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42歳ビアン、父親との関係を見つめる その1

前に実家で父親に心をえぐられることを言われてから、もう一度自分自身と父の関係をしっかり見つめ直そうと思う。

うちはわりと子どものことに口を出さない家庭だったと思う。
勉強しろと言われたことはない。
「はやくお風呂はいりなさい!」
「はやく起きなさい!」
「ごはんだからはやく来なさい!」
とかは死ぬほど聞いたけど。これはどこの家庭でも似たようなものかも。

進路について口を出されたこともない。
わりと自由に生きてこれたと思う。
思い起こせば、両親とも仕事が忙しくてそんなこと言っている暇はなかったのかもしれない。


父との関係が完全に険悪になったのは、高校時代からだ。
それは私が遊んでばかりいたからで、完全に私が悪い。
これまでこんなに気の合う友達はいなかったと思えるくらい仲の良い友達が出来て、好きな人がいて(もちろん女子)、恋人も出来たり(これは彼氏)、都会に買い物に行く楽しみも知って、毎日楽しかった。今から思うと、田舎娘が高校デビューしたみたいでかなり恥ずかしい。

ただ、父親ももっと言い方があったのでは?と思ったりもする。
友達を家に呼べば「誰が来てるんだ!」と部屋に乗り込んできたし、外泊したら「そんなに遊んでいるなら高校へは行かなくていい!退学届けを出しておいてやる!」と言われたこともある。「出ていけ!」とも何度も言われた。
成績はわりとよかった。学年で4位になったのは今から思うと奇跡だったなと笑えるけど、父にとって成績なんかはどうでもよくて、生活態度がだらしないことがどうしても許せなかったようだった。実際中学生だった頃からは考えられないほど遊んだし、父も反抗的な私とどう接するのがいいのか、わからなかったんだろう。
今から思うと本当に反省しかないけれど、それにしたって、昭和のおやじは大きな声で怒鳴って思い通りに動かそうとするところや、極端な結論に飛躍してこちらを追い込んでこようとするところは、我が親ながら余裕のなさが表れていて情けない。が、今思い返してケチをつけようと思えばいくらでもつけられるから、当時の父親の態度や言動についてあれこれ言うのはやめよう。


今ふと思い出したんだけど、もっと幼い頃に、何かをやらかして、家の裏にある蔵の中に閉じこめられたことがあった。
幼稚園頃だった気がするけど、小学校低学年だったかもしれない。
私は幼い脳をフル回転させて、「たすけて!ころされる!」と叫んでいたら、父親がきて「おかしなことを言うな!近所に迷惑だ!」とさらに怒られた。一体何をしたら真っ暗な蔵に閉じ込められるようなことになるのか。我ながら悪ガキだったのだろうか。そんな記憶はないのだが。子どもに対してイライラする気持ちもわかるので、今大人になった私が責めるのはやめよう。


そしてもうひとつ、父との嫌な思い出として、小1の夏に髪の毛をばっさりカットされたことがあったのを思い出した。
当時は母親が切ってくれていたのだが、父は夏になって暑いだろうと思ったのか、何を思ったのか信じられないくらいショートカットにされてしまい、1日中泣いた記憶がある。


これらのことが積み重なって、父への不信感や接しにくさは増長されていった。
もちろん子どもに対してこういう風に叱ったり、時には感情的に怒鳴ることがあっても、こじれない関係を築くことはできる。今ならわかる。けれど、父も昭和の田舎おやじだったからか、オープンな愛情表現はないし、普段は仕事で家にいないことも多かったので、きちんとしたコミュニケーションが取れていなかったのかもしれない。完全に父に対してのモヤモヤした気持ちが吹っ切れることはなかった。
社会人になったあとは、わりと適度な距離感で接することが出来ていたと思う。それでも多少は父の顔色を伺うようなことはあった。


父は「この家や土地を継いでくれなくていい」とか「好きにしたらいい」というスタンスだった。でも今思うと、それは本音ではなかったと思う。
父親としての威厳を保ちたかったのか、男として細かいことをグチグチいうのはどうなんだ、そういうのは母親の役割だ、と思っていたのかもしれない。

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