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小さな食堂でウクレレ教室したら楽しすぎた話④フラの方々が押し寄せる、フラとは。

「ハワイの焼き鳥」というキャッチフレーズで「フリフリチキン」(ハワイがオリジナルのローカルチキン料理)のお店を開いてみたら、「ハワイ好き」の方々に続々とお見えいただいただきました。その中には、フラされる方もたくさんいらしていただきました。※フラとは、ハワイ語で「ダンス」という意味なので「フラダンス」というと「ダンスダンス」になりおかしいらしいです。「フラ」というとハワイのダンスのあれを指しますのでここでも「フラダンス」とは言わず、「フラ」と言うことにします。(「フラ・フラ・ダンス」だと村上春樹氏風の小説に!)

「フラ」を趣味にされている方は、とにかく「美しい」。その理由は、舞台で人々にじっと見られるものなのだからか、「美容」にも気を配っておられるからなのか、「お化粧」が上手なのか、または、楽しすぎて「幸せホルモン」に溢れておられるからなのか、

お付き合いしていて、どうも「幸せホルモン」だと私は結論付けたいです。

ぎゅうぎゅうで大盛り上がりの店内でのイベント


でもって、フラをする方々は、「アロハ(愛)」を生活の基軸にされているので、人間だから色々あるけど、概ね、心が広く、慈愛に満ちておられ、様々な場面で感動いただくことが多々あります。ハワイのご挨拶といえば、「アロハ」ですが。実はこれは、「こんにちは」ではなくて、出会った人みんなに「愛しています」と言っているのです。

最初に「アロハ」を「こんにちは」と訳した人が間違っていたと思います!②の「ウクレレと布哇音楽の歴史」にも書いたことですが、1820年にアメリカから宣教師が14名やってきて、ハワイに「キリスト教」が根付いたせいもあり、「アロハ」はみんなに「愛しています」とあいさつをしているのです。もともとハワイ(ポリネシア)の人たちがおおらかな性格でもあったことも大いに関係があると思いますが。※「目には目を!」でなくてよかったかも💦💦

ハワイには文字がなかったので、何しろ記録がない、(ちなみに日本では4世紀には文字があったらしいですね)色々調べていたら、1840年に遭難したジョン万次郎(日本人)が上陸したハワイでなんと「寛永通宝」を見せられたという記録があるから、日本人はすでに1840年以前に「ワイハ」に上陸していたらしいです。

閑話休題

言葉を文字におこして記録ができるようになり、1879年に弦楽器が入ってきて、それまで、歌われていたメレとかオリとかの古代の祈りのような詞が、讃美歌や西洋音楽の多大な影響を受け、現代ハワイアンミュージックとなり、「ジャズ」や「ボサノバ」「サンバ」のように「ハワイアンミュージック」のカテゴリーが成立するようになった中で、

フラも一緒に進化し、今も進化しつつあるのです。

宣教師が上陸する前は、上半身は裸で、楽器は打楽器と笛で、ダンスしていたようです。

それは今は「フラカヒコ」と言われていて、使われるのはハワイ語のみ。これが本当のフラだ、今はやりの「アウアナ(現代フラ)」とは一線を画すると主張するお硬い方もおられるようです。確かにそういう側面はあるかもですね。※キャプテンクックが見たカネフラ(男性のフラ)の様子が絵に残されていますが、18世紀後半、ウリウリを持ち足には犬の歯の飾りを巻き、ふんどし姿です。(「ハワイ音楽」内崎以左実氏よりの出典)

「アウアナ」(現代フラ)は、ハワイが観光化して成功を収めるための手段でありビジネスです。

調べていて、私が見聞きしたことと違う点が一つありました。それは、「メレフラ」。私たち周辺の者は、「メレフラしましょう」、というと、現代ハワイアンミュージック(ハパ ハオレ)を弦楽器などで演奏し、ダンサーさんがそれぞれ踊る、自由で楽しい時間を指していますが、内崎氏の「ハワイ音楽」によると、本来「メレフラ」は楽器は使わず、ハワイ語のみのオリ(朗誦)で踊ることだと。わたしの使っている言葉、「メレフラ」は「フラクイ(Mele Ku'i)」というらしい。(Ku'iというハワイ語は音を出すとか、魅力的にするという意味があるみたい)机上の文化人類学と現実には乖離があるのでしょう。※知らんけど💦

松田先生に伺いたいことがいっぱい。

ハワイアンカルチャー、特にフラやハワイアンミュージックを研究され、情報収集に毎月のように渡ハし、忙しくされていた松田先生(神戸市ジーンズアロハ教室主宰)にもっともっと教えていただいていたらよかった。本当に悔やまれます。昨年(2022年)イベントで訪れておられた周防大島で急逝されました。

松田先生とハワイでご一緒させていただいたときには、たくさんお話しいただきました。でも、私は、ハワイの友達に合ったり、食堂経営の視察が目的でしたので、音楽やフラのことは聞き流していました。


ペレの椅子が見えるアラン・ディビス・ビーチで楽しむ松田先生と生徒さん


松田先生は、ハワイアンミュージックの作者を探し出し、その歌ができたいきさつを本人や又はその家族から、「聞き取り」をされていました。そして、その歌が生まれた情景を目に浮かべておられたのでしょう、感動し目をキラキラ輝かしながら、わたしにお話ししてくださいました。

そのことを思い出し、今、私はひざを打ちます。

ハワイアンミュージック、そして、フラは、現代ハワイそのものなのです。歴史がないのではなくて、今、歴史を刻んでいるのです。

やっぱり、ハワイは面白い、魅力がいっぱいですね。

食堂は止めてしまったけど、ずっとかかわっていきたいです。

ハワイアンミュージック、フラ。











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