愛着の問題は何歳からでも立て直せる
愛着障害は何歳からでも必ず修復できる
子どもが愛着に問題があるのではないか、というところから、出会った本に救われた。
うっすらと、自分自身も愛着に問題があるなぁと感じていたし、自分のきょうだいも愛着障害なんだろうなぁと感じていた。
大人になってからも愛着の問題を抱えている人間からすると、この「何歳からでも必ず修復できる」というのは、本当に希望の光が差し込む思いだった。
詳しくは、ぜひ本を読んでもらいたいと思うけど、印象に残っていることを少し。あえて、愛着障害とは言わず、愛着の問題と言うことにする。
愛着の問題は、スペクトラムであって、多かれ少なかれではあっても、たくさんの人が抱えるものだと感じた。
白黒思考、完璧主義は愛着の問題から来ている。
人の気持ちを読み過ぎることも、自分以外の人を優先してしまうことも、愛着の問題。
愛着の問題を解決しようと思ったら、安全基地となる人を決める必要がある。
この人はどんなことをしても、言っても、自分から離れてしまわない、と感じられる存在が大切。
安全基地となる人を見つけるのは、大人になってからでも遅くない。
思ったことを言ってみて、大丈夫だ!と感じることが大切。
自分の本当の気持ちを見つけてあげよう。
本を読んでる途中から、子どものことよりも、自分のことを当てはめて考えていた。
小さいころ、2歳上の姉と母の取り合いをしていた。
姉が体が弱く、入院したり、夜中に発作が起きたりして、自分のことを見てもらえないと感じていた。
小学校に上がると同時に、父親の実家に引っ越ししたことで、母は難しい立場になった。祖父母との関係も、田舎の地域の人間関係も。さらに介護の問題も。
両親の喧嘩に心を痛めていた
母は常に大変そうで、自分の気持ちを聞いてもらおうとすら考えていなかった。
私の安全基地
ふと、私には安全基地と呼べる人間がいることに気づく。
まだ学生だったときに、海外の地で出会った夫。
出会ったその日に、普段なら隠しているような、自分の気持ちや生い立ち、家族のことをしゃべっていた。
日本に来てくれて、私の親とも仲良くなって。難しかった父との関係も、夫が間に入ることで、上手く回るようになっていた。父が夫をすごく気に入り、月に何回も二人でご飯を食べていた。
自分が抱えている、つらい気持ちや難しく考えていることを、夫に言うと、すんなりと分かってくれるし、柔らかくほぐしてくれる。
育ってきた環境や言語は違うけれど、何か根柢の部分で分かり合える人がいることのありがたさに気づけた。
子どもたちの安全基地
私は、子どもたちの安全基地になれているだろうか。
できるだけ、困ったときに困ったと言えるように、意識してはきた。自分が助けを求められなくて、つらい思いをしてきたから。
でもやっぱり、長女も次女も、私に気を遣ってると感じることは多い。
もうずっと、本当にいっぱいいっぱいで、子どもに負担をかけてるなぁと思っている。
でも、「何歳からでも」修復できるのであれば、まだ子どものうちの今なら、全然遅くなんかないはず!少しずつ戻ってきている体力・気力を使って、子どもたちの安全基地になれるよう努力したい。
子どもの自分を大人の自分が抱きしめる
そうかー。自分は愛着の問題があるんだなー。と認めることができると、また違う方向から過去を見つめることができ始めた。
私は一体何が悲しかったのだろう。寂しかったのだろうか。つらかったのだろうか。本当はどうしたかった、どうしてほしかった?
今の自分が、過去の小さい自分を抱きしめるように問いかけると、あの時こうだった、とか、こうしてほしかった、とか自分で認められるようになっていった。
すると、ふと、親の愛情が感じられる場面も思い出せるようになってきて。そうか。親も大変だった中で、できるだけの愛情はかけてくれていたんだなぁと、思えるようになっていった。
今の自分の大変さと、過去の親の大変さが重なったりもして。子どもの自分からすると足りていないように思うけど、大人の自分からすると意外と愛情たっぷりだったんじゃないかと思ったりして。
大人の自分が子どもの自分を、温かく抱きしめてあげられるような気がした。
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