本の記憶。 『スローカーブをもう一球』
『スローカーブをもう一球』は山際淳司のノンフィクション作家としての第一作である。山際が胃がんを患って死んでから、すでにもう25年が経過している。ということは、わたしが作家としてやっていこうと思い始めてから25年弱が経過した、ということでもある。
最初、この本を読んだ時、彼はわたしより確か一歳年下だったと思うが、同世代で斬新な感覚のものをかく作家が出てきたな、と思った。山際は中央大学の法学部の卒業だったと思うが、1970年代はいわゆる団塊の世代に属する若手の雑誌のライターの一人だった。それがスポーツのドキュメンタリーに細かな心理描写を書き込むという独自の手法で有名になった。 『江夏の21球』が特に有名。この作品もこの本のなかに納まっている。
じつは、わたしも、ずっとあと、この単行本が出てから、15年くらいしてからだが、彼の本を二冊編集して作った。いろいろな因縁のある作家なのだ。
山際淳司とわたしが知り合ったのは、彼が角川書店の『野性時代』で日本ノンフィクション賞をもらった前後のことで、わたしはそのとき、『週刊平凡』という雑誌の取材記者をやっていて毎週原稿書きをしていたのだが、会社の意向だったのだろうが、編集者としても仕事しなさい、この人を使ってみなさい、といわれて引き合わされたライターだった。かれは、そのころ、すでに文藝春秋の『スポーツ・ナンバー』で「江夏の21球」というノンフィクションを書いていて、すでに一躍有名になっていたのだが、わたしたちが一緒に仕事をし始めたのはその直後のことだった。そのころのかれはスポーツライターというわけではなく、人間をテーマに取り上げた作品なら、何でも書いてくれたのである。わたしは彼とコンビを組んで、デヴィ夫人とか、華道の安達瞳子さんとかのノンフィクションを作っている。
その後、「平凡パンチ」や「ターザン」でいろいろに付き合ったが、前出の『スローカーブ〜』とは別に、一番記憶に残っている本がある。それはわたしが書籍出版局に移ったあと、雑誌の『鳩よ!』で、山際の連載話が持ち上がり、その担当編集者をやってくれないかという話が来るとこからはじまった。これは山際の意向だったのか、当時、『鳩よ!』の編集長だった大島一洋の意向だったのか、はっきりしない。とにかく、それで阪神タイガースの話を書こうということになって、昭和48年の阪神が最後の最後にペナントレースで巨人に負ける話をノンフィクションにした。それが『最後の夏』。
山際とは、そのほかにもゴルフの本とか作った。わたしはそのときはまだ、自分で原稿を書いて本を出すという、いわゆる作家仕事をそんなに明確にイメージしていたわけではなく、自分の書くものを単行本として人に読ませる自信があったわけではないのだが、会社から、創立五十周年の記念出版物を作れと言われて『平凡パンチの時代』という企画を考え、これのOKをもらって取材をはじめた。それで、材料を揃えて、それを山際に書いてもらうつもりでいたのである。そのころの彼は、NHK(テレビ番組)に出始めて、これの評判が良く、次第に仕事の形を変えようとしていた時期だった。それが、前記の『鳩よ!』の連載が終わってしばらくしてのことだが、胃がんが見つかり、死んでしまったのである。それで、会社から「急いで山際の連載を単行本の形に編集してください」と言われて、複雑な思いのなかで作ったのがこの本。雑誌連載中のタイトルは「流転の夏」というものだったが、わたし自身の山際に対する訣別の思いをこめて『最後の夏』とした。この本は、彼の死の直後ということもあって、山際の本には珍しく五万部くらい売れた。死んでベストセラーになるというのも、なんだか残酷な話で、そのときの心情は複雑だった。
その後、奥さんが山際の死の前後の事情を書き綴った追憶本を講談社から出版している。また写真、右の『スローカーブをもう一球』は彼の初期のベスト作品を集めた短編集。
山際淳司はわたしと同世代で、わたしが付き合っていた作家のなかでは、もっともかたちのいい原稿を書いてくれる人だった。彼の死後、そのとき、懸案の『平凡パンチの時代』という企画の取材を進めていたのだが、当時の上司だった林公一氏の「オマエ、自分で書いてみろよ」という進めもあって、また、どういう原稿になるか分からない、誰かに頼むのも気が進まず、この本を自分で書くことになるのである。それがこの本。
この本は新聞やテレビで取り上げられてベストセラーになった。黄泉の国の山際が応援してくれたのかもしれない。結局、この本はわたしがノンフィクション作家の道に入っていくきっかけになった。あの時、山際が死んでいなかったらわたしはいまどうしていただろうか。それでも作家としてやっていただろうか。自分でも分からない。『最後の夏』は運命の本だった。
わたしの図書館(沈黙図書館)には山際の本がアレコレ14、5冊あると思うが、『スローカーブをもう一球』と『最後の夏』の二冊は手元(書斎)において、時々、取り出して頁をめくっている。作家としての原点に関係した本だからである。 この話、ここまで。