グラタンの香り
一気に寒さが増して、今日は温かい上着を足して、外に出ました。
青空とすすきのコントラストがとても美しく、この風景を毎年眺められることに嬉しくなります。
やはり馴染みのある季節を感じる風景というのはいかにも情緒があって興味深いものです。
自分の心持ちによっていかようにも見える風景。
けれど、いつだって変わらないのはそのどんな気持ちも静かに受け止めてくれると感じられる世界の懐の深さ。
情緒と言えば、私にとって思い出されるのは岡潔さんの春宵十話。
数学者の岡潔さんを知ったのは、文芸評論家の小林秀雄さんとの対談本「人間の建設」を読んだ時でした。
数学には憧れがあるものの、才能がなかった私は、数学者の話なんてちんぷんかんぷんだろうと思っていたら、岡さんの話は、非常に分かりやすくしかも、本質をついていて私はどんどん引き込まれていきました。
この人の話をもっと読みたいと思って手に取ったのが「春宵十話」でした。
人の中心は情緒だからそれを健全に育てなければいけない。
情緒が土台となり、その上に理性、知性が立つ。
日本人はそうして、暮らしてきたのでしょう。
だから「情けをかける」なんて言葉も生まれたのかもしれません。
そんな人間の本質をよくわかっていたのが日本人で、あいまいな言い方を好んだり、決めないということを答えにしたり、決定権を一人に集中させないというような日本人が良くないと否定しがちな日本人の有り様は実はひっくり返してみれば、非常に角の立たないうまいやり方、穏やかなやり方であったのかもしれません。
調和を重んじるには最適なやり方がそれだったのかもしれません。
そこに西洋の思想が入ってきて、それまでなかったものに私たち日本人は夢中になりました。
理性、知性という男性性、父性が強いやり方です。
はっきりとした断言的な物言い、選択と決断の自由、カリスマ的なリーダーシップ、そういったものがどんどんどんどんTVや映画、音楽、本などを通して入ってきました。
私たちはそれを浴びるように楽しみました。
楽しむだけでは足らず、もともとあった日本的なやり方を否定するようにもなりました。
私ももれなく若いころは西洋の文化を十分に楽しみ、その圧倒的な強さに心酔しました。
けれど、今は回りまわって日本のというのか東洋的な思想、文化の奥深さにうならずにはいられません。
全てを受け入れる東洋的な思想の魅力というのはなかなか最初からわかるものではないのかもしれません。
人は頭だけで生きているわけではなく、心があります。
心を大切にしなければ、この世界を生きていることを楽しめません。
東洋が良くて、西洋が悪いということではありません。
また逆も同じです。
私たちはこの世界の解像度を高めるためにどちらのやり方も取り入れて、やっていくのが良いと思うのです。
全体を見て、部分を見て、全体を知って、部分を知る。
そうして、どちらも行き来しながらこの世界の奥行きを感じる。
そこに面白みが詰まっている気がします。
さて、今日はお休みだったので、スーパーで食材を買ってきました。
昨日の夜、長ネギのグラタンが食べたいと思い立ち、たくさんネギが必要だったので、ネギとホワイトソースを買いに行きました。
長ネギを3センチ強くらいの長さに切り、それをコンソメスープで
ベーコンと一緒にぐつぐつ煮込みます。
良い香りがキッチンに立ち込めます。
これだけで食べちゃいたいくらいです。
そしてマカロニとホワイトソースと混ぜて、チーズをのせてオーブンへ。
開ければ、チーズの焼けた香りとすこし焦げた焼き色が食欲をそそります。
書いていて気が付いたのですが、今回作ったのが長ネギのグラタンで、和洋折衷の料理でした。
この文章も奇しくも西洋と東洋の話にまで、飛びましたが、最初からこういう風になるとは思っていませんでした。笑
グラタンの話を書こうとしたら、岡潔さんの話を思い出し…
グラタンに長ネギを入れるという日本人らしいアレンジって、他にもたくさんあって、その境界線をあいまいに出来るところやそれを平気に飛び越えてどんどん面白いものを作っていく、しかもオリジナルと同じくらいに良いものにしてしまうというのは日本の誇れるところだと思います。
長ネギのグラタンはあっという間に食べ終わってしまったのでした。笑