ツイッターと言葉
若い世代を中心に多くの人がツイッターを利用しています。日常的なことから思想的なことマーケティング的なことも共有されるプラットフォームです。
そんなツイッターは、使う人がしっかりしていれば、全体に利益があるような素晴らしいアプリになりえます。
しかし、現実のツイッターを見てみると私たちが日々見にするのは、「炎上」「クソリプ」「誹謗中傷」などばかりです。
そんなツイッターにうんざりしている人は多いんじゃないでしょうか?
商業的に、ネットで注目を集めることが儲けにつながるので、刺激的な内容が拡散されやすいのはネットやSNSの構造的に仕方のないことなのかもしれません。
しかしユーザーの道徳観や他者への思いやりがないことを仕方ないと片付けることはできないと思います。
炎上やクソリプをする人は基本的に自分のためにしか言葉を使っていません。それは自分の優位性を示したり、相手の評価を下げたりすることなどです。
そんなことで得られる優位性になんの価値があるのでしょうか?
誰かを犠牲にして自分を正当化することがそんなに大切なのでしょうか?
私たちは本来あるべき言葉の使い方をしなければいけません。
言葉は誰かを傷つけたり、自分の優位性を示したりするものではなく、人と人をつなぎ、思いを誰かに届けるためにあるものだと思います。
私もまだまだ未熟ですが、言葉というものにこれからも向き合っていこうと思います。
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