眼鏡でもよくないか
これは、眼鏡人の自分が眼鏡でもよくないかという想いと、外見主義を根絶したい思想を書いた記事である。
「眼鏡をずっとかけてこの先一生を暮らしたいと思う?」
この質問を投げかけられて、私は素直に「はい」と言えなかった。
私は眼鏡をかけて過ごしている。眼鏡をかけ始めたのは小学3年生から。
かけ始めた理由は、目が悪いこともあるが、眼鏡に憧れていたからだ。
主人公の女の子が、眼鏡をかけた美少女だったという少女漫画を見て、憧れたのだ。漫画の内容としては、眼鏡を取ると超美少女!!というものだった。ドラえもんの映画でのび太が眼鏡を外した時のような感じ。こういう、眼鏡を付けていた時はパッとしない暗い印象だった人が、眼鏡を外すとめちゃめちゃイケメン&美少女という設定は多い。今思うと、眼鏡はデバフ、マイナス要素のように使用されている少女漫画を見て憧れるというのもおかしいが、当時は自分の「イメージを変えられる道具」という効果を無視した印象が強かったのかもしれない。
そこからいくつもの月日が経ち、周りの眼鏡人はコンタクトに変えていった。だが、私は今までずっと眼鏡をかけ続けている。
私が眼鏡をかける理由
それは、コンタクトが怖いという理由もあるが、世界と自分に一枚仕切りがされているという安心感と、安くて楽だからという理由が大きい。
世界と自分に一枚仕切りがされているという安心感
眼鏡は重いから嫌、付けてる感じが嫌、という意見がある。
しかし、私はむしろそこを気に入っている。
確かに、重い眼鏡は耳も鼻も痛くなるが、最近は軽い素材で作られているものが多いし気にならないと思う。そして、付けてる感じに関しては、付けることで外の世界と自分に境界線が引かれた感覚になって好きなのだ。ATフィールドみたいな…。私は一人が好きだし引きこもり気味なので、この境界線があることで安心感を覚える。眼鏡の重さや付けた感覚、視界に見える眼鏡の枠に安心感を感じている。
安くて楽だから
これに関してはコンタクトの値段をあまり知らないのではっきりと眼鏡の方が安上がりとはいえないが、最近の眼鏡は耐久性も高いし割れにくいので長く使える。今かけている眼鏡は4年使用している。JINSで多分4000円くらいで買った。
こういった理由から、私は眼鏡をかけ続けている。
そんなある時、面接の練習をする際に眼鏡をかけていることで質問をされた。
「眼鏡をずっとかけてこの先一生を暮らしたいと思う?」
この質問を投げかけられて、私は素直に「はい」と言えなかった。質問の意図がおそらく、私に「いいえ、眼鏡を外したいです」と言わせたいのだと気づいたからだ。実際、「いいえ」と答えると、相手の方は「もちろんそうだよね。一生眼鏡は嫌だよね」と話を進めていった。
私も眼鏡を外したい、コンタクトにしたいと悩むことはあったため、相手がそのような質問をしてきたことに対して理解はできた。しかし、そんな悩みも年齢を重ねるにつれ、眼鏡が楽なら眼鏡の自分を愛せばいいじゃないか、という気持ちが強くなり、結局今の今まで眼鏡人だ。
眼鏡をかけるデメリットに異議(感情論)を唱えたい
まずは眼鏡をかけるデメリットを上げてみる。
・真面目に見える、暗く見える
・目が小さく見える
・曇る
この他にも、もっとデメリットはあるかもしれないが、眼鏡派の今のところ私が思いついたのはこんなところだ。これに一つ一つ異議(ほぼ感情論)を唱えていこうと思う。
・真面目に見える、暗く見える
これに関しては多様性を認めてくれよ。多様性を重視する社会になれよ!!!真面目でいいじゃんか!暗くても必要最低限話せればよくないか!?人の印象は外見で決まるという話を聞くが、女性はメイクをしないといけないことと同じくらい眼鏡かけることでダメと言われることが嫌いだ。
外見主義の現代を誰か変えてくれ!!!!!!
・目が小さく見える
見た目を気にする人は嫌かもしれないが、生活するうえで楽なことの方が優先順位が高い私はあまりデメリットと感じない。目が小さいからって態度変える人の方の意識改革をするべきでは?これもこの世の外見主義を早く根絶してほしい。
・曇る
これだけは納得してしまう。マスクとか満員電車とか湯気とかで曇るのは確かに不便。でも、そういう時は眼鏡拭きで拭けばなんとかなるし、耐えられる範囲だと思う。めんどくさいけど、曇らないようにするために塗る液(?)みたいなのも販売されているし、コンタクトも目薬するし。
外見主義が嫌い
現代はSNSが広まったことの影響で外見主義が強く、男性も女性も整形を行う人が増加したり、小学生でメイクを始める人も多くなった。
整形もメイクも脱毛も、自分が好き、楽しいで行っていることに関しては何も問題ないと自分は考えている。むしろ、やりたいことはやるべきだと思う。
だが、それがもし、「一重が恥ずかしいから」であったり、「メイクをしないと不快に思われてしまうから」、「自分だけ腕毛が生えているのが恥ずかしいから」というような理由であれば、これらは全て外見主義の及ぼす悪影響であると私は考える。
整形もメイクも脱毛だって、全てお金と時間がかかる。特に、メイクなんかほぼ毎日行う人は少なくないはず。これらを行ったことで外見主義の現代は生きやすくなった、過ごしやすくなったというメリットはもちろんあるが、外見主義を根絶すれば、このお金と時間は別の趣味か何かに充てられるだろう。
先ほどの話ではメイクや整形のことだけしか触れてないが、本当はスーツなどの服装や髪型でさえも外見マナーを根絶したい。
多様性を認めるならまず人が生きやすい社会にするために服装や髪型自由にしてほしい。もちろん統一することの楽さはあるかもしれないが、そもそも失礼とか失礼じゃないとか、服装で定められるのがよくわからない。確かに裸だったりスク水とかピカピカ光ってる服だったらぎょっとするとは思うが、普通にショッピングモールとかで販売している服であれば自分は全然不快じゃない。バンドTシャツでもアニメTシャツでも別に不快だとは思わない。あくまでこれは私の価値観で、10人いれば10人違った価値観があるだろうし、この価値観を押し付けたいわけじゃない。だが、LGBT等の多様性を進めているように、こういう視覚的な多様性を認めていく社会であってほしい。
ある程度、社会的規範<個人の自由 という価値観、心の余裕があれば、生きやすくなると思うんだけど、やはり難しいのかな。
店員とかは帽子被ってれば客との差別化はできるだろうし。
こうした外見主義をなくすためにも、眼鏡をまずはポジティブに受け入れる社会であってほしい。今ではおしゃれとして使用している人もいる。眼鏡は目が悪い人がつけているものであり、補聴器や杖と同じように、必要だから使用している人もいる。コンタクトか眼鏡かは、選択肢の一つであり、そこに優劣などなく、ただ個人が使いたい方を使えばいいと思う。その選択を、否定しないでほしい。
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