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体感で感情を扱うこと

感情を体で感じきるワークをやっていて、私は今まで無視してきた感情を感じ直しているのだろうか。「体感で扱う」というのが、何か普通に感情を味わうのとは、違うような気がしている。


感情を心で感じるのは苦手

私は「感情に圧倒される」と自分で思っていて。ネガティブな感情はもちろん、ポジティブな感情にすら、他の人のものを感じると、自分のまわりにバリアを張りたくなる。あんまり感じたくない。

(なのに、noteで自分のネガティブ感情を振り撒いている。反省。でも、そういう暗いところを読みたい時もあるからな~。時と場合によりますな。)

自分の中の感情も、たぶん、人よりも起伏は激しくないんじゃないだろうか。

たまに、自分の中のポジティブな感情を、わぁーっと感じたり広げてみたりするけど、その後、ものすごくエネルギーを消耗していることに気づく。そして、軽く落ち込む。

好きな事を語ろうと思って、自分の熱い思いを言葉にしてみると、よしよしいい感じ、と思うと同時に、ずーーーんとしんどくなるのを何回か経験した。

ポジティブな感情ですら手に余るのに、ネガティブな感情なら、なおさら。心で感じてしまうと、すんごいしんどくなるように思う。

感情を体で感じる

ところが、今やっている「感情を『体で』感じきるワーク」は、あんまり感情を心で感じていないように思う。

感じているのは、体のパーツを重く感じることだったり、体の中に硬いかたまりがあるような感じだったり、なつかしい温かみだったり、体感として感じている。

怒ってるふりだったり、泣き叫ぶふりをして、怒りを外に出してるときは、うぉーってなってるけど、外に放出してるからか、気にならない。

あ、でも、みんなが寝静まってる間に、声を出さずに怒っていて、実際に声に出したり、まわりの人に怒ってるのを見られたりすると、ダメだろな。気になっちゃって、負荷がかかりそう。

怒り終わって、悲しくなったり寂しくなったり、何か違う感情になった瞬間に体に感覚が出てくるので、そっちにフォーカスすることで、感情を心で感じずに済んでいるのかもしれない。

怒りは表層の感情

怒りも、かなり負荷のかかる感情だと思っている。でも、ワークの最初の方にうぉーっと放出すると、おっ、そんなことも思ってたか、みたいなことが出てきたりする。思考で抑えられていた何かが、ぽーんと飛び出してくることがある。

そして、怒り終わらないと、次の感情に移れない感じもしている。

私の怒りは、あっという間に尽きてしまう。1~2分ぐらいじゃないかな。これは、もしかしたら個人差があるかもしれない。怒りが溜まっていると、長引くだろうか。

でも、どちらにしても、怒りは出し切るしかない。全部出てから、次の感情に取りかかる。

怒りは一番表層にあらわれる感情だし、体感としては感じられないものらしいので。

今うっすら思っているのは、怒りだけを感じて終わると、怒りが続くんじゃないかということ。怒りきった後に、その下に隠れている感情に取り組まないと、怒りっぱなしになるかもしれない、と感じている。それ、めっちゃしんどいな。

無理にしない

どちらにしても、私がやっているワークは、無理にやるワークじゃないな、と思う。

感情を体で感じきるワークは、自分で取り組むしかない、というのも言っていた。人の手を借りて、どうこうできるものではないようだ。エネルギーを送ってもらって解消する、みたいなね。

本人が感じきるしか、感情やブロックを手放せない。でも逆に、自分でできちゃう、とも言える。

自分が手放したくないと感じていたら、手放せるものではないだろうし。手放す準備ができているなら、感じきることで手放せるんだろうなと感じている。

体感としてでも、感じたくないものもあるだろうな。

自分の心と体が、向き合えるタイミングが来たら、あ、ワークしよう、と思うのだと思う。

いろいろ思い込みがあるな、と自分で感じられるようになってきたので、ネタが尽きるまで取り組むつもり。

ま、でも、感じるワークがうまくいくと、きっと言葉にならないだろうという気がしてる。もうあんまり言葉にしない方向で。言葉にしたくなったら、してみる感じで。

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