私の思考;過去から現在、そして未来へ
どう考えたらこれから残りの人生を夫と一緒に暮らして行けるのだろうか、
ひとが生きていく上で最も大切なことのひとつ
「相手の気持ちに寄り添う」「共感する」ことができない夫と
これから先、一緒にいて、果たして私は幸せを感じることができるのだろうか。。。
などと随分、悩んだ。
ようやくたどり着いたのが下記のように考える思考である。
【過去の自分の中の夫】
私の中の過去の夫は定型発達だった。
●普通に私の気持ちを理解してくれて当然だと思っていた
↓
●それができないのは私のことをないがしろにしているとか
愛していないからだと思っていた
↓
●私は何のためにこの人と結婚したのか?
↓
●孤独、辛い、悲しい。。。
【現在の私の中の夫】
一年ほど前、ようやく私が夫のアスペルガーを認識したことによって、
夫への見方が大きく変わった。
以前とは全く別の夫であること、
そして、これから私はこの人と0から出発するのだ。
と考えることによって、下記のように変化する。
●私の気持ちや言葉が理解できなくても仕方がない
状況によって、私が期待する対応が出来なくても仕方がない
と、少しずつ思えるようになってきた。
↓
●それでも彼はできる範囲で、自分ができることを私にしてくれている
その彼の努力もきちんと評価してあげよう。
↓
●人の言葉を読めない夫にイラっとすることもあるし、
水臭い人だなぁと感じることもあるけど
できなくてもまぁ仕方がないか、できないんだから。。。
と思えるようになった
↓
●感情の乱高下が減り、苛立ちの幅がも狭まり、
心が以前よりも安定してきた
心が以前に比べて平常に保たれる時間が長くなって来た。
ここまで来るのに何度も話し合ったし、
頭では理解できても、感情がついて来なかったり、
かなりの年月を要した。
理解してもらえないことで、何度も呼吸困難のような発作も経験した。
何に対して悲しいと思うのか、
どんな時に辛いのか
夫のどう言う言葉に虚しさを感じるのか。。。
具体的に自分の気持ちを伝える努力をしてきた。
それは今も続いているし、これからも続けようと思っている。
アスペルガーの夫は(失感情症もあり)自分の感情もわかりづらいので、
感情表現が全くと言っていい程できない。
共感どころか対話(感情ののキャッチボール)ができない。
そこがパートナーとして一番淋しくて、虚しい部分なんだけど、
そこはもう触れてはいけない領域なのかな、と思えるようになって来た。
義足の人にもっと早く歩いてよ、
と、言っているに等しい。。。