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偶然の賜物

カードリーディングをするのが定着してきてる。

カードを引いて、そこに描かれている絵を見て思ったことや、カードに書かれた文字、カードが表す意味なんかを読んで、心に思い浮かんだことを確認する。

ふむふむ、そういうことね、と自分なりに理解したら、何のカードが出たかまでは逐一覚えていない。一応、前に出たことのあるカードかぐらいは、おぼろげに覚えている。

出てくるカードは偶然選ばれるのだと思うけど、単に「偶然」という言葉だけでは言い表せない何かがあるように感じる。

しばらく、私が引くカードは「休みなさい」「癒しが必要」というものばっかりだった。

あまりにも連続で出てくるので、44枚あるというカード全部が、癒せ系のカードなのか!!とカード一覧を探して確認した。そしたら、もちろん、全然違う意味のカードもたくさんある。

「休みなさい」の後は、しばらくカードを引いてなかった。だって、何回も続けて同じようなものが出るから、引く意味も感じられない。

ふと思い立って久しぶりにカードを引くと、今度は「感謝しなさい」「既にあるものに目を向けなさい」「目の前のものごとに感謝しなさい」というのが続いた。

ちょっとイラっとする。感謝しようっていっても、なんかモヤモヤする!

アメリカに来て、親戚が子どもたちを見てくれて、自分はゆっくりさせてもらって、日頃の疲れがずいぶん取れてきた頃だったかもしれない。

それでも、新しい環境で気を遣って疲れているからか、私には感謝することができなかった。

客観的に考えると、感謝すべきことがたくさんあるのはわかっている。でも、自分の心がそうさせなかった。

あまりにも「感謝しなさい」というカードが出て、「感謝できない!」と自分の心が叫ぶ。

モヤモヤを振り払うべく、「感謝できないとき」とネットで調べる。
そしたら、「感謝できないときは、感謝しなくてもいい」というのを目にした。「まずは自分で自分を労いましょう」と。

そうか。自分が頑張ってることを、自分で認めてなかったんだな。

何を頑張ってるんだろう?と考える。

アメリカに来て、言語が違う、文化が違う。ついつい、相手目線で考えてしまうのに、相手の考えてることや価値観がわからず、何が正しいかわからない!と困ってしまう。

自分の価値観に基づいて行動したらいいのに。
でも、私は、まずは目の前の人の価値観に合わせたいのだ。

「人に合わせたいのが自分だ」というのを認めたら、そら疲れるわな、と納得できた。

時間とともに、いろいろ慣れてきて、また自分らしさを取り戻す。
わからないことは聞いてみたり、自分の考えを言ってみて、相手の考えを聞いてみる。

そこで初めて、感謝の気持ちを持てるようになってきた。

カードリーディングをしようと思って引いたカードって、たまたま偶然、目の前にあらわれたカードなのであって。どんなカードが出てきても、どれでも何でもいいのだと思う。

カードを目にした瞬間、自分とカードを照らし合わせて、何かしらの意味を見出そうとするのだと思う。

少し前までは、この今、この瞬間の特別な1枚のカードを引くのだー!と意気込んでいた。

でも、偶然出てくるものが最適だ、何が出てもいい、と思うようになって、ものすごく気軽に、ものすごく「なんとなく」カードを選んでいる。

「単なる偶然でしかない」とするのか、「運命的な偶然」とするのか、それも自分の心次第だと思うから。

そういえば、日本人の私とアメリカ人の夫の出会いは、イギリスのロンドンでだった。たまたま旅先で同じユースホステルに泊り、たまたま他に誰もいないホステルのカフェで、早めの夕ご飯を食べていた、というのが始まりだった。

たまたま、その日のその時間に同じ場所に居合わせた、ということを、「偶然」で済ますこともできるし、「運命」ということもできる。

ま、出会ってから20年以上経った今、「まぁ、運命だったよね」と言うことはわりと簡単だ。

そして、出会った当時も「こんなに偶然が重なるなんて、運命かも!」とお互いに思ったのも本当だ。ただ「居合わせた」以上の偶然が、いろいろ重なっていた。

「たまたま、そこに現れた偶然に、偶然以上の意味合いを持たせる」というのを、これまでも私はやってきた。

だからというか、「たまたま引いたカードに、自分の心を照らし合わせて、特別な意味を持たせてもいいのだ」と、わりと確信的に思っている。

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