ボルガライスのナゾ
私の記憶が正しければ、洋食という名の日本食がある。それは西洋風の料理であるが、実際の西洋の料理と比べてみると、かなりのギャップがあるのは事実だろう。
中にはトルコライスなるトンチンカンな料理まで存在する。
ドライカレーはインド、ナポリタン・スパゲティはイタリア、その真ん中にトルコがあるので「トルコライス」だというのだが、センターに置かれたトンカツは、あろうことか、回教徒には許されざるポークではないか。
このように、日本人の豊かな想像力は数々の怪レシピを生み出してきた。
そして、幻想の洋食史にまた怪しげなレシピが追加されようとしている。
それは「ボルガライス」というナゾのグルメのことだ。
以下、その要点をウィキペディアから抜粋してみた。
福井県武生市(現:越前市武生地区)で、1980年以前に登場したメニューで、オムライスの上にカツをのせソースをかけた洋食である。オムライスの中身がチャーハンだったりピラフだったり、かけられるソースもドミグラスソース、トマトソース、中華風あんかけ、カツもトンカツではなくメンチカツだったりと、提供する店ごとに特色がある。
ボルガライスは、武生市内の洋食店、うどん店などでは定番メニューとして1980年以前からあり、地元の人たちにとっては当たり前の食べ物であった。
名前の由来や発祥店などについてはっきりとした事はわかっていない。
名前はロシア西部のボルガ川流域の町でこの料理によく似た物を見たという情報から『ボルガライス』と名付けたといわれるが定かではない。他にはイタリアの地名に由来する説もある。
発祥の店舗は『カフェド伊万里』、『ジャムハウス』、『江戸屋』が有力視されているが決め手は存在していない。
一見ただの洋食プレートに思えなくもないが、その起源については諸説あるようだ。
さて、記念すべき第1回目のテーマとしてボルガライスは申し分ない。
食べたことも見たことすらないが、その大いなるナゾに挑むとしよう。
ボストンかハンガリーか?
ロシアに5年住んでいたというマダム・クリスに「ボルガライスに似た料理を知っているか?」と訊いてみたが、思い浮かばないとのこと。
しかし、こうも言っていた。
「ロシアのものは、じつは少ない。」
つまり、ロシアのものとされていても、じつはよその国や民族の文化だったりする。あれだけ広大な土地だから、何だかよくわからないチェブラーシュカみたいな生き物がいる可能性も否定できないのだ。
ところが、東京の浅草にかつてボストンライスという洋食メニューがあり、それがボルガライスの起源ではないかという説がある。
しかしながらボストンライスはボルガライス以上に謎に満ちていて、その正体は不明である。
次に、ハントンライスなるものが捜査線上に急浮上してきた。
1960年代後半、当時「ジャーマンベーカリー」の社長を務めていた山下昇が、金沢の中心地である片町にレストラン「ジャーマンベーカリーグリル」を出店する際、洋食部門のシェフたちと知恵を絞って考案したのが「ハントンライス」だった。
直接のアイディアを出したのは、当時の料理長である。彼は、修行時代にご飯をパプリカとバターで味付けし、余ったマグロのフライなどを乗せた賄い料理を作っていた。このまかない料理をヒントに、若者に受ける料理として、味付けを日本人の好むケチャップに変えたのである。
一般的には、「ハンガリーのハンと、フランス語でマグロを意味するトン(thon)をあわせた造語である」と言われている。
ハントンライスのもととなった料理は、「スクランブルエッグの上に魚のフライを乗せ、ケチャップを少しかけたもの」とされている。関係者の間ではハンガリーの家庭料理として知られているが、実はこの料理はハンガリーには存在しない。
ハンガリーの家庭料理には「ラントット・トンハル(rántott tonhal)」と呼ばれるマグロのフライがある。「トンハル」という単語の「トン」は、ハンガリー語でも「マグロ」を意味する。 ハンガリーではこの白身魚のフライにタルタルソースをかけて、パプリカや塩を振ったご飯とともに食べることから、金沢在住のハンガリー人の間では、これがハントンライスの由来になったのではないかと考えられている。
なんと、ハントンライスは「ハンガリートンライス」だった!
ハンガリーは予想外だったが、金沢辺りはあやしいと睨んでいた。
何か洋食が生まれるとしたら、キリシタン大名の城下町がふさわしい。
石川県ならボルガライス発祥地の福井県の隣。
金沢のハイカラな洋食の影響でボルガライスは誕生したと考えるのが一番スジが通るのではなかろうか。
しかし、深読みはここから始まる。
イタリアのボルガーナ?
ボルガライスは越前市内の「カフェド伊万里」「ジャムハウス」「カプチーノ」の老舗レストラン三軒のいずれかにおいて考案されたという説が有力視されているという。以下のコラムより引用。
カフェド伊万里でのボルガライスの考案は約30年ほど前とされ、店をオープンする際、店主が東京で料理修行をしていた知人から幾つかのメニューを教えてもらい、その中にボルガライスが含まれていたとされます。知人が修行をしていた店でまかないとして出されていた物との事ですが、名前の由来については知人が若くして病死してしまったために不明なままとなっています。
ジャムハウスは前身を「ローマ」といい、40年ほど前、ローマにおいて店主が手元の材料を盛り込んでまかない料理を作っていたところ、そのまかない料理を見た客に同じ物をメニューとして出してほしいと頼まれ、店のメニューに取り入れられたとされ、その際、客が同じような料理をイタリアのボルガーナ地方で食べたと懐かしがった事から、「ボルガライス」と命名されたとされています。
カプチーノでは店をオープンする際、シェフをはじめとした店のスタッフで何か店の目玉となるメニューを作ろうと話し合い、ボルガライスが開発されたとされます。ロシアのボルガ地方に似たような料理があるとして、「ボルガライス」と名付けられています。
さて、ジャムハウスではイタリアのボルガーナ地方が語源ということになるようなのだが・・・
ボルガーナ地方を検索してもヒットしない。
近い名前でボルツァーノ自治県というのはある。
かなり辺境のようだが、このような場所の郷土料理を懐かしむ人が日本の福井にいたとは到底考えられない。
日本人はケチャップ味のパスタをナポリタンと呼ぶが、ケチャップ文化はアメリカのGHQが日本に持ち込んだものであり、イタリアにナポリタンは存在せず、ヨーロッパのそれはトマトソースであり、ケチャップではない。
ボルガライスがイタリア起源というのも、ケチャプライスのオムライスにカツをのっけているので、ナポリタンと同じような勘違いからそう定義された可能性がある。
しかもトマトが使われるのはナポリのような南の方で、北イタリアはスイスやフランス同様にバターや生クリームを使う。ボルツァーノ自治県はイタリア語よりもドイツ語で話す人が多いし、隣接するオーストリアに近い感じなのではなかろうかと。
ふむ。オーストリアか。
今ではクラシック音楽の故郷くらいにしか思われていないが、かつてはヨーロッパの中心だった。
いわゆるハプスブルク帝国。
そこにはハンガリーも入ってくる。
おお、金沢のハントンライスのハンはハンガリーだったではないか!
洋食自体がそもそもミクスチャーな食文化ではあるが、トルコライスがアジアとヨーロッパの交差点だったトルコをイメージしたように、ボルガライスもそうした多様な文化の入り混じる地域のイメージが重ねられているのは、集合的無意識的に間違いない。
ボルガーナは、もしかするとボルゴ・ヴァルスガーナのことかもしれないが、ボルツァーノの隣の県だし、いずれにしろオーストリアに近い。
オーストリア料理はドイツ料理と被るところもあるが、東ヨーロッパやバルカン半島の影響を受けたミクスチャー食文化である。
ウイーン料理にシュニッツェルというカツレツ料理がある。
カツレツはミラノ風カツレツのコトレッタ、ロシア料理のコトレータ、フランス料理のコートレットがあり、西洋諸国では珍しくない料理だ。
日本では福沢諭吉が「吉列 Cutlet コットレト」と訳し、「吉列」は広東語で「カッリッ」と読む。
ただし、米食はヨーロッパでは限定的で南ヨーロッパでは食べるが、ドイツ辺りまでいくとほとんど食べないだろう。
もしくはトルコ料理から流入したピラフくらいだろうか。
ヨーロッパにカツレツがあったとはいえ、オーストリア辺りでジョイントすることは有り得ないだろう。
ゆえにイタリアのボルガーナにボルガライスに似た食べ物はありえないと考える。
やはりボルガ川か?
ではロシアのボルガ川はどうか?
ボルガ川も、アジアとヨーロッパの分岐点的なポジションにあり、洋食文明のモデルとなる地理的な条件を備えている。
なによりカザフスタンとか中央アジアが近いので、ピラフのような米料理は当たり前のように食べてるだろう。
ロシア文化交流会みたいなイベントでプロフというのを食べたが、かなり美味かった。こういうやつ。
しかしオムライスが日本発の洋食なので、「ロシア西部のボルガ川流域の町でこの料理によく似た物を見た」という情報はかなり胡散臭い。
その情報が日本人の旅行者によるものなのか現地人によるものか定かではないが、ボルガ川にしろボルガーナ地方にしろ、かなりヘンピな場所の郷土料理がよりによって福井に伝わるのは、やはりどう考えても無理がある。
どこかのまかない飯が名物になったという説はそれなりに説得力はある。というかよくある話だし、それではつまらないので、着色されたのかもしれない。
大手コンビニエンスストアでメニュー化された際に、「オムライスをボルガ川を渡る舟に、とんかつを荷物に見立てた」と説明されたようだが、一応「アジアとヨーロッパの架け橋」をイメージできるので、トルコライス的な洋食イデオロギーの踏襲に成功している。その点ではハントンライス以上だろう。
また、日本人に想像し難いボルガ川流域を比定地にしたことで、そのミステリアスな魅力が「ただの洋食プレート」という実態を包み隠している。
メジャーな国名を冠したトルコライスよりも足が付きにくいだろう。
しかし、全国的に有名になればなるほど海外の観光客に眉毛を読まれるのは時間の問題である。
トルコライスに至っては、多様化する社会に沿うことのできる素晴らしいメニューであるが、トルコはイスラム教の国なのに豚カツを乗せてしまうという最大の過ちを犯してしまっている。
イスラム人口が過熱している今、我々は洋食の在り方を見直す時期に来たのではないだろうか。
ボルガライスにしろトルコライスにしろ、ちゃんと協会が存在しているので、敢えて苦言を呈するが、日本人相手の洋食にあぐらをかいていたら先は無いだろう。
B級グルメとか、ふるさと納税とか、翔んで埼玉とか、ローカル主義のムーブメントは継続中だが、洋食はもっと大きな可能性を秘めている。
そこで、協会とは別に私が勝手にボルガライスに隠された歴史を紐解き、世界に通じる洋食のリノベーションに貢献したいと思う。
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