本の記憶。 『共同体の基礎理論』
1966年のことだが、大学に入った。早稲田大学の第一文学部である。 当時の早稻田の文学部は入学するときにⅠ類(社会科学系)かⅡ類(文学系)のどちらかを選ぶ方式になっていた。子どものころからの文学少年だったのだが、高校を卒業する時、わたしは本能的に、文学を専攻するのはやめようと思って、Ⅰ類を選んだ。文学を勉強することが頼りなくみえたからだった。教養課程にいた二年間の最初のころは心理学か美術史学を勉強しようと思っていた。それが、考えが変わったのはテレビ局でADのバイトをして、自分が如何に幼いものの考え方をしていて、社会というものについてきちんと考えていないかということを痛感したからなのだが、その時期に出会ったのが、この『共同体の基礎理論』だった。
この本は確か、大学の生協の書店コーナーで見つけて、買ったと思う。社会科学の本にしては薄く頁数も100頁ほどしかなくて、簡単に読めそうだったのである。共同体というのが何かもよく分からずに、この本を読み始めた。
共同体というのは、家族とか仲間、会社、結社などの人間集団のことをいうのだが、この本はその歴史的なあり方を説いたモノだった。これと前後して、テンニエスが書いた『ゲゼルシャフトとゲマインシャフト』などを読むのだが、これを読んだことで、社会の変化を歴史としてとらえる考え方の学問の存在を知った。つまり、資本主義社会がどういうふうな経緯でできあがったかということを歴史学的に研究する学問である。それが[経済史]だった。つまり経済学を裏側から見るようなものである。この時期に、『共同体の〜』の著者である東大の大塚久雄らによって『西洋経済史講座』という本が出版されていて、これを読むことで、わたしはますます歴史を経済変動から見るという考え方にのめり込んでいった。それで、専門課程に上がるとき、回りの女の子たちには「オレは美術史に行ってアートの研究をする」といっていた前言を翻して、西洋史学を専攻するのである。
3年生になり、西洋史学科に進級したあと、本格的に『資本論』やマックス・ウェーバーの著作、ここに掲げたアンリ・ピレンヌの『ヨーロッパ世界の誕生』、ホイジンガの『中世の秋』などの著作を読んで、社会変動はその時代の経済活動によって起こり、文化もそれを土台にして創られていく、という考え方のなかにのめり込んで、社会変動を人間総体の営為の集積の歴史とする考え方をするようになっていくのである。
いま考えると、この本に出会って経済史学をやってみようと思ったことが良かったか悪かったかよく分からない。それは西洋史学を専攻して良かったか悪かったかという質問と同義なのだ。ここでこうやって原稿を書いているのも、あの時、あそこでこういう選択をしたことのなれの果てなのだから、ダメだったと考える訳にはいかない。『共同体の基礎理論』はそういう、わたしの運命を決めた本の一冊なのだ。 この本の話はここまで。