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「俺の人生に彼女なんて必須じゃない」とか言ってた頃のハナシ

 こんにちは、ぽよです。


ナレソメ予備校のこんかちゅぱんだちゃんの記事を見て、そういえば自分にも似たようなことがあったな~と思い出し、この記事を書き始めました。かつて私も「結婚だけが幸せじゃない」とか「彼女いなくても別に平気」なんて言っていたなあ。


↓ぱんだちゃんの記事


 私は現在新婚真っただ中の32歳ですが、28歳くらいまで結婚のけの字もないほどの大非モテでした。しかし恋愛はしたかったのでマッチングアプリもやってましたし、大学や高校の知人女性に声をかけたりはしていました。リアルの知人は私の中身を知っているのでまだ会ってくれるのですが、アプリともなるとルックス下の下の私は連戦連敗でしたね。いいねを100件送って3~4件くらいマッチ、そのうちの1人がメッセージを返してくれるかどうか、、、みたいなレベルです。その1人さえメッセージの途中で全然返信来なくなったりしていたので、弱男中の弱男でしたね。かわいそう。

 ぽよがどうして弱男だったかって、女性と付き合うためにプライドを捨てられなかったからでしょう。「女に媚びて奢ると女を調子に乗らせる」とか「歩くのが車道側でも歩道側でも車突っ込んできたら死ぬのに何を細かいことを気にしてるんだ」とか、今にしてみてもモテないのが丸わかりです。


 そんな非モテ生活をしていた私に生じたのは、一つの感情でした。

「俺はアセクシャル、あるいはバイセクシャルなのかもしれない」

 全く意味不明ですが、当時の私は真剣にこう思っていました。「思い返せば俺はバイト先の男の先輩に憧れてたこともあったしな」「俺は恋愛よりも一人旅の方が大事だから恋愛は不要かもな」などと色々な理由を根拠に、本質的に女との恋愛は俺にとって不要なのだ、だからこんなに恋愛に対して本気になれないんだ、女性に寄り添った思考ができないのも無理はない、と真剣に考えていたなあと。

 しかし、これは本当に私がアセクシャル・バイセクシャルだったかというと、おそらくそうではありません。これは、私の心に「合理化」という防御機構が働いていたのだと思います。この時の私の心理の分析について書いていこうと思います。



1.合理化とは何か

 人間が自分の心を守るための機能としてフロイトにより提唱され、ヴァイラントという学者によって整理された心理的機能の一つです。勤勉な方は覚えているかもしれませんが、だいたい中高の保健の教科書に載っています。

防衛機制について


 合理化とは、端的に言えば「自分が達成できなかった欲求に対して、その欲求が満たされなくてもよい理由を考えること」です。

 彼女が欲しいけどなかなかできなかった私は、「彼女ができないんじゃなくて、彼女が別に欲しくないからできなくて当然なんだ」と合理化したわけです。この合理化によって「彼女が欲しいのに彼女ができない非モテな自分」という事実から目を背け、非モテとして心が傷つくのを避けたわけですね。自分の心が傷つきそうになったとき、その傷を避けようと我々の心は無意識下で事実を捻じ曲げるのです。



2.身近によく見る合理化

①体の関係を持った人を好きになってしまう

 大学とかでよく見るアレです。飲み会やらなにやらの勢いで、付き合ってもないのに体の関係を持ってしまった時、異性を好きになってしまうケースです。
 このパターンは女性によくみられるのですが、前提として「自分は付き合ってない人や好きではない人と体の関係を持つような軽い人間ではない」という認識が根底にあります。しかし酒の勢いでワンナイトをしてしまった場合、「自分は軽い人間ではない」という認識と「ワンナイトという軽い行動をしてしまった」という事実が食い違います。この時、自分は軽い人間だと思われたくない!という心理により、合理化(認知的不協和の解消ともいう)が起こります。具体的には「ワンナイトの相手の事が好きである」と事実を湾曲させるという事態が起こります。そうすることで、「自分はワンナイトする軽い人間ではなく、好きな相手だから体を許した。決して軽い人間ではない」と心が傷つくのを防げるわけですね。


②「俺絶対ADHDだわ」

 我々の周りにあふれている数々のネット記事や胡散臭い心理テスト。そのいくつかを挙げて「ADHDの特徴に俺めっちゃ当てはまってる!だから俺いっつも遅刻するんだわ~」みたいなことを言う人、たまにいるじゃないですか。アレです。
 いわずもがなですが、約束を破ったり時間を守れなかったり整理整頓ができないのはシンプルにだらしないです。しかし自分がだらしない、周りよりも何らかの能力に劣っていると考えたくないので「自分はADHDだからだらしないのはしょうがない」というレッテル貼りをするわけですね。

※もっとも、人格の発達していない人にとってこの行為はアイデンティティの確立行為である可能性もあるので注意が必要です。簡単に言えば自分のキャラを立てるためにADHDというレッテルを利用してADHDキャラの確立を狙う、といったことですね。アイデンティティの確立は、教育心理学、発達心理学においてよく扱われる概念です


③「今回の期末テスト、難しすぎる!こんな問題出すなんておかしい!」

 勉強嫌いの方なら一度は口にしたことがあるであろうこのセリフ。これも合理化の一種でしょう。
 ここでは、テストの点数が低かったという事象によってタイトルのセリフが発生します。テストの点数が低いというのは、我々日本人の学校社会において「頭が悪い」を意味します(実際そんなことはないのだが、なんだかそんな雰囲気があるよね)。しかし当然誰しも自分の頭が悪いなんて信じたくありません。そこで「私の頭が悪いのではなく、テストが難しすぎるのである。だから私の点数が低くても、私の頭は悪くない」と合理化をすることで、心のダメージを和らげているわけですね。また「このテストで点を取れるくらい勉強しなければならない」という事実から目を背けたいというのもあるでしょう。「このテストは難しすぎるので、このテストで点を取れるほど勉強する必要はない」と。勉強嫌いであれば、勉強しなければならないという強迫感を、合理化によって解消するわけですね。心のどこかではそんなことはない、とわかっているはずなんですがね。人間、弱い生き物です。


3.合理化で幸せにはなれない。自責で動くべし

 結局、彼女が欲しくないのだと合理化をしていたぽよは、全くもって彼女が欲しかったわけです。しかし自分の心が傷つくのを避け、「彼女はいらない」「俺はアセクシャルだ」と強がっていたのです。悲しいモンスターだ。

 「自分の心を守る」ことと「彼女が欲しいという欲求を叶えること」のどちらが一体大切なのか。ここに明確な答えはありません。しかし、少なくとも私は「プライドが守られて彼女がいない生活」と「プライドは多少傷つくが彼女のいる生活」なら後者がいいです。普通に彼女ほしかったし、結婚した今も幸せですわ。
 さらに、周りから見ればこうした合理化はびっくりするぐらい明らかにわかります。「アイツ彼女はいらないとか言ってる割にしっかりアプリやってんじゃん、なんだかんだ言ってヤリたいんだろうに」という感じです。そんな中でプライドを優先して彼女いらんとか言っても無駄でしかない。欲望には忠実に生きたいですね。


 合理化の本質は「私は悪くない、環境が悪い」と自分の責任を他へ転嫁することに他なりません。環境が悪いから自分は悪くない、それゆえ自分も傷つかないという防御機構だからです。
 こうして心を守るうちに、我々は歳をとります。私はこの合理化の呪縛からたまたま逃れることができましたが、なかなかこの呪縛からの解放は長い旅でした。合理化にはまってしまうメカニズムを知って、一人でも多くの人が自分の欲望に忠実な人生を送れることを願っています。

みんなはオレみたいにならないでくれよな。



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