ご縁のお話
必然か
偶然か
運命か
そんな奇妙なことは身近な所でよく起きる
先日、誕生日プレゼントでコードレスイヤホンを頂いた。
ただ私が使ってる音楽プレーヤーは古い型なのでBluetooth非対応だったから、それは使う事が出来ず宝の持ち腐れだった。
そしたら数日後、運悪く(本当に気が付かなったのだが)その音楽プレーヤーを上着のポケットに入れたまま洗濯してしまい、見事壊れた。物の見事に使い物にならなくなった。
なので今はめでたい事に頂いたコードレスイヤホンをフルに使う事が出来ており、YouTubeで音楽を聞いている。
これは本当に偶然が重なっただけなのだが、まるで引き合わせたような偶然で恐らく人に話したら嘘くさいとさえ思われるかもしれない。(事実私はその重なり合いに呆れて笑った)
だが、こういう事は実はちょくちょくある。
雨止まないかなって思えば一瞬止んだり、
こんな人居ないかな?と思っていた矢先に偶然Twitterでお知り合いになれたり、
欲しいと思っていた物が数日後、または数年後手に入ったり、
こんな事起こらないかな?なんて考えいたら、実際似たような事案が発生したり
なかなか面白いくらいこんな事が起こるから、壮大なドッキリでも仕掛けられてるのじゃないかと本気で怪しんだ事もある。(そんな暇な人そもそも周りにいないけど)
こんな事、思い返すとどれもが一度はあると思う。
『引き寄せの法則』
と呼ばれるものらしい。持ってる人は糸も簡単に望むものを手繰り寄せられる。それは良くも悪くも誰でもできるから、強運と呼ばれる人はこれが自在に操れるなかなかの才能の持ち主なのではないだろうか?
ただ私のこれまでの生き方を考えるとそんな大それたものではなく、これらは
【ご縁】
だと思っている。
私の持ってる運などではなく、誰かからの恩恵を授かってるのだと思っている。
誰かが幸せを分けてくださってるのだと。
その優しい陽だまりのお陰で私は偶々幸せが続いているだけなのだと。
恵まれてるなぁ…。
つくづく思う。
これ以上の幸せ望んだらバチが当たる。来世はないだろう。
この縁は望めば望むほど手繰り寄せられる。
本気で自分が望むなら必ず向こうから手を差し伸ばしてくれる。
それに気がつくかどうかは自分の心次第なのだ。
目を背け閉ざしてしまえばいつまでも見えないし、口先だけではその時は訪れない。
純粋な思いほど人は惹きつけられる。
恐らくそれは見えないものも同じこと。
縁なんて目には決して見えない。
だけど確実に自分の目の前に無数に存在しているのだ。
大事にすれば幾らでも繋がっていくし、沢山の縁をまた繋いでくれる。
私は元来貪欲だから
何一つ無くしたくない。
一生大事にしていきたいと強く願う。