ウェイトに捕らえられた獣/マルセイユに遺された力
雲を裂く陽光の
なんとあたたかな事か
太陽万歳!!!!(あいさつ
ウェイト版の発表がなければ
今日の様にタロットは
広く人の手に取られる事は無かった。
ウェイト氏の偉大な功績だ
そうでなければ、マルセイユ版は
歴史的資料として保存されしまい
広く流通する事は無かったかもしれない
今回はそんなウェイト版とマルセイユ版の
関係について一つ掘り返してみようと思う。
さて、ウェイト氏は
生命の木や西洋占星術等の象徴を取り込みながら
ウェイト版を開発した
そのかいあって
ウェイト版は占いの道具として優れ
初心者への間口も広くそして奥深い、
多数の象徴をもつ非常に魅力的なデッキとなった。
しかし私は、それ以前のデッキにあった
ある種の魅力が引き継がれなかった様に感じる
その魅力とは
正義と剛毅を入れ替えた事で失われた
獣の力だ
そして、抗いがたい物に抗う力強さと、
その不屈の精神を表現するために、
剛毅は運命と刑死者の間にあるべきで、
運命と刑死者の間にあってこそ、
この魅力が引き立つのだ
私の言う、この獣の力とは
荒野に立ち、運命に縛られ、それでも生きる生命力だ。
吊られ、捌かれ、実現しない力だが
強い意志を持ち、爪を研ぎ、この獣は待っているのだ、
本能のままに力を振るうべき時を。
しかしながら、正義と剛毅を入れ替えた事は、
獣の力が正義の器に収められ、
残された荒野に、正義の秩序が敷かれたかの様だ
実際、ウェイト版の剛毅のカードは
欲望・恐怖・本能を
理性の力で飼いならす様な解説をされることが多い
そして現実社会でも、
理性的ないし合理的ではない事物は
社会秩序によって矯正されてしまう事だろう
しかし、マルセイユ版に遺されたこの獣の力こそ、
社会秩序によって矯正された我らに足りない力であり、
だからこそ、我らにとって魅力的なのだ
ここまでウェイト版に引き継がれなかった事に書いてきたが、
冒頭にも書いた通り、ウェイト版が世界に広がったからこそ、
その原種としてのマルセイユ版も生き残り、
その結果、獣の力が我らに遺されたのだ
決してウェイト版とその製作者の功績を忘れてはならない
本当はルビとか入れて
分かりやすくしたかったんだけど、
カッコ悪かったので止めた。
でも最後まで読んでくれた人の為に
おみやげとして
このあとがき的なところに書く
私が言う、この獣の力とは
荒野に立ち、(隠者)
運命に縛られ、(運命)
それでも生きる生命力だ(剛毅)
吊られ、(刑死者)
捌かれ、(死神)
実現しない力だが
強い意志を持ち、爪を研ぎ、(節制)
その時を待っているのだ、(悪魔)
本能のままに力を振るうべき時を(塔)
マルセイユ版は2次元の中に
淀みなく時間が流れてる非常に魅力的なデッキだ(自己解釈)
とっつきにくい上、解説本も少ないので
決しておすすめはしない。
しっかりウェイト版を学んで、
それでも正義と剛毅の順番が気に食わなかった人だけが
探究したら良いだろう
さて、
我らの獣がいつか太陽の元にありますように。
太陽あれ!!!!(あいさつ