見出し画像

働けないは死んでいるわけではない

この記事、書いたものの公開するか迷ってたけど、公開することにした。

「私はずっとつらかったのか(という気づき)」をちゃんと見つめるには、やっぱり出してしまう必要があると思って。

コロナの高熱の直後。体力は消耗しているものの、何か浄化しているんだろう、と思いつつ、ぼーっとnoteを読んでいた。

そして、気がついた。
時折、頭の中が真っ白になった私の口からこぼれ落ちてしまう「しんどい、しにたい」は、「働きたくない」ということなのかもしれない。

そんなことを、軽々しく口にしてすみません。

でも、そんな重たくて、軽くなった気づきがありました。


追い詰められてた頃

本当に追い詰められていた10年ほど前、30代の私。仕事を辞めないと決め、逃げられないと思い込み、絶対失敗すると思うことを、まぁまぁ失敗しながらやり遂げたあたり。

何って人間関係が難しく、人間不信に陥って、家の外では誰も信じられなくなっていた。

まわりの人とうまくいかない。心を開けない。

常に誰かが誰かの悪口を言っていて、もちろん私も言われていて。むしろメインのターゲットだったか。自分勝手だ、ワガママだ。仕事しない。なんか、そんなことを言われていたと思う。

反撃するように悪口を返してみるものの、自分も信じられなくなる。
自己嫌悪と自己不信。

言われてることの反動で、仕事を断れなくなっていた。馬車馬のごとく働く。

今なら、こんな真面目な私をつかまえて、何を言ってくれとるんじゃ!とキレるところだけど。

当時は怒りを自分に、内に内にと向けてしまい、結局、突発性難聴で一部の聴力を失うと言う形で、いったん強制終了となりました。

頭の中にぽっかりとあいた空白

その頃から、いや、もう数年前からか。
頭の中に、白い部分ができるようになったのは。

その前、20代の頃に働いていた場所でも、同じように目をつけられて悪口を言われていて。私の悪い部分を何十倍にも膨らませて、ひどい人間像が出来上がる。それを聞いて真に受ける人から、嫌な言葉をかけられる。

もう無理だ。

そう思ったときに、私の頭の中に、ぽっかりと空白が生まれた。

無。そこは何も感じない。何も考えない。

そんな部分。頭の中が真っ白になった感覚。

あ、これはダメなやつ。そう思って、どこか病院を予約したんだ。メンタルクリニックだったか。でも、予約の日が来るまでに、仕事を辞めることにして。

そのときの上司との面談でも、人づてに聞いた私像が元になってるのを感じる。わりと、ひどいことを言われた。人格に関すること。

もうどうでもいい。辞めるもの。そう思って病院の予約もキャンセルした。

その次のお正月、私はその上司に「おかげさまで次の仕事では人に囲まれて楽しくやってます」と年賀状を送りつけた。別に読みもされてないだろうけど。

空白を無理やり埋めて進む

あぁ不器用だ。なんか、いろいろ不器用だ。

とにかく、この時に頭の中にぽっかり空白ができるようになった。まだ20代後半だったか。

その数年後に、また同じような人間関係の難しさと、今度は仕事量が多いことまで追加されて。頭の中に、何も感じない、何も考えない空白が生まれる。でも、そのことを無視する私。

頭が真っ白なのに、無理にでも一つひとつ、次に何をするか行動を決めて、手と足を動かしていく。

自分で決められないときは、上司に聞く。そんなことも決められないの?ってことでも聞いて。とりあえず決まれば、動けるのだから。

そんなことを繰り返していた。

大丈夫。一つひとつ動きをコントロールしていたら、前に進める。
次の動きを決めてしまったら、その動きをしている間は何も考えなくていい。

でも、どうしても、ぽっかり穴があく瞬間がある。

そんなとき、頭はぼーっと真っ白で、何もないのに、口からぽろりと言葉がこぼれる。

「しんどい、しにたい」

そして、あわてて否定する。いやいや、しにたいなんて一個も思ってないやん。そんなこと、口にしたらあかん。

でも、思考停止して、頭に空白が生まれると、またこぼれてしまう。

本心

全然しにたくないねん。今の生活が大事やねん。いとおしいねん。

なのに、なんやこれ。

働けないことと死んでいること

最近は、だいぶ口からこぼれ落ちることも減っていた。

人間不信もマシになり、職場の食堂で会った人とおしゃべりしながら、ランチすることもできるぐらいになった。

自分と向き合うようになったからか。
何が嫌で、何が好きで、自分はどんな要素で成り立っているか、少しずつ理解が進んでいる。

そして、noteで目にした言葉。

「働けないからって死んでいるわけではない。」

何か、私の心がつつかれる。

私の中に「働けない=死んでいる」というのが、こびりついてないか?と気づかされる。

働かざる者食うべからず、か?

働けないと死ぬ、と思ってるのか、私。

何かが私の中で動き出す。

そうか私は、しにたいと口から出るとき、働きたくない、社会から逃げたいのか。

仕事に向かう重たい足取りを、無理やり前に進めるとき。自分の中の判断基準を見失ってしまい、それを他人の基準に合わせなければと焦っているとき。必要な気遣いができていないんじゃないかと不安になったとき。

「社会の中で生きること」にしがみついていたのか。

命のことを軽々しく口にしてはいけない、と自分を諌めてきた。

でも、言葉だけがもれていく。

思考停止になっていた。

心が軽くなる

違うやん。組織で働きたくないんやん、私!
団体行動したくないんやん、私!

なんか生真面目に難しく考えすぎてた。

もっと軽くなれる。

急に軽くなる。一気に浮上する。

人にもまれて働きたくないないんやん、私!
まわりの人のことを気にしてばっかりの働き方は嫌なんやん、私!

もっと「人」のために働きたいだけやん、私。

組織のために、お金のために、評価のために。そういう働き方から解放されたら、全然、生き生きするやん、私。

さぁ、ここまで思いを言葉にできたなら、あとは次の一手を考えるのだ。

やっと軽くなれた。びっくりするぐらい。

詩旅 紡さん

最後になってしまったのですが。

詩旅 紡さんの記事で、私の心は軽くなりました。

彼の書いたうちの特に1文に、私の心はつっつかれました。

そんな言葉の力をあなたはお持ちなのです。ということは伝えたい。あ、でもプレッシャーに思われるのは嫌なのですが。私という「圧」を感じたなら、すみません。特に反応は期待しておりませんです。

ただ、私はあなたの文章が好きなのです。ただ、それだけ。

 働かなければ生きてはいけないが、生きていくは働くことではないのだ。働けないから死んでいるわけではない。一生、働くことに向いていなくても、瑞々しく生きるすべは開けている。余白を作って、また進むのだ。

詩旅 紡, 診断書代4000円に、古本代合計1100円で心のバランスを取る

力が湧いてきた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?