コミュニケーションに重きを置いている③
2週間ぐらい前に書いたものです。書きながら頭を整理していて、長くなったので分割。後編です。
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うまくコミュニケーションが取れないことに悩む一方で、どうも自分はコミュニケーションが売りのようだ。
悩むのも、自分の強みになるのも、結局、自分のこだわりポイントが「コミュニケーション」にあるからだ、と気がついた。
「わからない」と言えばいい
さて、前編冒頭の、「アメリカ人の夫の親と過ごしていて、自分はうまくコミュニケーションが取れていない感じがする」という悩みに戻ってくる。
自分にそのまま言ってやりたい。
空気を読もうとしたり、相手の要望を察しようとするのではなく、「わからないから、教えてください」と言えばいい。
そして、逆に「コミュニケーションをしっかり取らないと!」という変なプレッシャーも、本当は別に要らないな、と気がついた。
困っていなければ、そのままでいい。
自分が困るぐらいだったら、何に困っているのか相手に伝えればいい。
ここまで書いてみて、なんか、ちょうどよいバランスが見えた気がする。
何かだけに固執したり、何かが絶対!と思ったり、と、固くなり過ぎないことだな。
空気を読まないと!とか。逆に、絶対コミュニケーション取らないと!とか。そういうのは要らない。
「コミュニケーション」にこだわっている
ふむ。やっぱり私は、土台として、コミュニケーションをしっかり取ることに「こだわっている」んだな。
同僚に言葉にしてもらったことで、はっきり認識した。今まで、あんまり気がついてなかった。
たぶん、コミュニケーションにこだわっていない人にとっては、本当にどうでもいいことを、うーん、うーんと悩んだり、モヤモヤしたり、イライラしているんだろう。
自分は人とコミュニケーションを取ることに重きを置いているから、ついつい、不安になっていそうな人に、声をかけてしまうし、困ったら教えてほしいと伝えるのだろう。
で、きっとそれは、誰かの役に立っている、と信じたい。
義理の親とも、コミュニケーションが取れてない!打ち解けてない!と気にするのは、やっぱり、私がそこに重きを置いて、こだわっているからなんだろう。
「こだわりがあるから、できなくてモヤモヤしてるんだね。必要以上にプレッシャーを感じる必要はないんだよね」と、自分にやさしく言ってあげたい。
だって、人によっては全然気にならないポイントで、私はこだわってるんだから!
そのこだわりは、自分の強みにこそすれ、自分をがんじがらめに縛るものにはしないでおこう。
そんなの、なんだか、もったいない。
モヤモヤはこだわりを見せてくれる
モヤモヤするのって、気分も重たいし、嫌~な気持ちにもなる。
だけど、そのモヤモヤをじっくり見つめて、自分が感じてることや思ってることを言葉にしてみると、本当に「自分が大切にしてること」を見せてくれる。
こだわり過ぎちゃって、頑なになってると、良くない方に見えてしまう。
それを、ひとひねりして、見方を転換できると、「素敵な自分の価値観」に変身するような気がしてる。
さぁ、まだまだモヤモヤを見つめていきますよ。
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