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速すぎても大丈夫、悪くても大丈夫

「コミュニケーションが得意ではない」ことを書いてみて、また気づいたことがある。

私は「自分も苦手だからこそ、コミュニケーションが苦手な誰かを待てる。ゆっくりでも大丈夫」と書いた。

そのことを、ぼーっと振り返っていて気がついた。
「違う。それだけじゃない。
私が自分に言いたい言葉は、『速すぎても大丈夫』なんだ」と。


自分のペースの独特さ

私が言葉にするのが苦手なのは、思考に言葉が追い付かないところがあるからだ。

コミュニケーションが苦手なのは、自分のペースは人より速いからなのかもしれなくて。

自分のペースでコミュニケーションを取ろうとすると、人にぽかーんとされてしまうことが多いからで。

(ちなみに、私はめちゃくちゃ早口だ。早く言葉にしなくては~と常に焦ってる。笑)

速い・遅いという二元的でもないのか。
重きを置くポイントが人とは違うのか。気になるポイントが違うのか。

でもやっぱり、気を抜くと、人を置いてきぼりにしてしまう感覚はある。
気づけば人とは違う方に、ぽーんっと抜け出してしまうことがある。

確実に感じるのは、自分のペースやリズムは、他の人からズレているということ。私の本来のペース、本来のリズムは、すごく独特なのだ。

ずっと、相手に合わせたペースで、コミュニケーションを取らなくては、と思っていた。人に合わせる必要に迫られて過ごしてきた。

自分の本来のペース

今の職場の一つ前の職場で、初めて「自分の本来のペース」を感じた。本来の自分は、こんな感じなんだ、って。

その時の上司と、すごく波長が合っていて。どんどん会話が展開されていく。素直に考えが言葉になっていって「素の自分で働くって、こういう感じ!」と思った。

変な遠慮がなくなって、頭の回転数が上がる感じがする。フットワークも軽くなる。
その分、ぐったりと疲れはする。
でも、なんか、心は軽かったりする。

で、今の職場に移って。そこは、面白い人たちがいっぱいいて。やっぱり、ここにも、自分の本来のペースでいても付き合ってくれる人たちがいる。

まだまだ、仮面をかぶっているというか、外面を良くしようとしてるけど。

「みんな」に合わせてる方が、ゆったりしたペースで過ごせる部分もある。その分、愛想やコミュニケーションに気を遣えてる感じ。
そして、その方が間違いなく「感じがいい」。

性格の悪さがにじみ出る

「コミュニケーションが得意ではない」具体的な私の姿を書いたら、すごく自分の性格が悪いところがにじみ出たな、と思った。笑

今回の記事を書いていても、やっぱり、性格の悪いところが出る感じがする。私が自分のことを客観的に書こうとするとき、少なくとも、「感じが悪い」部分はあるだろう。

忙しくて、なりふり構わずに、ひたすら目の前のことに集中していると、こんなことになるのだろうか。

なんというか、ドラゴンボールのベジータや、ラピュタのムスカ大佐が、目の前をチラチラする感じ。笑

私の「この部分」は、「ストイックさ」と「傲慢ごうまんさ」と「野望」を兼ね備えていそう。

悪いのも悪くない

でも、1年前の自分と比べると、「性格が悪い部分があっても大丈夫~」と思えるようになっていて。逆に、悪い部分が面白くて、笑ってしまったり。「そういうとこ、あるよね~私って」って。

性格の悪さがにじみ出るような記事は、恥ずかしいのだけれど、「『これもまた自分』と受け入れるためには、必要なことなんだ」と自分に言い聞かせている。

感じが悪い部分をさらけ出すのも、悪くないな、と思っている。

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