夫婦の交換日記①
〜日向ゴールデンハイツ 3階 303号室前〜
ドアノブに手をかけて、引っ込める。
憂鬱だ…
いや、俺が悪いんだけども。
ふと左、右、と横を伺う。
誰もいない。
とはいえ…
ドアの前に立ち尽くす男怖いよな。
いい加減入るか…。
深呼吸をする。1回…2回…
ガチャ…
!!!!
ドアが中から開いて
美玖が表情なく見つめてくる。
「何してるの」
なんで、わかったんだ。
「ごめん」
美玖はすぐに翻って家の中に入っていく。
前を歩く美玖の轍を辿りながら。
とにかく謝らないと…
その考えだけが頭をぐるぐる回っていた。
リビングにつくなり、頭を深々と下げる。
美玖の顔は見えない。
が、おそらく俺の方を見ていない。気がした。
ゆっくり頭を上げる。
予想通り、美玖は俺に背を向けて立ち尽くしたままだった。
壁にかかった時計。針は10時半を指していた。
沈黙が続く。針の音だけ。
カチカチカチ。
離婚のカウントダウンみたいだな。
嫌な考えが浮かぶのを慌てて打ち消す。
「仕事終わらなくて…」
きっと美玖からは話さない。
絞り出すように言葉を紡ぐ。
「結婚記念日、忘れてたわけじゃないんだけど…」
テーブルには豪勢な料理がずらり。
香りがしない。匂いはする。
嗅覚は気分によって、性格を変えるらしい。
「うん、別に怒ってないから」
「ここ最近、インフルかかる人増えてて、人手が」
美玖が振り向く。
「だから!怒って…」
怒りを封じ込めるように、口を固く結ぶ美玖。
目は涙の表面張力でいっぱいいっぱいだ。
ベッドは1つ。2人で入る。
今日は背を向けて寝た。
眠りを抜けると
そこは昼過ぎだった。
確か今日は同窓会。
同窓会前に小坂と遊ぶとかで
家を出る予定だった。
・・・・・・・・・・・・・・・
いつの間にかソファで寝ていたようだ。
外は真っ暗。
スマホが鳴ってる。
これで起きたのか。
画面には小坂菜緒。
美玖の親友で、俺の大学の同級生。
小坂のおかげで美玖と出会えた。
「はい」
「あ、〇〇くん。小坂です」
小坂に色々話したんだろうなぁ。
スッキリしてくれてるといいけど。
「美玖、帰ってきた?」
「いや、まだ」
「そっかそっか」
「え、なんかあった?」
「ううん、心配させてごめんね、なんもないよ」
少し間が空いて
「喧嘩したんだって?」
「俺が悪いんだけどね」
少し間があいて
「夫婦のことだから、私が何か言うのは違うと思う。
けどね一つだけ。美玖の話、聞いてあげて?」
もっと美玖とコミュニケーションを取るべき、ということだろうか。
「うん」
「ちょっと、びっくりするだろうけど、受け入れてあげてな?」
少し笑いを含んだ関西弁は
俺の思いとは裏腹に随分ポップだった。
「え?う、うん。わかった」
美玖と小坂は何を話したんだろうか。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
小坂との電話から10分後。
ガチャガチャ。
ひどく乱暴にドアを開けるような音が聞こえる。
なんだ…まさか…泥棒か…
悪いが金目のものは何もないぞ。
「ただいま〜〜〜」
美玖の声だ。
急いで玄関に行くと、とろんとした目の美玖がそこにはいた。
大分、酔っている。
ここまで酔うのは珍しい。
酒に弱いからこそ1杯や2杯で必ず切り上げる。
「ああ〜〇〇だぁ〜」
力が抜けてふにゃふにゃの体のまま
こちらにしなだれかかってくる。
「随分飲んだな」
「浮気してなかったかぁ〜〇〇」
「してないよ」
「私はね〜、不安なんですよ〜」
「え…」
「私のこともう好きじゃないのかなぁとか、別れたりしちゃうのかなぁって」
そんなことない、と強く言おうとしたとき
美玖はハンドバックに手を突っ込み
ガサゴソしている。
「だから、これやろ〜」
なんのだから?
え、これは
日記?
「と、とりあえず中入ろうか」
ずっと玄関先でバタバタしている。
美玖をソファに座らせた。
目の前の低めのテーブルに水を置く。
「はい、お水」
美玖は首をブンブンと横に振り
「いらない!」
美玖は再度、日記を出して机の上に置く。
「交換日記しよ〜」
「え、交換日記?」
「書こ!私書いた。あとで読んで〜」
美玖はフラフラと立ち上がる。
「おっと」
躓きそうな美玖を支えて寝室まで連れて行く。
ベッドに入ると、すぐに静かな寝息を立てている。
テーブルに置かれた日記を開くと
美玖の綺麗な文字がつらつらと。
②に続く