愛をもって社会を彫刻する│ネパール
2つの大国に挟まれた国、ネパール
何も変えられず泣いてばかりの日々、泣いてばかりの自分に嫌気が差し、強くなりたいとひたすら願って国境を越えました。
自分の行動で愛を伝えるんだ!
限界や言い訳をつくらず体現していくんだ!
そのために、自分の見たくない部分も見つめることになることもわかっていました。
毎日1個ずつできることを増やしていく日々、
わたしはこの旅で生きる楽しさを感じました。
少しだけ強くなった気もします。
ひたすらもがいた21日間を振り返って、書ききれないできごとと想いを綴ります。
旅のスタンス
アートを平和の希求、
デザインを課題解決と捉えた時、
バックキャスティング的な地域課題解決手法ではなく、やる前から意味を見いだせなくても、あとから自分の行動の言語化したり、説明付けする、その瞬間を体現していくことでコミュニティデザインの卒業研究ができないだろうか、そんな問いを持った10月。
アートの考え方について調べていく中で、ヨーゼフ・ボイスという芸術家が「人間は誰しも芸術家である」といい、社会彫刻という概念を提唱していたことを知った。
社会彫刻とは、あらゆる人間は自らの創造性によって社会の幸福に寄与しうる、すなわち、誰でも未来に向けて社会を彫刻しうるし、しなければならない、という呼びかけである。また「芸術家」とは「自ら考え、自ら決定し、自ら行動する人々」を指す。
社会に自分なりに関わり、自他のしあわせを彫刻していく、そう捉え、なんとなくビビっときて、自分の内部を体現すべく「愛は行動!」を今回の旅の根幹に置いていた。
ことが起きていく様子を傍で見た1週間
ワークショップが始まる前、大地さんが貧困家庭の実態調査に行くということで、1週間早くネパールに行き、調査に同行させてもらった。
一見、朗らかで幸福度が高そうな家庭では、田舎からカトマンズに来たけど仕事を見つけられず、生活が苦しいと話してくれたお母さんに出会う。「子どもにはいい教育を受けさせたい、泣いてても仕方ない、苦しくても泣いていても意味が無い」と。
そして、孤児院の子どもたち数名の出身地でもあるネパールのド田舎
資本主義社会の尺度で見たら最貧困にあたる山岳地帯の暮らしに触れた。
竪穴式住居のような小屋の中で暮らすそこの人々は、12年前まで服の存在すら知らなったそう。
それに、首都カトマンズでは、はじめて物乞いという職業に出会う。
どんどん現時点での自分なりの解を創っていく大地さんの隣で
「着いていくのに必死な自分に何ができるんだろう」そんなことばかり胸に抱いていた。
それに、ここには書ききれないくらい、他にもと中国からトレッキングに来ていた子やトレッキング会社の社長さん、日本語学校の生徒さんや先生など、たくさんの出会いのなかで、痛みを知っている人の強さにも触れた。
ある意味、この世の不条理とも捉えられる光景を見て、自分の意思や信じるもの、「なぜこんな世界を生きているのか」それがハッキリしていないと、大きなものにのまれてしまう。わたしも人々も自分を失ってしまう。そんな感覚があった。
本当に、この1週間は、書ききれないくらい刺激的で、聞かれても断片的にしか説明しきれないくらい濃かった。
気になる人がいたら、ゆっくりとお話できたらいいなと思う。
全力で愛を体現していく
ワークショップが始まり、1歩後ろをついて行くだけの日々が一変した。
遠慮してたら、謙遜していたら、どんどん時間が過ぎていくだけ、その瞬間に自分が出せる最大出力をかけないと、後悔することになる。
「自分に何ができるんだろう」という漠然とした夢見心地な問いは
「この人のために、この子のために、あれがしたい、これがしたい」という欲に変わった。
本当に毎日、その欲のままに生きていた。
わたしの英語力では、愛おしさを伝えられず、アイラブユーと言いながら毎日子どもたちを抱きしめた。
夜は、Google翻訳を片手に手紙を書き続けた。
担当していたワークショップも、自分を隠したままショーを共に創るキャストに踏み込むのは不誠実だと感じたから、伝えたいメッセージを軸に緻密につくりあげた。
前に立つ人じゃ考えられないくらい間違えちゃってたけど、大きな声で歌った。
もうこのメンバーではショーを創れないかもしれない中「このままのパフォーマンスじゃやり切れない」と思いを伝えてみた。
キャストを信じ、私は自分のバディだけを特別扱いした。
当たり前だけど、全部、人と関わることだから、正直、分かり合えないな、と思った瞬間もある。
でも、分かりたいなと思った。
そうやって、「愛を伝えるためにわたしはこれがしたい」という、ある意味、自己満足とも捉えられる欲のままに人と関わる中で、全力で愛し切る感覚を掴んだ。
この21日間は、その時点のわたしが出し切ることができる全てをかけた日々だ。
これからの自分に期待したい反省点があったり、悔しい思いがあったりするけど、後悔はしていない。まずは自分に拍手を送りたい。
(本当に体もよくついてきた!社交的な場に足を運ぶ度に熱を出していたわたしは、もうどこにも見つからない!)
ネパールで迎えた3.11
ネパールに行っていたとき、不思議なことに、東北を思い出す瞬間がたくさんあった。
特に強く感じたのは、先述した田舎町に行った時と子どもたちが「Hug me」と駆け寄ってくるときだ。
資本主義の力によって変わるネパールの田舎町の姿と、今なお復興が続く富岡の姿が重なった。
目の前で抱きしめてあげることができるCOTS(今回訪れた孤児院)の子どもたちと、手を繋いで抱っこのポーズをする富岡の子どもの姿が重なった。
今年の3.11はタメル地区のホテルロビーで迎えた。
そわそわとした気持ちを伝えたら、そばに居たキャストが一緒に黙祷してくれた。
ありがとう。
改めて、富岡でのインターンでお世話になったインビジブルのHPを開くと、こう書かれていた。
専攻でもあるコミュニティデザイン、コミュニティとは人の集合体である以上、コミュニティを表現対象にするということは、当たり前のように、他者と向き合うプロセスが必要になる
他者と向き合うために自分とも向き合わなければならない。
時には、自分のことも他者のことも分かり合えないことだってある。
富岡の子どもに手を伸ばされたとき、私は、その時、大人の目を考えて抱きしめてあげられなかった。
それどころか、繋がれた手を振りほどいてしまったことを思い出した。
物理的に抱きしめてあげることは難しいかもしれないけれど、子どもたちを抱きしめるような愛を注ぎたい。
大きなものに飲み込まれずに、自分で想像した世界を創っていく経験を一緒に味わいたい。
そんな仕組みをつくりたい。
正解やゴールに近づくためのデザイン的なプロセスだけではなく、その瞬間、その瞬間に全ての愛情を注ぎ、没頭し続けた結果をゴールとする絵画のような事象も、肯定していきたい。
生き方としてのアーティスト
Be an Entertainer!
わたしは、LES WORLDの基本スタンスでもあるこの言葉を知ったのは2年前の無人島100FES。
「人を元気にするから人から愛をもらい、人に愛をもらうから人を元気にしていく
この循環は、立派な私の作品だ
わたしが人と関わりを持ち続ける限り、
わたしの生き方そのものが表現活動で、わたしは一生エンターテイナーだ」
そう感じたことを思い出した。
今までできていたかな?
1度、周りが気づかせてくれた「人を愛し、人に愛される才能」を、ネパールに行くまでは放棄していたようにも思う。
わたしは、これからも表現者として、
愛が足りない世界でも愛していく強さを追い求める。
人間がもつ創造性を信じていきたい。
もう、何かに怯えなくてもいい、そんな暇はない。
まだまだ愛すべき世界がある、わたしはできる。
わたしは生きる楽しさを味わうべき人間だ。
2024.2.20〜2024.2.16
燈となる愛おしい日々と
共に過ごしてくれた全ての方に感謝を込めて