ズボラなぼくが家事人間になるまでの話

子どもの頃は、一切家事をしなかった。専業主婦でキレイ好きな母が、1日中忙しく家の中をキレイにしており、ぼくたち三兄弟の部屋まで隅々掃除がされていた。ベッドのシーツですら毎日取り替えられていた。当然、包丁も滅多に握ることはなかった。

20代の頃は、できるだけ家事をしたくなかった。一人暮らしをしていて、仕事に遊びにエンジョイしていた。必然、部屋は荒れていた。掃除は先延ばし、料理はご飯を炊けばOK、水回りは黄色く。洗濯だけは一定頻度でやっていたが、出しっぱなしの洗濯物が雨に降られて洗い直し、みたいなオチはよく発生していた。

所帯を持ってからは、妻の指導の元家事をやるようになった。大好きな人と一緒に家を維持しているんだ、という高揚感が、家事の煩わしさを上回っていた。というのが正確な表現だと思う。一人ではやりたくないけども、一緒に庭の草むしりをしたり、棚を動かしてレイアウト変更してみたりということを休みの度にやっていた。

娘が産まれてきてからは、家庭内でやるべきことが倍増。超絶時短お父さんに変身して、朝は食事を作って布おむつを洗って家族を起こして会社に行き、夜も帰宅後部屋の片付けをして水回りもきれいにしてまた布おむつを洗って干して。という立ち回りをしていた。今思えば何がきっかけなんだろうか。と我ながら思う。

こういう成り行きがあったので「これが普通のお父さん像でしょ?」くらいに思っていたのだが、職場の同僚や友人に話してみると皆さん口を揃えて「素晴らしい!」と言ってくれる。嬉しい。そして驚き。
家事をできるだけ避けてきたぼくがいつのまにか習慣的に家事ができるようになっていたのだ。

家事にストレスがなくなったからには、そうではない人たちにノウハウを共有していくことが同じ人類として価値のある行動だろう。ただ、どうやることが最適か。「ぼくの経験ではこうです。だから皆さんもこうするべきです。」という話をしてもそこに再現性があるのかどうか疑わしい。一つとして同じ家庭も人生もないからだ。

個別の時短/整理テクニックを書き連ねることも、すでにたくさんの方がやっている。要するにその一秒を削り出して、ときめかなかったら捨てればよいのだ。語り尽くされたジャンルとは言わないが、今のぼくが価値を出せる分野ではないと思っている。

ただせっかく身につけた考え方やポリシーはある。これらを少し抽象度をあげてエッセンス的なものを書き連ねていくことで、共感してもらえたり、そこからヒントを得て実践にうつす人や、更に昇華させてくれる人が出てくるかもしれない。

なのでぼくの家事論的なものを展開してみたい。という風呂敷を広げることにする。本業では会社の業務設計・構築をしているので、少しそれっぽい雰囲気で書いてみたい。ただしこれについては毎日まとまったアウトプットが出せるか自信がないので、ぜひぼくのことをフォローしてたまに覗きに来てもらえると嬉しい(宣伝)

今考えている目次的なものは下記。当然、変わるかもしれないので生暖かい目で見守ってほしい。
・網羅的な家事の業務一覧ってないっすよね。
・網羅的でない以上、構造的に家事は非効率がある。
・暫定対応として部分最適をいくつか作り、後は運用でカバー。許容する。
・網羅的な家事業務一覧作成の勧め(いいのかこんな大風呂敷・・・)


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