やさしい世界は感謝だらけ
また最近、感謝の気持ちが戻ってきた。
夏休みのアメリカ帰省中は、私の心の真ん中に感謝を見つけられない感じがした。「感謝しなければならない」に反発してしまって、素直に感謝できない自分がもどかしかった。
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感謝の気持ちが戻ってきたきっかけは、自分の「やさしい世界」を認めたこと。
ずっと「生ぬるい」と、誰のだかわからない目線で、自分を批判していた。それを、「自分が居る世界は『やさしいしかない世界』なんだ」と腹をくくったことで、やさしい世界に対して感謝しかなくなった。
ま、「感謝しかない」は言い過ぎやけど。
でも、たくさんの物事や人が、やさしさであふれているように感じる。感謝することだらけ、に感じる。
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アメリカ帰省中や、よく憤ってる職場の同僚、他のお母さんたちと話しているとき、「厳しい世界」を肌身に感じてしまう。
世界は厳しいのだから、しっかりしつけをして、自分を抑えられるように、コントロールできるようにならなければならない。
そういう価値観を、真正面から突き付けられる。
その時、私の心は反発する。
同時に、自由すぎたらダメになってしまうだろうか、と不安にもなる。
私の心のやわらかい部分は、ギュッと縮こまって、固いフリをしてしまう。
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厳しい世界を、身に染みて感じている人は、たくさんいるのだと思う。
でも、私は今、「厳しい世界にはいない」と感じている。他の人が言うから、厳しい世界にいるフリをしないといけない?
「いや、私がいるのはやさしい世界だ!」と振り払う。
私に見えてるのは、やさしい世界。厳しい世界に見えてるのは、他の人だ。見てる人によって、世界は違うものなんだ。
やっと、そのことが腑に落ちた。
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ふわっとした世界を楽しんでいると、ふわっと感謝したい瞬間であふれる。
自分と関わってくれた人。そこにいてくれるだけで、ありがたい。
通りすがりに、やさしさを見せてくれた人。やさしい世界にしてくれて、ありがとう!
目の前で怒っている人でさえも、私に学びを与えてくれて、ありがとう、と感じられるようになってきた。
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って言っても、まだまだ、いったんはモヤモヤっと感じたり、ネガティブ感情としてあらわれたりもするけど。
でも、ネガティブ感情は、最終的に「やさしい世界」になるまで感じきればいい、というのがわかってきた。
うーん。なんか、自分で言ってても、まだイマイチ言葉にしきれないな。
また、捉え方が変わるかもしれないけど。言葉にし続けてみよう。