仕事の話に使いたくなくて言わなかったの。その後も言葉が足りなかったよね。私ってね、いつもそうみたい。母や友達から肝心な説明が足りないよってよく言われるから」
「そうなんだ。でも俺は言葉が足りないとかそんな風に感じたことはないから受け取る側の人によるかもしれないね」
ちょっと余計な返答かなと思ったが、聞き流してしまったら夏菜子が言葉足りない人と認めてしまうようでそれだけは避けたかった。
「道人は優しいよ。穏やかだしその雰囲気にいつも助けられてきた気がする。普通の男の人よりも柔軟というか話しやすいし聞き上手だよね。だから必要以上に喋って頼ってしまうみたい。出張中のLINEに返信せず心配させてごめんなさい」
この先どんな話になるのだろう。手にある大きなメモに時折目が行き来する彼女を見ながらなぜか不安を感じていた。
「ずっと伝えていなかったことがあります。今日はまずここから話しを聞いてほしいです」
少しかしこまった彼女の言葉に緊張した。
「私ね『同期で同級生』だけど1歳年上。1浪しているから実は道人達同期のみんなより1歳年上です。びっくりした?」
「そうなんだ。いや、そんなにびっくりしないかも。あ、ごめん」
正直驚かなかった。大学には浪人した人が普通にいたし、それよりも俺たち同期の中で1番しっかりしていて一時『姉さん』って呼んでいたくらいだから、妙に合点する告白だった。
「そっかぁ。もっと驚くかなって期待してたんだけど」
少しいたずらっ子みたいな表情で俺を見る夏菜子に何の不安を感じていたんだろうと思いながら、心の中で夕飯を食べに行かないかと誘うタイミングを探していたが、夏菜子は話しを続けた。
「浪人したのは、中3から不登校になってそこから勉強が追いつかなくなって、塾に通い現役受験するもほぼ全落ちしたから。私は良くある普通の学生生活を送れずに大人になった人間なの。簡単に説明するとただの不登校児になるけど、やっぱりそれはそんな単純に話せるものではなくて」
夏菜子が読んでいた紙は今日話そうとしている内容をまとめたものなんだと、向かいに座る姿を見て理解でした。俺に話すためにこれまでのことをまとめて、ちゃんと話せるように何度も読み返していたのだと分かった。
不登校以外の話をまだ聞いていないのに感情が揺らいだ。どんな気持ちで今日ここに来てくれたのかを考えると、言葉一つ聞き逃さずに夏菜子が話たいこと全部を聞きたいと思った。食事に誘うタイミングを必死に探していた俺自身が自分で凄く恥ずかしい。
「今日はまだ19時だよ。時間は沢山あるから夏菜子の話にとことん付き合うよ」
ちょっと軽過ぎたか。でも夏菜子の話を聞きたい気持ちは嘘じゃない。俺はまだ温かいマグカップを手で包み込み一呼吸した。
「小説家になりたくて自分の意思で中学受験をしたの。なぜ小説家になるために中学受験だったのかもう忘れちゃったけど、小5から塾にも行って信じられないくらいの量の勉強をして大学附属の中高一貫に合格。両親は私立はお金がかかるけど、内部進学すれば普通かかる6年間の塾代も必要ないから都立と変わらないし内進出来るから大学受験も無くていい6年間を過ごせるねって中学受験を応援してくれた。
入学した学校は楽しくて本来の『お姉さん気質』もあって、学校行事のリーダーをしたりクラス委員をしたり割に人気者みたいなポジションだったの。学校も部活も友達関係も充実してた。でもそれは中3の最初で全部なくなった。その時また14歳。信じられないよね。まさか自分が不登校になるなんて考えたこともなかった」
一気に話すと思っていたがゆっくりとコーヒーを飲む夏菜子の姿を見て、まだこれからなんだと伝わってきた。
「終わりなく話し続けてしまいそうな自分が怖いの。だからね、メモにまとめてちゃんと道人に話せたらなって思って。ほらこの紙」
明るい表情でメモ紙を見せてくれたが、俺はちょっと違和感があった。無理して話さなくてもいいよと言いたかった。俺にだって話せないこと、話したくないことがあるんだ。夏菜子だって人に言えないことがあってもいいんだよと伝えるべきか迷った。
「夏菜子、さっき今日はとことん付き合うよなんて言ったけど、頑張ってメモ書いて無理して話さなくてもいいんじゃないかって。人は誰でも言えないこと、隠したいことってあるだろ。過去のことを引っ張り出せばまた辛くなるし」
ちょっと違うかな、論点ずれてないか不安になった。
「でもね、過去現在未来は繋がっているでしょ?過去を隠したまま今を生き、その隠してる今の自分がこの先の人生をより良く生きていけるのかって考えたら、正直言って不安しかない。誰にも関わらず1人生きていけたらいいのにね。でもそれを言ってしまったら、孤独から抜け出せず苦しかった不登校の自分に何も言ってあげられなくなる。過去の自分の為にも今の自分の為にも誰かに話したい、聞いて欲しいって思ったの。苦しくても道人ならきっと今の私を見て話を聞いてくれるんじゃないかって。なんか勝手よね」
嬉しかった。と同時に「私のこと、好きなのかなーって」と聞いたあの日のことを思い出した。もしも夏菜子も俺を好きという感情があって今日という日があるのなら、俺は俺自身のことを先に伝えなければならない。全てを受け止められない俺が今の夏菜子に何が出来るんだ。先に俺が話したかった。だけど話始めようとする彼女の顔を見たらそんな気持ちは静まった。
「中3の時、正確に言えば中2の終わりにその兆候はあったの。休み時間の廊下で男子がクスクス笑ったり、ウザっとかキモっ、臭い、ブスとか言ってくるようになって。当時かけていたメガネを笑われ長い黒髪にもヤジが飛び、無視してもコンタクトにしても髪を切ってもヤジは無くならなかった。
友達はあんなの無視しなよって変わらず側にいて守ってくれたけど3年のクラス替えで教室の階が分かれ、新しいクラスには親しい人がいなくて活発だった私は段々と存在が薄い生徒になってしまった。毎日毎日嫌がらせやヤジを1人で受けるようになり、ある朝学校で降りる駅のホームで気を失い学校と母に連絡が入り、私がおかれている状態が知られた感じ。
少し前から母は私の様子がおかしいと思ったのかやたら学校や友達の事を聞いてきたし、学校は楽しい?大丈夫?って心配していた。男子に毎日揶揄われているなんて言いたくなかったし家の中だけは明るく元気な女子でいたかった。ホームで倒れた時、正直これでもう学校に行かなくて済むってホッとしたの。毎日ただ楽になりたいそれだけだったから。でもいじめられていることが知られてしまう恐怖、当時リストカットをしていたからそれもバレてしまうって色んな事を考えたら、これは大変なことになるって自分を責めて頭がおかしくなりそうだった。
10年も前のことだけど駅で気を失った時の光景はハッキリ覚えているの。これで楽になれるってフワッとした感じ。
当時はいじめを認定するなんて言葉もなかったし、両親は何度も学校に出向いて校長に訴えてくれ先生方も調査してくれた。解決に向けて話し合いが何度もあったけど、結局いじめの原因がハッキリしないのと、証拠がないこと、主犯格が存在しないこと、揶揄いは男子のいきすぎた行為として厳重注意しか出せないという学校の見解が出て、平行線のまま解決の為の歩み寄りさえ出来ずこの件は終わった。
友達のお母さんが母にした後日談になるけど、中1の時私の隣の席で入学してすぐに仲良くなった男子が私に好意をもっていて、中2の時に他の男子と付き合う私を見て落ち込み、その男子と仲良い取り巻き達が頼まれた訳でもなく勝手に私に仕返ししたようだよと教えてくれた。告白もされてないし、その隣席の男子とだって特別なことは何も無かった。でも取り巻き達は、あんなにいい奴を振る女を許せなかったらしい。振ってないのにね。今なら本当に迷惑な話って言える。でも10人以上の体育会系部活男子の塊は体も大きくてものすごく怖かったし今も男性がグループでいると体が震えてしまうくらいにトラウマになってしまった。
解決しないまま欠席が続き条件を満たせなくなり内進を放棄した。最後まで謝罪をしてほしいと粘っていた両親に放棄したいと伝えた時は地獄だった。気力もなくなりこのまま不登校でいいやと思っていた時、更にこのまま欠席が続くと卒業出来ないって追い討ちだよね。苦労して合格したのに在籍すら消える。小卒になるのかとまで考えて、今更自分の学区の中学に編入も嫌で、学校の社外カウンセラーのカウンセリングを受けながら別室登校し卒業する道を選び毎日死人みたいに登校した。
でも中学最後の日、卒業式に出席したの。もう意地だけ。半年以上も毎日母が往復2時間の車送迎をしてくれて本当に苦労かけた姿を見ていたから何か1つでも前進しようとしてる娘の姿を見せたかったんだと思う。私自身の復讐もあったのかもね。
高校は通信制高校に進学、通学コースを選び心機一転し普通の学校生活に戻れると思ってた。とはいえ、通信制は同じような体験だったりまたは頭が良すぎて居場所がない人とかがいてまた異質な場所だった。なぜ私はここにいるんだろうか?って場違いを感じて辛かった。現実から逃げてきた人、学校からまた家に戻ってしまう人とか色んな人がいて自由だったけど、仲良くなっても翌週になると通学から通信に変えて連絡もなくそれきりになるパターンが多くて3年間友達は出来なかった。人間関係辛くなるとすぐに逃げてしまうのね。それを許してくれるいい学校だったけど、友達になれたと思ったのは私だけでずっと独りだった。
内進放棄しなかったら私にも楽しい学校生活は戻っていたのかもしれないってあり得ない未来と孤独な現実を天秤にかけながら私の高校生活はひっそり終わったの。自信に満ちた中学入学から6年、揶揄いに耐えられない子供だった自分を嫌悪した瞬間だったよ。
揶揄った奴らが嫌い。勝手に好意を寄せた男子も嫌い。付き合っていた彼は不登校で欠席しても連絡がなくてそのまま疎遠。笑う13人の男子には何も出来なかったよ。でも私は何が出来たと思う?何がそんなにウザい?キモい?何でメガネだとブスなの?男子達に笑われ揶揄われ続けたあの時間以降、私はもう人を信じられなくなった。男子が嫌い、でもそれ以上に怖いの。大きい声、笑い声、威圧感、自分らが最強って思ってるアイツら。もう10年以上も経つのに時が経っても他人からどう見られているかばかり気にして、いつも身構えて人と距離をとって生きてきたの。あれ以来、私は男性が怖くてたまらない。誰かを好きになる未来を私自身が一番信じていないし望んでもいないのかも」
沈黙した瞬間、夏菜子を止めるのは今しかないと思った。
「夏菜子、もうそれ以上話さなくていい。もういいんだ。大丈夫だよ。夏菜子は何も悪くない。何も悪くないんだよ。話してくれてありがとう」
手で顔を覆って泣いている夏菜子に俺はこんな言葉しか出ないのか。なんなんだよ、俺は。自分にこれ程嫌悪したのは初めてだ。殴ってやりたい気持ちを初めて感じた。殴りたい奴は夏菜子を苦しめた奴ら、そして俺自身もだ。夏菜子の側に行って抱きしめろよ。店の中だって関係ないだろ。
俺が俺に失望する前に、向かいにいる夏菜子の隣に座って肩に手をあてた。これまで知ることがなかった感情に俺自身が動揺していた。言葉をかけるだけでは足りない感情があるんだ。全てを打ち明けてくれた『彼女の話』に俺自身が『俺の話』をしなければならない。それが今なのかそうでないのか冷静に考えるには感情の昂りが邪魔をして、俯く彼女の横にただ座って少しだけ寄り添うことしかできなかった。肩に置いた俺の手が夏菜子の体温を感じている。苦しかったよな。話してくれてありがとう。あぁ人ってこんなに温かいんだ。俺も涙がでた。
「泣き虫な道人に出会うまでの話、まだこれからなのに」
夏菜子は鼻水を啜りながら赤い目で微かに笑った。
「今度は俺の番だよ。話したいことがあるんだ」
少し落ち着いた夏菜子から元の席に戻り、冷めたコーヒーを一口飲み深呼吸をした。向かいに座る赤い目をした夏菜子を真っ直ぐ見つめ、俺は話し始めた。
(つづく)
ノンセクシュアルの定義|引用
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