叁朝屋での生活、1ヶ月を残して
左からギターの音色を聴いて、そのまま右を向いたら雨が降っているのを知る。
暖かいオレンジ色のライトはこの散らかった暗闇の中に測らずとも居場所があることを教えてくれているよう。
大量の薬、数えられないほど積み上げられた本、食べ切られていない残飯、誰かの作品、今住んでいる私たち、どこを切り取っても語りきれない感覚が、この場所の歴史が続いていくことを示している気がする、この先形があろうとなかろうと。
細くて切れそうな糸が交わったり離れたり、摩擦で擦り切れそうになったりする。
私たちには名前がある。いくら透明で代替可能な生だと思っても、「私」である。ここに苦しんでも仕方がない。それでもふと、いつまでこうしているんだろう、この台北の街で移動してもいつまでここにいるんだろうと思う。金子みすゞもこんなことを詠んでいた。
ここ叁朝屋での会話は、そんな個人と個人の間で行われている。私は初めから境界線のない世界で生活したことがあまりない。というのも、この家には個人の部屋がない。
ここでは自分と相反する他者との関係性を自分の尺度をもって、測らなければならない。自分の意思とは反対に度を超えたり、またはそれを恐れて物足りない思いをしたりしながら日々を過ごしていく。お互いにとっての全てが完全に満たされる日はない。私は今日もまあ何かをずっと気にかけている。落ちた欠片ばかりを見つめている。それはもうずっと前のこと。目の前にいるあなたの、今の声を聞けずにいる。耳で音を拾ってはあなたの過去を見つめている。
自分のことを「私」と呼べても、あなたを含めた誰かのことを「私たち」と呼ぶことは簡単なことではなかった。こうすることに定義はないけど、何かを持って怖がっていた。私とあなたは全然違うから。私は自分の弱さに怯えているから。
でも日々生活していると、あなたから傷や脆弱さが吐露される、あなたもまた弱いのだと思う。
この時、同じ家に帰るという意味においてだけでも「私たち」と呼んでもいいような気がした。
もっとも確かなこと、人と人が生きていること。顔を見たらお互いの名前を呼ぶ、ここに戻ることも、またそれを避けることも同時にある。日常が日常になってしまう怖さや、他者が生活の一部になってしまう怖さがある。
それでも心を溶かすのは人の声だと知る。
私はあなたの表情を知っているし、見ている。私に何もなくて吸っても吸っても何も残らなくても、あなたがひたむきに向かうそれや、狂っているそれを見ている。ずっと私の心が満たされていくのは何でだろう。
笑みや涙では語りきれないような、生活する中でどうしても漏れてしまう「人間味」みたいなものを知ってしまった。意識の無いところで享受していた、仕方のない日常を重ねていくしかなくても。