段々と雪深くなっていく景色のなかで│富岡生活最終日
山形に向かう電車に乗っている、段々と曇り空になってきて、雪がちらほら見えてきた
今から綴るのは、今日の9時45分くらい、快晴の富岡駅での話
朝、滞在先でインターンの振り返りを軽くして、駅まで送ってもらった
いざホームに向かうとお世話になったお母さんがいた
「はい」と、とみっぴーとお土産が入った袋をわたしの前に差し出したあと、電車を待つ15分くらいの間で、富岡の家のこと、お孫さんのこと、はじめてそんなお話をしてくれた
初めて会った時、
「コーヒーと紅茶どっちがいい」
「紅茶で」
という会話をしてから、
週に2回、お母さんたちが集まる学校に行く度に、紅茶をわたしの前にトンと置いて
「若い子はいてくれるだけでいいの」
と言ってくれるのがお決まりだった
その後は多くは語らないし、聞かれない
ただ黙々と手芸しながら、さくらモールの特売品の話なんかする時間を過ごした
そんなお母さんが、涙ぐみながら、わたしのお見送りに来てくれて、はじめてお嬢さん呼びから、名前を呼んでくれて、最後にたくさんたくさんお話を聞かせてくれた
約束してたわけでもなくて、ただいつもの軽い会話の中で「10時で帰ります」と伝えたことを覚えてくれてて、電車に乗ってからもずっとずっと見えなくなるまで手を振っててくれた
富岡に行くにあたり「ヒアリングさせてください」と、お話を聞くことに違和感があった
課題があることを前提に解決に繋がるアイディアを持って、会話しながら自分の考えに当てはめていくのが嫌だった
そうじゃなくて、ほんの少しの時間ではわからなものとか、夜に一人で整理するまで気づかない自分の気持ちとか、そういう時間をわたしは大切にしたかった
(それに、わたしの頭では時間が必要だった)
最初はその感覚を持ちきれず、やっぱ何かした方がいいかなとか企画書つくろうかなとか焦ったけど
ちゃんと整理するのは山形に帰ってからと決め、後半2週間は、目の前の人との時間を受け止めることに注力した
わたしはアーティストのような一芸があったり、優れた経営力や専門性をもっていたりするどころか、運転免許すらない
この町を大きく変えたあの日、ここにいなかった
大学のないこの町にとって、わたしは経済を担うようなひとでも、発言力の強い人でもなくて、ただ「友だちの地元を知るために今は町で生活している人」でしかなかった
そういうわたしの未熟さが強みになって、たくさんのひとに助けてもらったし、その過程でいろんなお話をしてくれる方が多かった
「若い人はいてくれるだけでいいのよ」ってことある事に言ってくれるから
何者でもない自分を好きになれた
そんなひとたちとの時間を過ごし、今、わたしは被災地とか復興とかそういう言葉だけでこの町を語りたくないなと思っている
もちろん未来に向かっていく上で、考えるべきこと、行動していくべきことは沢山あるんだけど、
この3週間、わたしと大なり小なり関係をもってくれた人がいる事実を大切にしたい
それを踏まえて、コミュニティデザインを学ぶ大学生として富岡町をどう捉えて、どう関わっていきたいのかは、これから考えたい