13年間勤めたNTTグループを辞めたはなし(有能ではないが、無能だとは思いたくない小物編)
退職して9年半が過ぎました。
結論から言うと、会社に不満があって辞めたわけではないです。不安を感じて辞めました。
特に教訓があるわけでもないただの人生の振り返りのお話です。
◯他の方の記事
6年勤めたNTTを退職しました
https://goo.gl/9iSn5w
10年勤めたNTTを退職しました(無能編)
https://goo.gl/JQWDg7
12年勤めたNTTを退職しました(ワーママ編)
https://anond.hatelabo.jp/20181127235600
ということで、13年間勤めたNTTグループを9年半前に辞めた話です。
◯どうしてNTTに就職したのか
特に理由はないです。(^^;
理系の修士でしたが、研究疲れがあったのかもしれません。理系としては失格ですね。大学での研究を労働といっていいかわかりませんが、大学院時代が今まで一番労働時間が長かったです。そう、NTTはホワイト企業なので、何日も徹夜して働いたという経験有りません。13年間で徹夜した経験は3日だけです。
なんで、あんなに大学院に長時間いたのかしら・・・と思いたくなります。そういうこともあって、学科推薦で、名前を書くだけで入社できるNTTを選んで入ったのが97年です。学校推薦ありがたし。
◯NTTグループでの経歴
わたしは入社はNTTでしたが、すぐグループ会社C社に本配属され、その後、自らの意思でグループ会社間公募を使ってD社に移りました。そして13年働いて辞めました。部署的には営業部だったり開発部だったり、コンサル部だったりしましたが、営業SEと開発SEを行ったり来たりという感じでした。
営業としてヒアリングして、提案して、受注したら開発もやる。とはいっても会社にはいって実践でプログラムコードを書いたことはありません。(大学時代はあります)大手ゼネコンIT会社らしく、お客さまからヒアリングして、エクセルに仕様書を書くのが一番の仕事でした。
残念ながらわたしは、6年で辞めた彼のように意識高い系でもなく、
10年で辞めたメンタル闇系でもなく、ふつうになんとなく辞めました。
◯入社時
1997年にNTTに入社して、支店で研修を受けました。残業などまったくなく、むしろ禁止。当時ISDNを獲得しろとノルマを設定されましたが、目標に達せずとも普通に生きていける平穏な会社でした。悪い印象は持っていませんが、衝撃だったのは、その平穏さ。
通信会社なので、夜間勤務をしている人もいたわけですが、15時頃になると将棋をし始めている社員がたくさんいました。その社員が、夜勤明けの勤務終了後の人だったのか、単なるさぼりだったのか今となっては確認できませんが、新入社員の私がバタバタと走り回っているそばで、優雅に将棋を打っていたのを思い出します。それはひと組ではなく、複数組いました。いつもいました。勤務時間中に将棋してもいいんだ・・・と感じ、なんだか変だなという印象を持ちました。
そんな影響受けたか、当初は必死にまわってISDNの営業をしていましたが、徐々にコツをおぼえ、ぼちぼち受注できるようになると、ちょっとお客さまを回った後は、映画を見たり、会社の近所の彼女と遊びに行ったり、ゆるゆる営業マン生活を過ごしたのを思い出します。
◯C社時代
その後、グループ会社のC社に本配属されました。本配属まで6ヶ月かかっています。営業研修、通信の研修、そしてシステム開発研修。研修ばかりで嫌にもなりましたが、本当にたくさん教育してもらえるのはありがたいことです。
NTTの本体でなくて、C社を選んだのは、わたしは新しいものに弱く、今年新会社ができたから、行ってみないか?と言われて、思わず行きたいです!といったのを思い出します。N社内のシステム開発を引き受ける情報子会社でした。その中で、わたしは外販部隊として8年間を過ごしました。
ASPサービスを企画したり、ERPのコンサルタントをやったり、有用な8年間だったと思います。しかし、30歳になる前に冒頭の不満はないが、不安を感じたのは事実です。不安のもとは自分のキャリアだったり、上司の姿だったと思います。
あの人みたいになりたい!と思える課長や部長がいませんでした。
尊敬できる人はいましたよ。事業部長や、役員の方々は、話しているだけで、やっぱすごいなあ・・・と感じていました。でもそういう方がは年齢層が50代以上。年齢層の距離感もあり、わたしがそうなれるのか???いわゆるキャリアプランを描くことができませんでした。
一方で直近の課長や部長は人間性に優れたひとはたくさんいました。でも、この人みたいになりたい!と強く思える人にはあまり出会えませんでした。ないものねだりかもしれません。でもそういったキャリアプランの描けなさに不満ではなく、不安を感じたことは事実です。
そして、わたしは資格取得を目指し、並行して転職活動をはじめました。
そんなとき、グループ会社内公募制度がはじまり、他のグループ会社D社に移ることになりました。転職活動のほうが先に決まれば、転職していたかもしれません。でもグループ公募って面接1回ですぐに決まってしまうんですよね。スピード。そこで新しい会社生活が始まりました。
そういやNTTの採用試験も面接1回だけでした。学校推薦でほぼ入社が決まっていたからでしょうが。
◯D社時代
C社と違って、D社はNTT向けも開発会社ではなく外販中心の会社です。移って感じたのは、やはり外販、つまり一般向けの活動をたくさんしている会社の方が、会社らしいと。
グループ会社内のシステム開発というのは、ある意味社会主義的であり、提案がよかったから売上があがるというより、予算がたくさんついたから売上が上がるというものが多いです。一方でお客さまが一般の会社の場合は、営業力や提案力は大事です。あるいみ普通の会社に来たんだな、と思いました。
もちろん、他の会社に比べれば、D社も日の丸会社であり、普通の会社でなかったかもしれませんが、グループ会社間比較としては差があったと思います。
この会社でもっと頑張るという生き方もあったと思います。しかし、そこは私自身の能力不足。わたしはコミュニケーション能力が不足します。知らない人ばかりの会社で働くってのは、大変だなあ、と感じたことも事実です。疲れる。
C社時代は、同期入社の社員が142名いました。どの部署にいっても同期がいて、顔見知りがいる。こういうのって、大事なんですよね。社内調整が重要な会社で、調整が必要な部署に同期がいる。これは非常にやりやすい。
D社も社内調整が重要です。大きな仕事を進めるのに社内調整を馬鹿にしては仕事が進まない。でも、移ってきた私には知り合いはおらず、社内調整は、いちからになります。これが結構しんどい。
自分の力のなさを感じたのもこの頃です。
転職しても同じように感じたでしょうね。この会社でやっていても、役員、どころか、事業部長になるのは無理だと思いました。出世に対する強い意志はありませんでしたが、少し自分にがっかりもしました。
出世を目指すなら元の会社にいた方が可能性はあったのだと思います。
出世しないなら、外でやってもいいなとも思いました。それよりも士業の資格を取得したので、せっかくだから個人として挑戦してみたいと思いました。
◯すこしだけ文句を言うと
辞めた直接の原因ではないですが、会社としての、効率の悪さは感じていました。富士通さんがバックオフィス部門の人たちを前線に配置転換するという記事が最近ありましたが、Nグループもバックオフィス部門の人数ってすごい割合です。外部の会社と比べると圧倒的に多い。
優しいホワイト企業なので、総務部門には人がたくさんいました。悪い言い方をすると、現場で使えなくてクビになった社員がバックオフィスにいました。
もちろん、すごい優秀なバックオフィスの方もいました。スペシャリスト。
一方で、この人無駄だなあってひとがたくさんいて、ホワイト企業の巣窟のようになっていました。大丈夫かな、この会社って思っていました。
それくらいではゆらぎもしないのが、このNグループの凄さだと思いますが、私自身が年をとって、成果に貢献しないけど、ゆったりバックオフィス部門で働いている姿を想像すると、ゾッとしました。
不安に感じました。
◯辞めました。
・不満はないが、キャリアへの不安はおおきかった
・資格をとったから試してみたかった
・あまりにも働かない一部の先輩社員に不安をおぼえた
というのが辞めた理由なのかもしれません。
金銭的不満はそれほどありません。 辞める頃は、35才で900万弱の給与でした。ボーナス、残業ひっくるめてです。ボーナスは100万強が2回、残業は年間360時間くらいだったかなあ・・・もう少し多かったかもしれませんが、月30−40時間が平均的でした。
残業したらきっちり給与につくし、生ていくことに不安はありませんでした。やっている仕事もやりがいはありました。
でもこのまま、5年後、10年後を迎えた時に自分がどうなるのだろう、と描くことはできずに、辞めることにしました。
独立したことがないから、辞めてみるのも、おもしろいと思って辞めました。
◯その結果
詳しくは書きませんが、おもしろいです。
あとね、今がありがたいのは、とても感謝されることが増えました。
会社員時代は、大規模顧客のシステム開発をしており、1年〜1.5年かけて、システムを作るんですよ。そうすると、感謝されるのって、システムが完成したタイミングだけ。作ってるときも、こんなはずじゃなかった、と怒られ、完成した後は、バグが出たと怒られ。誰のために作っているんだろうなあ、と悩むことが多かったです。
それが今では、短い周期の仕事が増え、終わるたびに感謝されます。
感謝されると、またすごくやる気になる。もっと頑張れる。
もちろん、長い仕事のほうが、プロジェクトの金額規模は大きく、大きな仕事をやっているというやりがいがあります。
今は小さい仕事ばかりです。でも感謝しもらえる回数は増えている。ありがたい。
こんな書き方をすると、承認欲求満たされてよかったね!と思われるかもしれませんが、その通りなんでしょうね。一つひとつの仕事が小さくても、一つ一つ成果を出して、顧客からの反応が得られることは、私にとって良い選択だったのかなと、今は思います。
◯結論
・N社はいい会社である。
・大きすぎて、自分を歯車としてどう受け止めるか。
・自分なりの仕事をしていくのも、これからの社会の中ではありなのかもしれない。
すべては、自分次第。自分の選択。
そんなところで。
(執筆時間75分)
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