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秋葉街道(上)・・・遠州では、火の神様として有名で、秋葉神社のお札は、よく台所前に貼られていた。

つい先日、お客様と弊社で作らせていただいた、30年前のデッキのリフォームについてお打ち合わせしていた、

ご主人さんに、私の出身が市町村合併で、現在は浜松市となってるが、もともとは長野県・愛知県の県境に近い中山間地という話題になったとき、急に、”私は、秋葉街道を自転車で走ってみたかった。”と話された。

長い間、自転車が趣味で、いろんな場所でサイクリングを楽しんでいたが、一度秋葉街道を走ってみたかった。その思いは、ずっと続いていたが、仕事にかまけていたら・・・夢で終わってしまって。


実際の秋葉街道を行くとなれば、青崩峠を行くことになるが、道ががけ崩れで途中、歩きになる。
自動車で行くとなると、浜松市天竜区の水窪の街を超えて、まっすぐ行くと狭い山道ながら、県境・兵越峠を超えることになる。
この県境で、綱引きをして、県境を決めるという儀式が有名だ。
県境を越えると、遠山郷にでる。
深山幽谷に近い所の秋葉街道には、古来から多くの神事やら独特の文化が
息づいている。

ジプリの”千と千尋の神隠し”の(カオナシ)は、この霜月祭の仮面から、発想を得たという説もあるように聞いたが。



遠山の”かぐらの湯(現在休止中だそう)”に有名なアスリート・サイクリストのメダルが飾られていた。この山道の起伏に耐えるトレーニングで、一流選手になられたのだろうか?
地図上、兵越峠下あたりに、青崩峠が来るが、崩れやすい地質で、長いこと長野県側と静岡県側との三遠南信道路のトンネルが、難工事で繋がらなかったが去年つながったそうだ。
青色の変成岩の崩れやすい青崩峠とか。
この辺りは、中央構造線が走っている。
武田信玄が、この道を通って、浜松の三方ヶ原に進軍。徳川家康も敗北して浜松城を後に敗走。
と聞く。この秋葉街道は古来から秋葉信仰の道で、文化の伝承の道でもあったようで。

地質的に、中央構造線がフォッサマグナから分岐して、渥美半島から、四国抜け、九州まで行くと聞いたが。

この秋葉街道沿いの、民間伝承の大衆芸能と古来からの文化の交流、自然の大いなる力を、考えさせられた、原田芳雄の遺作”大鹿村騒動記”

そこにつなぎたい。


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