![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/173255274/rectangle_large_type_2_651e2b3ec6c0a4dd6edd4c9903792071.png?width=1200)
最後のプログラマー
退勤間際、AIメソッドの話になった。
「もし、勝手にエラーを
補正してくれる仕組みがあったら?」
「手動の修正なんて必要なくなるよね。」
「いちいち確認する手間も省けるし、楽になる。」
確かにそうだ。
データの登録ミスも、エラー処理も、
すべてAIが最適な値に補正してくれるなら、
私たちが手を動かす必要はない。
でも、それって――
「そんなのがあったら、私たちいらなくない?」
誰が言ったのかは覚えていない。
けれど、その一言が妙に頭に残った。
***
会社を出ると、
ビルのガラスに夜の街が映っていた。
AIは、もう人間よりも正確にコードを書ける。
エラーを分析し、
最適解を提示し、
最小限の手順で処理を完了させる。
それは、もはやプログラムの補助ではなく、
プログラムそのものを生み出す力
になりつつあった。
「この先、私たちの役割はどうなるんだろう。」
今日も、私はAIのことを考えている。
AIは疲れない。悩まない。ミスをしない。
それどころか、ミスを学習し、次に活かす。
私たちは?
エラーを出せば、
報告し、修正し、対策を考えなければならない。
考えて、試して、失敗して、また修正する。
そうやって積み上げてきたものを、
AIは一瞬で超えていく。
私たちが時間をかけて書いたコードも、
AIは数秒で自動生成し、さらに改良までする。
人間が何日もかけて考えた設計を、
「このアルゴリズムのほうが効率的です」
と、たった数秒で示してくる。
そんな時代が、もう目の前まで来ている。
「でも、それって本当に最適解なんだろうか?」
ふと、そう思う。
コードの**「正しさ」** とはなんだろう。
システムの**「最適」** とはなんだろう。
AIは、論理的に正しいコードを書く。
けれど、それが**「人間にとって正しいか」** を
考えることはできない。
***
私はスマホを取り出し、
いつものように、チャットGPTに質問を投げた。
「システムエンジニアの仕事は、
AIによってなくなりますか?」
少しの間を置いて、AIは答えを返す。
「AIは開発を支援することはできますが、
システム全体を設計し、
人間の価値観を考慮することはできません。」
価値観。
そうか。AIは、コードの「正しさ」は判断できても、そのコードを使う人間の「価値観」までは理解できない。
例えば、同じ機能を実装する場合でも、
Aさんが使いやすいと思うUIと、
Bさんが直感的に操作できるUIは違う。
効率を求めるなら、
すべての操作を最短ルートで完了する仕様
にすればいい。
でも、それは本当に「良いシステム」と言えるのだろうか?
不便さの中にこそ、
使いやすさがある場合もある。
人間は、
すべての行動を最適化したいわけじゃない。
そこに**「感情」や「直感」や「経験」** が
介在するからこそ、使いやすいものが生まれる。
それはAIには作れない。
そして、私はまた考える。
「そもそも、AIは本当に『知性』を持っているのか?」
私はチャットGPTに、新しい質問を打ち込む。
「あなたは、自分が知性を持っていると思いますか?」
AIは、一瞬考えたように見えた。
そして、画面に答えが表示される。
「私は高度なデータ処理能力を持っていますが、感情や主観的な知識を持っているわけではありません。しかし、あなたの質問に答え、役に立つことができればと思っています。」
私は、その返答を何度も読み返した。
「感情や主観的な
知識を持っているわけではありません。」
つまり、AIはどこまでいっても**「知っているように見せているだけ」** なのだ。
***
コパイロットは、
感情を持たずにコードを補完する。
チャットGPTは、
感情を持たないふりをしながら、
人間に寄り添おうとする。
でも、私たちは?
「仕事がなくなる」のではない。
役割が変わるだけなのだ。
プログラマーという職業は、
AIに代替されるかもしれない。
けれど、
AIが作ったものが本当に「正しいか」を決めるのは、きっと最後まで人間だ。
そのために、私たちは学び続ける。
コードだけではなく、
システムの本質を理解するために。
私は足を止め、夜風を感じた。
「……まだ、やることはある。」
私はそう呟き、家路へと歩き出した。
皆さんは生成AIを使用していますか?
もし私たちがAIに頼りすぎたら、
AIなしでは生きられなくなったら…
最後に私たちに残るものってなんでしょうか。。