スートのニュアンス補足・カップ編―カップの9と10ってどのくらい違うの?―
秋の恵みは
太陽の恵みだ!
今日も米が旨い!
命に万歳!!
太陽万歳!!!(あいさつ
タロットに触れ始めた頃は、ソードが四大要素のなかで他のスートと微妙に被ったりしてて、ニュアンス違いでソードになっただけかな?って思うカードがあると思う。
いや、確かに意味違うんだよ?
わかってるよ、それはそうなんだけど。
ソードはしょっちゅう悲しむ、でもカップも悲しむ。
感情はカップの役割じゃないのか?!
ソードとワンドに至ってはどっちも武器なんだから、
戦わせておけば良いじゃんって感じになってるし!
そんな感じにスートの役割に曖昧さを感じてる人に向けて
スートの全体像を触っていきます。
今回、まずは解りやすいカップから行きますね、
カップだと9と10の差別化が難しいと思った人がいるんじゃないかな?
最後まで読んでくれた時にはハッキリ区別がついてると良いんだけど。
カップの役割は、男女の愛情、親心、友情。この辺は代表的だね
ウェイト版だと幸運とかも入るけど、私のスタンス的に、運気は「愚者」限定なので今は飛ばします
で、この役割に1つ補足したいのが、
カップはキリスト教で言うアガペーとかの
上から来る愛を受け取る器って事。
この事を意識しながらもう一度ウェイト版のカップを見てほしいんだけど
天に掲げるカップ3
天にあるカップACE・4・7・10
地に置かれたカップ4・5・6・8
台に置かれたカップ6・9
倒れたカップ5・8
手渡すカップ2・6
どう?
ニュアンス変わった?
人同士の水平展開された愛情だけにフォーカスするより
味わい深いよね。
ちょっとづつ語っていくね
カップのACEにある鳥が鳩に見えてくる、そしたらキリスト教の聖霊だよ
カップの2は、正に「汝の隣人を愛せ」って感じが追加されるでしょ
カップの3は隣人より広い範囲の人で愛を受け取り分け与える感じ
カップの4は、神の愛を見失って、何かの喪失感を覚えている様に見える
カップの5は、神の愛を受け取るべき器が残ってる事を見失ってしまった様に、背を向けて倒れてしまったカップを見て後悔しているっぽい
カップの6は、幼い頃に立ち戻り純粋な愛を受け取った記憶を思い出した様だ(そういう思い出こそ香しいもんだよね)
カップの7は、誘惑の中から真の愛を見出した様だ、この人はもう迷わないと思う
カップの8は、地に置かれたカップ(人間関係)を離れていくところから、俗世から離れて巡礼の旅に出る様に見えるね
(ウェイト版は赤を情熱とするので、巡礼者は使命感に燃えている様だ)
そして、差別化しずらいカップの9と10ね。
カップの9は神の愛を受け取る用意が完成している様に見える。
頭より高い位置に並べられたカップに今にもワインが注がれそうだ。
彼は神の愛を確信しているので、苦労を苦労と思わず、
愛と奉仕に生きるのではないかな?
カップの10は、地上で、人間関係の愛が満たされているを表して、
空では、天が神の愛で満たされている事を示してるんだろうね。
神の愛に満たされ、家族愛にも満たされてる。
きっと夫婦円満かつ子供との関係も良好で、人格も立派。
この満たされた状態なら
この先の人生でどんな艱難辛苦があろうとも乗り越えていけるはず。
神の愛って視点が入るとカップの9と10の差がはっきりしたんじゃない?
カップの9は、8で旅に出た巡礼者が旅の終わりに、
これから奉仕活動を始める、あるいは始めたって感じよ。
神の愛を受け取ったから、今度は人に愛を広める感じ
カップの10は神の愛と人の愛、両方を満たした状態。
これから先も愛を試されるだろうけど、きっと乗り越えられるよ。
みたいな感じ。
神の愛と幸運は別物なのでそこんとこヨロシク
どうかな?
カップのイメージが補強されたならいいんだけど
「小」アルカナだからって、「大」アルカナより
メッセージ性が薄いんじゃないかって思ってた人いない?
そんな事ないよ。
タロットは78枚全部が大事なのさ!
「太陽」>ふーん
多々見透>あ、いえ……太陽万歳!!!!(やけくそ
我らの魂に太陽あれ!!!!