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自己紹介②
地元の病院を辞める時、私は看護自体が嫌なのか、この環境が嫌なのかよく分からない状態でした。
患者さんともっとゆっくり関わりたい。慢性期病院で働くのはどうだろう?と思い、心機一転!大阪へ進出して派遣ナースとして慢性期病院で働くことにしました。
その病院は古くて、狭い部屋にベッドをぎゅうぎゅうに押し詰め、おむつ交換はカーテン開けっぱなし。とてもいい環境とは言えない病院でした。しかし、寝たきりでもお話できる患者さんが多く、同じ年頃の派遣ナースたちと仲良くなったので、なんだかんだ楽しくやっていました。
定時で仕事が終わるので、終わったらイラスト描こうかな~なんて思っていましたが、結局仕事終わりは仲間たちと飲みに行ったり、ユニバの年パスをとってハロウィンパーティやクリスマスを見に行ったりと大阪を満喫しておりました。
しかし、やっぱりその病院の方針には賛同できない。1年間の勤務でしたが自殺や火事が起きたりと事件にまみれた場所だったので、離れることに。
「慢性期病院だったらやっていけそう」と思ったので、今度は綺麗な小規模の慢性期病院に正社員として就職しました。
そこで待ち受けていたのは、40~50代のベテランナース達。当時私は29歳でしたが、その中では一番下っ端。若いのに何でこんなところに来た。そう思われている気がした。
患者さん達も前の病院とは違い、お話できない方が多かった。1人で十数名の患者さんを受け持つため、一人当たりにかけられる時間は少なく、時間内に終わらせるだけでも精一杯。
仕事は遅いし、コミュニケーションも上手くできない。気が利かない。ちょっとしたミスが重なり、段々他のナース達から悪口を言われたり、怒鳴られたり、いじわるなことを言われるようになりました。
そんな環境の中で、私はただ心を閉ざして作業しているだけの人になっていました。
一方、プライベートでは「そろそろ結婚したい!」ということで婚活を頑張っておりました。旦那と出会い、あれよあれよという間に結婚・妊娠。世の中はコロナ禍に突入。出産を理由にその病院を辞めました。
出産日までの3か月。子供を産んだら、今後イラストを描く時間なんて無くなるかもしれない。そう思った私はイラストを描きまくりInstagramにUPしていた。
すると、「アトリエのグループ展に参加ませんか?」とのDMを多くいただいた。ちょっと怪しいけど…こういう人達に声を掛けられるってことは、「私イラストレーターになれるかも!!」と期待に胸を膨らませた。「子育てしながらイラストレーターとして活動しよう!」と決意したのです。
つづく