【恋愛小説|2|もしも僕が触れられなくても】創作大賞2024応募作 #恋愛小説部門
|あらすじ|
ノンセクシャルの僕が恋をした。恋した彼女は、過去の傷から人間関係や恋愛を避けて生きた。秘密を抱え生きている2人。触れられない僕と触れてほしくない彼女か紡ぎ出す”体が触れない”恋愛物語。
前回のお話|1|中秋の名月
|2|無垢な男
「仕事終了ー。今どこ?会社のそば?」
急ぐような夏菜子からのLINEが予定通り30分待った頃に届いた。
「わぁ、これが中秋の名月かー。凄く綺麗。こんなにじっくり月を見たのは久しぶりかも。仕事漬けの毎日、みんなもそうだよね。新人じゃなくなってそろそろ成果を出したい時期なのに全然上手くいかない。もっと仕事を頑張らないと」
気の利いた言葉を言えなかった。そうだねって同調するのもそんなことないよって励ますのも何か違う気がして無言になってしまった。もし夏菜子が恋人だったら俺はどんな言葉をかけられるのだろうか?隣で月を見ている夏菜子の横顔が美しかった。
『和食屋さんに行こうよ』夏菜子に案内されるまま、以前ランチに来たことがある店に向かった。俺は会社の同僚に会ったらどうしようと気にしていたが、彼女はまずはビールからと俺に向かって笑い、注文をしてくれた。
ーお疲れ〜
「仕事後のビールは最強。嫌なこともこの泡と一緒に消えてしまうよね。ビールってそういう力があると思う」
明日は休みだからとお酒を飲むペースが早い夏菜子はお惣菜を次々と注文している。俺の好みなど知る由もなく本能赴くままにアレコレメニューを指さして、ほろ酔い顔で注文する姿を見ていると幸せな気分になった。
会社で見かける彼女はいつも忙しそうで、正直気軽に声をかけることができない時が多い。最近は仕事に対して厳しさも感じられ、俺よりも早く新人気分が抜けて部署では信頼されいる人材に見えた。憧れと羨ましい気持ちで夏菜子を見ることが増えたように思う。
「道人はさー、付き合ってる人いるの?そういう話全然しないよね」
「え?あ、うん。いや……」
歯切れが悪い。夏菜子からこの手の会話をふられるとは思っていなかった俺は取り敢えずその場しのぎの返しさえ出来ず、つくづく俺は小気者なんだと情けなくなった。
お酒が入ると決まって出るこの手の会話。最近は飲み会が減り聞かれる機会もたまにある程度。大学時代は友達と会えば誰がどうとか、女がらみの話ばかりだった。若い男が集まれば当たり前のあるあるな光景だ。
「お前さ、彼女つくんねーの?全然、女の話とかしないけど彼女とかもういんの?」人懐っこい太一と初めてご飯を食べた時にすぐ聞かれた言葉。まだ高校生みたいな会話だった。
大学2年目、太一と同じ学科で親しくなった友達と3〜4人でよく飲みに行くようになった。飲む度に、毎回同じ会話になるのが男子の日常。聞かれて苦しい時は、同じ話を友達に返せば酒の力で奴らは饒舌になるから、段々と上手くあしらえるようになった。
更に1年も経つと今度は「最近女関係はどうよ?」が社交辞令。俺は秘密主義で密かに彼女がいるんだろうとそんな扱いになった。
社会人になり久しぶりに彼らと飲みにいった時、とうとう恐れていた事が起きた。太一の言葉を思い出すだけで今でも鼓動が早くなる。
「俺さ、社会人になってから付き合ってる彼女と結婚感みたいな話しが増えた気がするよ。このまま結婚するのかと思うと正直ちょっと怖いよ。お前らはどうよ。道人は恋愛してんのか?そういえば大学の間とうとう一度もお前から女の話が出なかったな。なんていうか、その、恋愛対象はもしかしたら同性とか?ごめん直球すぎて。本当にごめん。まぁ仮にゲイだとしてもそんなに驚くことでもないよな」
飲もうと持ち上げたグラスの手が止まった。そりゃそうだな、と。友達にしてみたら何年も聞きたかった話しだろう。でも恋愛していないと、彼女がいないと即同性愛者になるのか。そうだな、と思うと同時に本当のことを言えるタイミングは今しかないと感じた。とうとう聞いてしまったという太一の申し訳なさそうな顔を見て、やはり今しかないと腹をくくった。
「やっぱり聞くよね。むしろ、今日まで4年以上もよく何も聞かずにいてくれたなって思うよ。みんなごめん、でもありがとう。流石にもう話さなくちゃいけないよな」
話したら友達関係は変わってしまうだろう。そう思うと言葉が詰まり、大学時代の何でもない友達との日常が思い出され泣きそうになった。
「彼女はいない。ずっといない。ゲイでもバイでもない。恋愛対象は女性だよ。でも、これは俺の場合だけど、女性と恋愛は出来るけど最後まではいけない。好きになっても性的欲求がないんだ。中学で好きなった女子とは手は繋いだよ。中学生だからその先はなかったし、俺がお子様過ぎて次の行動を取る発想がなかった感じかな。
異性に性的欲求が沸かないし、でも恋愛感情はあるんだ。だから厄介なんだ。キスも多分出来ない。高2の時に付き合った女子と何も出来なくてむしろ性交渉に今よりも嫌悪感があった。
色々調べてたどり着いたのは、俺はノンセクシャルに当てはまるって事実。女性に対して性的欲求を抱かないセクシュアリティ。この境界も様々だから、性に対して苦手くらいの人もいるし、拒絶に違い人もいる。好きになった彼女の為に、キスもそれ以上も出来る人もいる。多分自分はダメかな。そうなったことがないから多分としか言えないけど。でも女性を好きになるし一緒にいたくなるし手も繋ぎたい気持ちもある。でも俺は最後は無理なんだ。
カウンセリングは受けてない。でも自分で調べてみて、俺はノンセクシャルなんだって性自認できてからは少し楽になった気がしている。だから、女性は好きになるけど付き合うことはしない。っていうか無理だと思う。大人になって小学生みたいな恋を誰がしたいと思う?まぁ性交渉したことない俺は恋も愛の話も出来ないよな。一生童貞だよ」
最後の言葉は余計だった。でも笑って自分の動揺を隠したかった。正直どこで話を終えていいのか分からなかったし、太一達に何かを聞かれるのが怖くて永遠に喋ってしまいそうだったから。
彼らはずっと視線を下にして、でも真摯に俺の話を聞いてくれた。何度も頷き、酒を飲み、時折目が合って、また酒を飲んで、彼らの優しい沈黙が全てを話す機会を俺にくれた。
「そっか。大学でLGBTQの講義があったよな。あの時結構調べて勉強したつもりだったけど、今道人が話してくれたノンセクシャルという性自認は正直詳しくは分からないし全てを理解出来てるなんて思わない。でもさ何よりもお前が生きたい人生を送ってほしいと思うよ。親には話したの?お前妹がいたよな。家族には気づかれてないの?」
妹とは互いの思春期から会話も減り、重要なことほど会話しなくなっていた。それでも、たまに音楽番組を一緒に観たりすると妹は毎回ボーイズグループを指差して『お兄ちゃんは誰がかっこ良い?女だったらだよ』って必ず聞いてくる。交際する彼女の存在が一度も見られない兄の中に、知りたい事が妹なりにあるのだろう。
「妹は何かを感じ取ってるというか、ゲイと勝手に決めつけてる気がするよ。両親にはいつかは言わないといけないと思っている。長男だしね。それよりも今は自分の性自認でどう生きていけばいいのか、精神的に重くて。好きな人が出来た時どう関わるべきなのか。正直に伝えて付き合えるとも思えないから」
太一達はこれまでの疑念が少し晴れてほっとしたのかもしれない。”いわゆるカミングアウト”は友好的に理解してもらえた気がしているが、きっとどこまでならいいのか、キスはできるのか、嫌でもやればできるのかとか、本当は知りたい事があったのかもしれない。でも俺が話したこと以上はあえて聞かず、ただ耳を傾けてくれてありがたかった。
「道人、道人、聞いてる?飲み過ぎたんじゃない?大丈夫?」
確か『付き合ってる人いるの?』って聞かれて、そこから頭がぼーっとしてしまったが、案外冷静にうまく応えられた。
「ごめん、ごめん、俺は大丈夫。でもやっぱり飲みすぎたのかもな。うん、彼女はいないよ。俺の退社情報を一番知ってるは夏菜子だろ。彼女かー、いないねー」
酔いにまかせ夏菜子をじっと見てしまったが、慌てて視線を壁のメニューに逸らした。
「私のこと、好きなのかなーって」
聞き流せない言葉に心拍数が明らかに上がって、更に酔いが回りそうになった。
「ちょっと、その、突然なんだよ。飲み過ぎなんじゃ……」
口も回らずただ恥ずかしくなり、夏菜子の顔を見ることが出来なかった。『好きだよ。好きだけど君とは手を繋ぐまでしか出来ないんだ』なんて言える訳がない。それよりも自分のことを話さずに好きだなんて伝えてはいけない。情けないが酔いもあって思考が追いつかなかった。そんな俺を察した夏菜子が『酔ったねー、そろそろお店でようか』と先手を打った。この言葉で夏菜子から問われた会話は封印された。
ー「夏菜子が好きだよ」
言えなかった言葉がいつまでも頭から離れず苦しかった。でも、好きだよと言ってしまったら、いつかもっと苦しめてしまうことになる。きっともう二度と夏菜子からあの言葉はないだろう。これでよかったんだ。同期として飲み友達としてこれまで通り過ごしていこう。そう自己防衛するのが精一杯だった。
店を出ると、月は光る場所を変えて輝いていた。
「まだ月が見られるなんて。今日は本当にいい日だったなぁ。珍しく飲み過ぎちゃったよ。道人のせいだからね」
2人でしばらく月を眺めどちらからともなく「また月曜日」みたいな空気が流れお互い自分が帰る方向へ歩き出した。
その週末、夏菜子からのLINEはなかった。月曜日に出社すると彼女は出張で韓国に行っていると同僚が教えてくれた。『また月曜日』って言ったのに、休み明けすぐ出張に行くことを知らせてもらえなかったことに苛立っていた。元気にしているのか気になり、短い挨拶やスタンプを送ってみたが返信がない。4日経つのに既読にもならないその状況を察して、LINEするのをやめてしまった。
気を使うそぶりは建前で、本当は怖かった。あの時、夏菜子の問いに動揺しただけで何も返せなかった俺から彼女はきっと距離を置いたのだろうと分かってしまったから。
ー「夏菜子が好きだよ」
言えなかった言葉が心の奥をいつまでもぐるぐると回っている。
1週間を過ぎた頃、夏菜子からLINEの返事がきた。
「ごめん、私は元気だから」
たった10文字の短い一文。毎日仕事が終わると『お疲れ』と言い合える大切な人からの『ごめん』の文字。あの日、月が綺麗と言った彼女の笑顔を思い出しながら俺はその短い文章を何度も読み返事を出した。
「夏菜子へ
お疲れ様。韓国はどう?体調には気をつけて。帰ってきたら会いたい。連絡待ってます。ミチト」
すぐに既読になり返ってきた『ありがとう』のスタンプはあのツギハギ男だった。俺はこんな夏菜子が大好きなんだ。自分が傷ついても夏菜子の問いに向き合いたい。全部話そうと心が決まった。
俺はツギハギ男を倒しそうな目隠しイケメンキャラのオッケースタンプを送り返した。
「ミチト、このアニメ観てないのにー!」
誰もいない休憩室。返されたスタンプと彼女の短い文章に癒され、笑みをこぼしながら俺は一人幸せを感じていた。
(つづく)
ノンセクシュアルの定義|引用
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?