読書感想文(=^x^=)
「吾輩は猫になる」
一年世組 ねころんだ
私は人間です。名前はねころんだちゃんです。夏目漱石の、『吾輩は猫である』という小説を読んで大いに感銘を受けました。
私は猫になりたいと思いました。私が猫になったら、自由にしたいことをします。
私がこの本で感銘を受けたところは、
「猫などはそこへ行くと単純なものだ。食いたければ食い、寝たければ寝る、怒るときは一生懸命に怒り、泣くときは絶体絶命に泣く。第一日記などという無用のものは決してつけない。つける必要がないからである」
というところです。猫になれば、いつでもその一瞬一瞬、たべたりねたり、おこったり、たくさん泣いてもいいからです。第一に、この感想文を書く必要もないからです。
まず初めに、ごはんをいっぱい食べます。ごはんをいっぱい食べたらとってもしあわせだし、ごはんをたらふくたべたら満ち足りた気分でねむくなります。
人間の大人は、ごはんをいっぱいたべたらねむる、こんなことはできません。食べた食器を流しに運んだり、それを洗い、残ったものにラップをかけ、冷蔵庫にしまいます。それから歯磨きをして、お風呂に入り、と、きりがありません。
でも、猫なら大丈夫。
食べた後にはほとんど何も気にすることなく眠っても、誰にも怒られません。
たくさん寝てもほめられるし、しまいにはかわいいかわいいと撫でてもらい、あたたかい布団の中にしけこむこともできます。
おこるときはいっぱいおこって、なくときはたくさんなきます。ニャーニャー騒いで怒られても、ねこのほうは遠慮することがありません。
好きな時間に好きに起きて、食べて、ねて、怒ったりしても誰にも何にも言われません。
言われても、猫なのでそんなに気にすることはありません。
でも、人間がこういうことをすると、お母さんにすごく叱られて、もっともっとこれをやりなさい、あれをやりなさいと言われます。
猫になったら好きなことを好きな時間にやります。
大人になったら好きなようにできると思いましたが、大人のひとを見ているとどうやら違うようです。
大人および人間どもは、自分のしたいことのために、がまんをしたり悲しい思いをしたり、悔しい思いをしたりしなければならないのです。ケンカをしたり、何だかよくわからないけれど、忖度という名の譲歩や読み合いをしたりするそうです。
わたしのほかにも、みんな悲しいことが多いようで、みんな大変そうです。みんなネコになりたいのさという歌もあるみたいですが、ほんとうにその通りだなと思います。
こんなふうに、猫になりたいです。
この本にはこうも書いてありました。
「人間の心理ほど解し難いものはない。この主人の今の心は怒っているのだか、浮かれているのだか、または哲人の遺書に一道の慰安を求めつつあるのか、ちっとも分らない。世の中を冷笑しているのか、世の中へ交りたいのだか、くだらぬ事に肝癪を起しているのか、物外に超然としているのだかさっぱり見当が付かぬ」
私はほんとうにその通りだと思います。