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お嬢様はなぜ『普通』の感覚がわからないのか?
「お嬢様」という言葉を聞いて、多くの人が思い浮かべるのは、上品で裕福な家庭環境に育ち、どこか特別な価値観を持つ女性像ではないでしょうか。一方で、その特別な育ちが、一般的な価値観や感覚と大きく異なるために、「普通の人々の感覚」を理解しにくいと感じる場面もあります。(空想の話です)
例えば、最近でもXで「子供には大工や工場勤務になってほしくない」という親を見かけました。どうやら泥臭いイメージが先行してることが要因と思っていますが、それはさておき。これに同調する10代の高校生がいたことが本記事を書くきっかけです。
「この高校生は裕福なんだろうか?」
「なぜそういう感覚を持ったのだろうか?」
「親の影響? 環境? どんな認知をしているのだろう」
そんな風に思ったわけです。そこで自分で議論を深めて記事に起こしておけば、思考訓練にもなるし、これを皆さんが読むことで僕の思考の過程がシェアできてお役に立てるんじゃないかなって思いました。ということで、お時間ある人は覗いてみてください。読む気力がない人は無理して読まなくて大丈夫です。こういうのは学習意欲が高い人や頭を鍛えたい人向けなので、あんまり自分を追い詰めない方がいいと思ってます。
さて、では始めましょう。
ちなみに文に出てくる内容はほぼ僕の仮説、想像です。間違っても真実と思い込まないように読み進めてください。
まずここでいう「普通の人々」とは、一般的なサラリーマン家庭で育ち、公立学校に通い、学歴社会や競争社会の中で生きてきた人々を指します。たとえば、「不登校はよくない」「努力して成功することが大切」といった考え方を自然に受け入れているような人たちです。
成功の定義も曖昧ですが、一昔前なら「一流企業で出世する」ようなことが挙げられるでしょう。最近では「経営者やフリーランスになること」かもしれません。つまり一般のサラリーマンが「羨望」するような状態ならなんでも構いません。これはあなたのイメージにお任せしますです。
本記事では、「なぜお嬢様は普通の感覚がわからないのか?」というテーマを掘り下げていきます。その理由を家庭環境、社会的圧力、そして経験の質の違いなどの観点から整理し、最終的に「普通」と「特別」の間にある溝をどのように理解できるかを考察していきます。この記事を通じて、読者の皆さんが「違いを知る面白さ」を感じていただければ幸いです。ではいくよー。
お嬢様と普通の人々の育ちの違い
お嬢様と普通の人々の間にある感覚の違いは、まず育った環境の差から生まれます。普通の人々の家庭では、親が子どもに「社会のルールや常識に従う」ことを教える傾向が強く見られます。たとえば、「勉強しなさい」「良い成績を取らないと将来困る」といった言葉が日常的に交わされることが多く、こうした声かけを通じて、競争社会や学歴社会を前提とした価値観が自然と子どもにすり込まれます。
他にも(最近は見なくなりましたが)「運動会の徒競走で1位になれたらすごい」とか、「劇の主役をウチの子がしていてすごいでしょ」みたいな感覚でしょう。
一方でお嬢様の家庭では、その価値観がまったく異なる場合があります。親が「自分が本当にやりたいことを見つけなさい」「無理をしなくていい」といった声かけをすることが一般的である可能性があります。また、お嬢様の親は子どもを一方的に「指導」するのではなく、あくまで本人の選択を「尊重」する接し方をする傾向があります。たとえば、「不登校はダメなことだ」と考える普通の親とは違い、「本人が選んだなら、それが一番大事」と考える親も多いのです。
実際に僕の知り合いも不登校気味の子がいる親御さんがいます。でもその方は「子供が行かない選択をしていることが素晴らしい」というスタンスです。お子さんとの関係値も良好に見えます。ちなみに猫ちゃんとかって本能で生きてるから、凄いねとか逆にう〜んって悩むことはないと学術的に言われています。そう考えると親子間の関係値ってないのかな?って思うんですけど、子どもは守ろうとするんですよね。本能って不思議。
戻ります。このように、普通の人々が「他人や社会から期待されることを基準に生きる感覚」を自然に身につけるのに対して、お嬢様は「自分の内側の欲求や選択」を基準にする傾向が強いのです。この違いが、普通の人々の感覚を理解しにくい原因の一つとなっているのは確実でしょう。社会からの評価で生きるか、自分自身の評価で生きるかってことですね。
親の声かけと価値観の継承
お嬢様が「普通の人々の感覚」を理解しにくい2つ目の理由には、親からの声かけや価値観の継承が大きく影響しています。家庭で交わされる言葉や接し方は、子どもの価値観を形作る上で非常に重要です。たとえば、普通の家庭では「勉強しなさい」「いい大学に行きなさい」といった「指示型」の声かけが多く、学歴や成績が人生において重要な基準だと教え込まれることが一般的です
一方、お嬢様の家庭では「自分がやりたいことを優先しなさい」「好きなことを見つけることが大事」といった「承認型」の声かけが中心になります。こうした家庭では、子どもが自分自身の価値観を見つけることが尊重され、外的な基準(成績や社会的地位など)よりも内的な欲求や選択(やりたい、やってみたい)が優先される傾向があります。
ここで1つ面白い話をしましょう。「牛乳をコップから溢しまくっている子供がいる」場合、あなたが親ならどうしますか?
正解も不正解もないので、ちょっとスクロールしないで考えてみてください。
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はい、1つの指標としてお伝えします。この子どもは「牛乳がピチャンピチャン跳ねることが面白くて牛乳を溢れさせていた」そうです。
ここまでの思考に至れるかどうかは置いといて、大事なのは「自分がその時どう対応するか」です。その行動が親としてのあなたの価値観になるということでしょう。
話を戻して、さらにこのような「親の価値観」は、親の世代だけでなく、祖父母の影響を通じて長い時間をかけて継承されている場合があります。お嬢様家庭の場合、自由を尊重する祖父母の考え方が、そのまま親を通じて子どもにも伝わることが多い可能性があります。そのため、お嬢様の家庭では、世代を超えて一貫した価値観が子どもの感覚形成に影響を与えるのでしょう。
ただし、こうした継承された価値観も、外部の人々との出会いや新しい経験によって変化する可能性があります。たとえば、友人や教育者との交流を通じて、「自分が生まれ育った環境とは異なる考え方」に触れたとき、パラダイムシフト(価値観の転換)が起きることもあります。こうした変化のきっかけが、お嬢様の視野をさらに広げる要因になるのです。逆も然りですけれども。
社会的圧力の有無が生む認知の違い
普通の人々とお嬢様の感覚の違いには、社会的圧力を受ける環境の有無も大きく関係しています。普通の人々は、幼少期から「社会に適応すること」を求められる場面が多く、それが感覚や価値観に影響を与えます。たとえば、「女の子らしくしなさい」「友達の輪にちゃんと入りなさい」といった言葉を通じて、他人からの評価や社会的な期待に従うことが重要だと教えられるのです。
一方、お嬢様はこうした社会的圧力から比較的解放された環境で育つことが多いです。家庭の中では「自分らしくいること」を重視する価値観が優先され、他人の目を気にする必要が少ないため、自分の意思や選択を大切にする感覚が育まれます。この自由な環境によって、お嬢様は「社会の常識」にとらわれず、自分のペースで物事を考えることが可能になります。
さらに、僕が考える恐ろしいことはここからです。普通の人々は社会的な期待によって「自分自身の認知」を他者に書き換えられることが多いです。たとえば、「あなたはこうあるべきだ」と言われたときに、それをそのまま受け入れてしまうケースです。
そう考えるとポケモンなんかは恐ろしい設定でして、10歳だか13歳を超えるとポケモンを連れて旅に出るんだよ!!!っていうサトシくんの認知があります。本人がガチンコで好きだった(自己認知が確立してた)からよかったものの、僕がサトシくんだったら詰んでます。ピ○チュウに雷打たれたら病院送りだもん。
一方で、お嬢様はサトシくんと違って自己認知が比較的柔軟に確立しています。なので、外部からの期待に振り回されにくく、他人からの評価を気にせずに行動することができます。
幕末の折、高杉晋作が「諸君、狂たまえ」ってなったモードですね。真面目と言われていたのに、イギリス大使館を焼いてますから。
このような自己認知の違いが、お嬢様と普通の人々の感覚の溝を広げる一因となっています。社会的圧力が強い環境では、価値観が他者依存になりやすい。一方でお嬢様は自由な環境で自己中心的な視点が育つ。このギャップが、お嬢様が普通の人々の感覚を理解しにくい理由の一つと言えるでしょう。つまり自己中って悪いことじゃありませんよね。本来は。
経験の「質」の違いが生む感覚の差
お嬢様が普通の人々の感覚を理解しにくい次なる理由として、経験の「質」の違いが挙げられます。普通の人々は、家庭や学校、近隣のコミュニティといった限られた範囲での経験が多く、日常的な繰り返しを通じて価値観を形成します。
たとえば、友達と公園で遊んだり、地域のイベントに参加したりするような経験が一般的です。僕も普通にお祭りに行ったり公民館で遊んでました。平日は基本的に学校と家の往復。当たり障りないって感じですね。
一方、お嬢様は幼少期から特別で多様な経験をすることが多く、その体験が感覚や価値観に大きな影響を与えます。たとえば、親が海外旅行や日本各地への旅行を積極的に計画し、異文化や自然環境を体験させることがよくあります。また、家庭環境によっては経営者や芸術家といった普通の人々ではあまり接する機会のない人々との交流も日常的に行われます。
こうした多様な経験を通じて、お嬢様は広範囲にわたる視野や価値観を身につけます。このため、普通の人々が日常的に経験している「小さなストレス」や「社会的ルール」を理解しにくい場合があります。それは、彼女たちにとっては当たり前ではない、あるいは相対的に小さな問題に映ることがあるからです。視座が高いって流行りの言葉では言います。
しかし、お嬢様の多様な経験が普通の人々への「無関心」を生むわけではありません。むしろ、好奇心旺盛な彼女たちは、普通の人々の感覚に興味を持ち、知ろうとする姿勢を持つことが多いです。この好奇心と多様な経験がさらに新しい価値観を生み出し、彼女たち自身の成長につながる点も特筆すべきでしょうね。生きる世界が違うから無関心でいられなくなる気持ちは分かります。
自己認知と社会的感覚の理解
さらに深掘ってみましょう。お嬢様が普通の人々の感覚を理解しにくい理由に追加して、自己認知の違いが深く関わっています。心理学的には、自己認知がしっかりしている人ほど、自分が他人や社会からどう見られているかを客観的に把握できます。その上で、自己認知が強い人は自分自身の価値観や目標を優先する選択をします。お嬢様は自由な家庭環境や多様な経験の中で、この自己認知が自然と育まれていることが多いのです。
自分がやりたいことを素直にやるということです。
一方、普通の人々は、社会的圧力や他者からの期待に応える中で、自分自身の認知を他人の価値観によって書き換えられることが少なくありません。たとえば、「あなたはこうあるべきだ」という言葉を受け入れ、それを自己評価の基準としてしまうケースが多いです。このような他者依存型の認知は、競争社会や学歴社会で生きる上では役に立つ反面、内的な欲求を後回しにしがちです。
「会社では部長の肩書きの人が会社外でも偉そうにしている」みたいなのが典型例です。自分の認知を勘違いしていますね。
お嬢様の場合、こうした外部からの期待に振り回されることが少なく、自己認知が確立しています。そうすると社会的な感覚や他者の価値観を、「自分のもの」として受け入れる必要性をあまり感じないのかもしれません。この結果、普通の人々が持つ感覚や価値観を理解しにくいと感じる場面が生まれるのでしょう。
(よくお嬢様キャラが「みんなやりたいことをやればいいのに…」って言うようなシーンがアニメなどで描かれてますよね。主人公激おこみたいな)
しかし、お嬢様の好奇心や学習意欲がこれを補う可能性があります。普通の人々の感覚や考え方を知りたいという興味が湧けば、その違いを理解しようと努力することも多いです。この過程で、お嬢様自身の価値観がさらに広がり、他者への共感や洞察力が深まる可能性があります。
綾波レイちゃんが人のことを知りたがる過程みたいなもんです。
結論: 普通の感覚を理解するとは何か
お嬢様が普通の感覚を理解しにくい理由を、家庭環境、社会的圧力、そして経験の質の違いなどの観点から掘り下げてきました。それぞれの要素が複雑に絡み合い、お嬢様と普通の人々の間に感覚のズレを生み出していることが見えてきましたね。
お嬢様の育ちは、自由を尊重する家庭環境や多様な経験の中で培われたものであり、それが彼女たちを他者の価値観や社会的圧力から一定、解放されています。一方で、普通の人々の多くは、競争や社会の期待の中で育ち、それに順応する価値観を持つことが多いです。この違いが、互いの感覚を理解しにくくしている要因の一つになっていると考えられます。
しかし、これらの違いは必ずしも溝を広げるだけではありません。むしろ、違いを知ることで、新しい価値観を学び、視野を広げるきっかけとなります。お嬢様はその好奇心や素直さから、普通の人々の感覚に興味を持ち、それを知ろうと努力するかもしれません。同時に普通の人々もお嬢様の背景や価値観を理解することで、自分の世界観を広げることができる可能性があります。
互いの「普通」の違いを認識し、それを「特別」と思わずに互いに理解することは、どちらの立場にとっても成長の機会となるってことですね。今回はあえて「お嬢様」という切り口で空想のお嬢様から思考を広げてみました。
(本当にこのような人がいるかは不明です)
ということで今回の記事で僕の思考経路が少しでも見えてくれば幸いです。もしこの記事を読んで思考や言語化に関する気づきがあれば、ぜひアウトプットしてください。どんな風に思ったのか、その理由はなぜなのか、そして自分にどんな気持ちをもたらしてくれたのか。言語化は自分の価値感を知ることです。その1歩目を踏めるかどうかで未来は変わりますからね。