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「本当の自分」ってないのかも
歯と頭の痛みが続いて2ヶ月。
やっぱり歯が原因じゃないのかも、ということで、脳神経外科を受診して、片頭痛のお薬をもらってきた。
お医者さんが、薬を処方してくれて、これで大丈夫!って感じだったので、すごく安心した。(CTスキャンの結果も問題なかった)
また1週間後に、そのお医者さんに会いに行く。
帰り道の自転車をこぎながら、また、ふと、思い至った。思い至ってしまった、というか。
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病院からの帰り道。
何を学んだら、このつらさから解放されるかなぁ~なんて、ぼんやり考えてた。
あいかわらず、つらいからには、何かを学ばなくては気が済まない。笑
そしたらね、本当に、ふっと。思い至った。
私、「内側の自分」と「外側の自分」って言うけど。
「本当の私、素の私」がいて、その外側に「社会性を意識した私」が鎧みたいに中身を守っているように感じてたけど。
実は「本当の私」なんていないのかもしれない。
「外側の私」しか、いないのかもしれない。
気づいた瞬間、ぎゃーーーって思った。
ヤバい。と思った。
また土台からひっくり返すヤツ!って。
でも、そういうことなんだ。と、腑に落ちてしまった。
ちょっとまだ、どういうことなのか、自分でも言葉にならないのだけれど。少し言葉にしてみる。
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本を読んで、「自己」は本当は必要ない、と知った。
過去・現在・未来を時間軸として、一本筋を通そうとすると、その時間の流れを観察する主体が必要で。それが「自己」なんだって。
人類の進化の過程で、過去を反省し、未来を予測することが重要になったとき、「自己」が現れた。
でも、本当は、過去・現在・未来は一本道ではない。本来、バラバラに存在している。ありとあらゆる可能性が存在している。
「自己」がつながなくても、存在している。
今、目の前の、現在だけでよければ「自己」は必要ないし、そもそも「自己」は生まれないのかもしれない。
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「自己」は過去から現在、未来をシミュレーションするときに必要になる。
狩猟採集社会では、そのときそのときが大事で。狩らなければ、採らなければ、飢える。遠い未来のことを考える余裕はない。
農耕社会や工業社会といった、安定した社会では、未来が予測可能になったことが大きい。むしろ、シミュレーションして、遠い先のことまで読むのが重要。
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ちなみに、この「自己」が強いと抑うつになりやすいらしい。
過去から現在、そして未来へとシミュレーションを重ねるということは、「自己」の存在を強める。
さらに、そのシミュレーションがネガティブに傾くと、抑うつにつながるそうだ。
ネガティブなシミュレーションが渦巻き、
「自己」の中に囚われてしまう。
幻覚剤などで「自己」が失われる感覚になると、抑うつはマシになる。過去・現在・未来のつながりを意識しなくなったり、ごちゃ混ぜになったりする。
過去の後悔や、未来の不安を感じなくなる。
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マインドフルネスも「今、ここ」に集中することで、「自己」を消失させる手段なのだと思った。
そういう意味で、掃除も、目の前のことに集中できて、落ち込んでるときにはいいなぁと思った。
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自分の中心を成していると思っていた「自己」は必ずしも必要ではないと知った。
本を繰り返し読み、少し時間をおいて、ついに腹に沈み込んだ感じがした。
「自己」はなくてもいい?
「本当の自分」って思ってたけど?
となると?
「外側の自分」しかない??
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そう。最初から本で言われているのは、そういうことだった。
「わたしも、あなたもたった"8つの要素"でできている」
パーソナリティ特性とは、外からの刺激に対して、どう(無意識に)反応するかの集合体。
ビッグ・ファイブと呼ばれる特性だったり、著者は8つのパーソナリティに分けて説明しているけれど。
結局、社会の中での反応の仕方(の違い)が、その個体を表すのだ、と。
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内側の自分に、上塗りされた外側の自分が、層になっているように思っていた。
でも、実際は、外側だけがある。
それって、内側の自分=過去で、外側の自分=現在、ってことなのかもしれない。
そして、未来はない。必要ない。
過去も必要ない。
そうか。「本当の自分」はないのか。
ただ自分が今ここに居るだけなのか。
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気づいたからどうやねん、だから何やねん、とも思うけど。
また、言葉にしていけたらいいな。
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・・・だとしたら、誰かがやってくれるのを待つより、自分で書いた方が手っ取り早いと思いついて、「スピリチュアル理論」と名づけることにした。
スピリチュアルというのは、心理学でいう「無意識」に「魂」を重ね合わせた言葉だ。脳科学の知見は、意識が無意識と対立している(あるいは意識が無意識を制御している)のではなく、じつは「わたし」のほとんどすべてが無意識で、意識はその一部(あるいは幻想)でしかないという膨大な知見を積み上げている。「わたし」というのは、突き詰めれば「無意識/魂」の傾向のことなのだ。
わたしたちは一人ひとり異なる複雑で陰影に富む性格(パーソナリティ)をもっているが、それはいくつかの基本的な要素に還元できることもわかってきた。これはパーソナリティ心理学では「ビッグファイブ」と呼ばれていて、「外向的/内向的」「楽観的/悲観的」「協調性」「堅実性」「経験への開放性」のことだ(本書ではこれを8つに拡張している)。その意味では、「わたし」はこれらの要素の組み合わせでしかない。
脳は長大な進化の過程で、スピリチュアル(呪術的)なものとして「設計」された。
わたしたちにとっての世界(社会)は、「わたし=自己」を中心として、家族、友人、知人、たんなる知り合い、それ以外の膨大なひとたちへと同心円状に構成されている。他者を中心とした世界を生きているひとはいないし、もしいたとしたら精神疾患と診断されるだろう。
ひとの生活は、起きているときと寝ているときに大きく分かれる。眠りに落ちると世界は消え(あるいは夢の世界に変わり)、目が覚めると(現実の)世界が現われる。目を閉じると世界は消え、目を開ければ世界が現われる。
「なにを当たり前のことを」と笑うかもしれないが、この体験はとてつもなく強力だ。スピリチュアル=無意識は(おそらく)、自分が世界の中心にいて、すべてを創造したり、消滅させたりしていると思っているのだ。
脳の基本OSは人類共通でも、そのなかのいくつかの傾向は個人ごとにばらつきがある。そのささいなちがいをわたしたちは敏感に察知して、「性格」とか「自分らしさ」と呼んでいる。ビッグファイブというのは、一人ひとりが演じる物語のキャラを〝見える化〟したものなのだ。