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【番外編⑨】受け身すぎる子といたらいろいろ疲れた

どうも!わしです(^▽^)/
この記事をご覧いただきありがとうございます!
私は2014年に大学を卒業して社会人になった、
現在32歳、社会人11年目の会社員です。
私については↓の記事からどうぞ!

社会人生活10年の振り返りとして
noteに順番に記事を書いております!
この記事が初めてという方は是非、
マガジンに過去の仕事の記事も載せてますので、
ご覧くださいね♪

↓前回の記事


今回は番外編記事第9回!

前回の番外編記事は、


そして今回も学生の頃の話で、
時期としては2012年ごろ。
時系列的には、
番外編⑧よりも少し後になります。


まず前置きとして話をすると、
大学3年生から私はバスケの学生連盟
(学連)に入り、
大会運営をしていました。
大学のチームでもスタッフをしていたので、
二刀流という感じです。

だいたい春と夏(夏季休暇あたり)に
大会期間がありそこを中心に
ほぼ毎週、毎日大会運営で
体育館・スポーツセンターにいました。

当時大会のある日は
朝9時頃から夕方の18時ごろまで
体育館に拘束されていました(笑)
春はいいんですが、
夏場は暑くて空調がないところだと、
地獄のようなところでした(笑)

それでもバスケに携わりたいのと、
裏方として頑張りたいというのがあり、
ほぼ難なく乗り越えていました。


さて今回はこの学連活動で、
同級生の子に振り回された話を書きます。

学生の頃の話だからとはいえ、
こういう人にはなりたくないな~と
思えるような出来事でした。


私よりも先に学連へ入っていた

彼女の名前は『ポン子』。
大学は違いますが、同じ3年生で、
さらにコートネームが私と同じでした。

コートネームとは、
部活、チーム内で呼び合うあだ名のようなものです。
主に女子チームに多い文化で、
名前の被りがあったり呼びづらかったりするのを
カタカナ二文字程度にして名付けます。
女子バスケ日本代表の選手で例を出すと、
高田真希選手は『リツ』
赤穂ひまわり選手は『コウ』
だったりします(^▽^)/

学連だと、コートネームがあれば
コートネームで呼び合うんですが、
まさかの入った瞬間から被りがあったので、
お互い下の名前で呼ばれることになりました。


ポン子は大学からバスケを始めた子だった

学連では試合の
TO(テーブルオフィシャルズ)
を任されることが多かったです。

特に上位の試合になってくると、
スーツを着てTO席に入ることになります。

※最近バスケにほぼ関わってないので、
 TO委員会できてるの知らんかった・・・(笑)

私が初めて学連の仕事をしに行った日は、
ポン子とも初対面であったし、
試合も上位の試合でした。

そしていきなりTO席の仕事を
1試合分任されました。

とはいえ私も大学のチームでは
スコアも書いていたし、
書き慣れていたのでTO席でのスコアラーも、
問題なくできました。


しかし別の試合でポン子がTO席に入った時は、
書くのが難しいのか先輩のサポートがないと
書けないくらいのレベルでした。

というのもポン子は、
大学生になってからバスケを始めた初心者。
(でも3年生になってたから初心者か・・・?)
そのレベルでスコアラーをさせるのもなぁ・・・
とか思っていたんですが、
学連の仕事だから仕方がないですね(;^_^A

チームの試合の時だと、
だいたいはマネージャーの人が
ベンチで書いていることが多いので、
選手をやっていると書く機会も少ないかもしれません。
中学や高校の試合の時に、
下級生が書くことは多いですけどね。
(私も中学の頃は書いてました)

ちょっと先輩も厳しかったのもある

学連ではTO席で
タイマーやショットクロックの操作、
スコアラーができないといけませんでした。

そして私やポン子の1個上の先輩たちは、
1年生の頃から学連活動をしていたので、
出来て当たり前、書けて当たり前のような
感じでした。

まあまあ厳しい(笑)

ただ、どうしても通る道ではあったので、
ポン子も覚えようとはしていました。


私がまた別の試合のスコアラーに入っている時、
ポン子は私の横についていましたが、
メモを取ったり質問をしてきたりすることは
ありませんでした。


でも、
それから事あるごとにポン子からは、
「スコアの書き方を教えて!」
と言われました。

これは学連活動以外の時でもです。

ただ、私とポン子は大学も違うから
なかなか会えないし
学連の集合の日(週1でありました)も
体育館にいるわけじゃないから教えられないし、
何なら別の仕事をしているし、
うーん、どうしよ。っていう感じでした。


自分の大学のチームで、
書ける子から教えてもらえばいいのに。


意欲があるのは分かるけどね。
先輩もこのポン子については、
私が入る前からも少々手を焼いていたらしいです。


基本人任せなタイプだった

私とポン子と先輩は、
学連で総務の仕事を担当していました。

大会案内をチームへ配信したり、
各チームの窓口の人へ連絡したり、
会議案内を送ったり、
資料作りをしたりしていました。
大会当日は受付や掲示をメインにしてました。

当時、総務の先輩(以下エリさん)
は4年生。
教育実習に行っていた関係で、
週に1回の学連集合の日では、
入って間もない状態で
引継ぎ資料を見ながら作業をしました。

時々電話でエリさんと
やり取りすることもありましたが、
基本的に教育実習優先だったので、
毎回細かく連絡をすることができませんでした。


私は1,2年生の頃に、
チームとして同様の案内を受けていたことがあって、
ある程度の要領は分かっていました。
「あ、この時のお知らせかな」
「こういう書類かな」

みたいな感じで思ってました。


私が結構必死にエリさん作成の資料を見ながら
作業をしている中、ポン子は何もせず・・・
ただ私が資料に目を通したり、
エリさんと電話しているところを見たりするだけ

なんだか私の指示を待っているような感じでした。
別に私は先輩でも何でもないのに・・・。


大会の日にポン子が行方不明になる

夏季の大会シーズンが始まり、
朝早くに会場(体育館やスポーツセンター)
へ行って、部署ごとに準備していました。

私が担当していた総務は、
受付エリアを作ったり貼り紙をしたり。
他には競技部だとコートを整備したり、
ゴールを出したりTOに必要なものを出したり。
あと報道部はPCやプリンターの準備。
審判は審判控室の準備をしてました。
結構この辺は分担されてましたね。


私は大学のチームに所属していたので、
試合がある時間は学連活動を切り上げて、
チームのアップから合流してました。
これについては事前に学連にも伝えているし、
他の学連メンバーでも同様の子はいたので、
だいたい1試合前からは抜けていました。
試合がある日はかなり忙しかったですね。


毎朝、各試合のコートの
TO席の後ろに立つTO担当というのを
決めていました。

ポン子ももちろん、
TO担当をやってましたが、
全然役に立っておらず
エリさんから注意されていました。

結局この時点でも、
スコアの書き方を分かっていなかったので、
TO席のスコアラーの書き方が違ってても
何も気づくことができなかったようです。


そのエリさんの注意の仕方も、
大会初日にしては結構キツイな~
とか思ったので、
内心ポン子も大丈夫かな?と
思っていました。


・・・そこからポン子、行方不明(;^_^A
(でも会場内にいるのは分かってた)

私も会場内を探しても見当たらなくて、
ケータイで連絡をしたら、
トイレの個室にいることが分かりました。


確かに会場内のトイレの個室にいました。

体調が悪かったのか、
すごい辛そうな表情をしていました。
だからエリさんと一緒に更衣室へ連れて行き、
ベンチで横にさせました。


ポン子もガチで体調を崩していたのか、
注意されて嫌になって不貞腐れていたのか
その辺はよく分かりませんでしたが、
とりあえずダルそうでした。


結局この大会初日は、
ポン子は学連の業務をほとんどせずに、
休んでいました。
私とエリさんで、
「どうしたもんかね~」
みたいな状態になってました(;^_^A


翌日、ポン子は一応来ましたが、
ほとんど学連業務をやらずにいたので、
またエリさんから怒られていました。

結局本人にとってもダメだったらしく、
途中で帰ってしまいました。



ポン子、連絡を完全無視する

その次の日も普通に大会は続いていました。
何なら当時、2週間(14日間)連続の
日程だったと思います。
相当過酷な日程です。

もちろん朝の集合時間は同じですが、
ポン子は無断欠席。

ポン子は選手でもあったので、
チームの練習には行っていたようです。
このポン子の大学の監督が、
学連の関係者で、ある程度の話を
他の先輩が聞いていました。


そしてその翌日がポン子の大学の試合日。
普通にポン子も会場にいました。
チームでまとまってはいましたが、
学連側に来て挨拶することも、
顔を合わせることもしませんでした。


多分何とも思っていないのかな・・・。


ちなみにポン子の大学は、
そこそこレベルが高いチームでした。
ポン子は先述した通り、
大学からバスケを始めた子なので
試合に出られるレベルではありませんでした。
勝ち試合であれば試合に出られる感じ。

私がポン子に学連のことについて
連絡をしても返事がない。
そして電話しても出ない。

(先輩から、”同い年だから連絡して”みたいに言われて連絡してた)

完全に学連については
後ろ向きなのかなと思いました。

まぁほぼボランティアでやっているようなもんだし、
バイトのように時給が発生するわけじゃないから
キツイなと思えば仕方ないけど。

ただ、辞めたいなら辞めたいで
そのことをきちんと伝えるべきだと思うし、
成人しているいい歳した学生なんだから
自分のことくらい自分でやってくれという感じ。


結局、人がどれだけ手を焼いても
何とも思わないのが腹立たしくなってきました。

それをエリさんや他の先輩たちに
相談しましたが、皆同じような意見でした。
どちらかというと、
先輩たちも私の擁護をしてくれている感じ。

そうだよな、
やるべきこともやらずに、逃げているんだし。



結局そこから1週間ほど経って、
ポン子の大学の監督を通じて、
ポン子が学連を辞める連絡がきました。

こういうとき監督が学連関係者だと便利よな。

あと、ほどなくして
大学のチームも辞めていました。
多分練習とか諸々についていけなくなったそう。


ここで私も、
ポン子とは二度と会うことはないかな
と思っていました。



何事もなかったかのように連絡

そしてポン子が学連を辞めて数か月後。

学連も代替わりして、
先輩たちが引退しました。
私も下に後輩ができました。
とはいえ私自身も歴が短いから、
慣れない状態で後輩たちと一緒に
仕事をしていました。
比べちゃいけないけど、
ポン子よりも何倍も理解力があって、
協力的な子たちでした


ある日、ポン子から私にLINEが来ました。
特に学連のことに触れることはなく、
なんかポン子が私に会いたいからという理由で、
なぜか私がポン子のいる大学へ
行くことになりました。

何をしゃべったのか全然覚えてないですが、
ポン子の大学のカフェで
1~2時間くらい喋ったのだけは覚えてます。


何で会っていたんだろう?笑



私は4年生の最後まで学連をやって
(約2年)
大学も何とか卒業し、社会人になりました。


誘ってくるけど全部「来て」

大学卒業後、またポン子から連絡が来ました。
バスケの試合を見に行きたいからという
理由で私を誘ってきました。
相当バスケは好きなのかなと思いました。

また別の時も、
バスケに誘ってきました。
私が一人暮らしを始めてからは、
バスケ自体をほとんどやっていなかったので、
バスケをやりに行きました。

場所は結構遠かったけど・・・。


ただ、ポン子が誘ってくる割には、
私の家が遠いから、
その目的地の最寄り駅まで来て欲しい・・・
というお願いが多かったんです。
それで、そこからポン子が車に乗せてくれる感じ。

大学へ行った時もそうだったな・・・。

まぁ車で駅まで送迎してくれるのは、
ありがたいんだけど・・・ね。
そこに文句言うなら行くなよってなるけどさ。


私は仲良いとは思えなかった

ここまで書いておいてあれですが、
正直ポン子とは仲良いとは思わなかったし
めっちゃ仲良くしようとも
思っていませんでした。

だって学連のことあったし(;^_^A

なんか、ポン子に対して時間を割くことに、
無駄を感じてきました。

ある時にはLINEで
「エステ興味ない?」
と言われたこともあったし、
「わしちゃんとUSJ行きたい!」
とも言われたこともありました。

エステは興味ないし、
変なビジネスの誘いとかでこりごりだったので
断ってました。

USJも交通費や入場料高いし、
そこまで仲良くない人と行っても
楽しくないし。
だから適当に理由をつけて断っていました。

その連絡が何度も来るので、
しつこいなと思い、
SNSも全部フォローを外して、
LINEもしれっとブロックしました。

LINEブロックする前にも
突然LINEが来たかと思えば
「わしちゃん結婚したのー?」って。
※多分生保レディ辞める頃にもらった
 花束の写真をアイコンにしてたからだと思う

構ってくれる友達いなかったんかな。
でもそういうところなんだよな。

その後もインスタに何回か
フォローリクエストが来ましたが、
全部拒否しました。
拒否してもフォローしてくるのは
なんかしつこかったな~。



なんだろう、
いろいろとズレている子だった。
ポン子。



学生時代の話なので、
基本的に私も学生の感覚でしたが、
それでもポン子の言動は、
それはないな・・・って思いました。


相手を思いやれなかったり、
周りの気遣いに気付かなかったり、
都合が悪ければ逃げたり、
時間が経てばなかったことになってたり・・・。


社会人でもこういうタイプの人間て、
敬遠されがちですよね。

全て相手ありきのことではありますが、
相手を思いやれて
周りの気遣いに気付けて感謝できて
事実としっかり向き合っていれば
何事も柔軟に進むと思うんですよね。


まぁこのポン子のような性格の人に、
改善してもらおうと伝えたところで、
100伝えてどれだけ伝わるかって世界ですけどね。

まだ当時は学生だったけど、
学生同士でも許せないことは許せないよね~。


こういう人って、
社会に出てからも苦労しそう。
働けるけど、
周りに人が集まってこなさそうというのか・・・。


そういえば4年生の時に、
上位チームの選手の子と仲良くなって
いろいろ話してた時に聞いたな~。
「去年(3年生の頃)のあの子(ポン子)
すごい変わった子だった。」

って。
学連選抜のチームに帯同して、
大会に行った時なんだけど、
全然役に立たなかったみたい・・・。


元々ポン子は、
人に尽くすというのが苦手というか
そういうタイプではなかったのかもしれないね。
だから受け身なことが多かったのかも。
そうだとしたら、いろいろ納得。


それでは、次回の記事もお楽しみに!


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