世界の中心に居る感覚
私は「世界の中心でモヤモヤを叫ぶ」ワークをしているけど、ワーク中のこの感覚って、本質的に芸術に近いのかも!と気がついた。
仕事帰りにモヤモヤするから、自転車に乗りながら、「世界の中心でモヤモヤを叫ぶ」ことがある。
なーんか、モヤモヤする~ってとき。言語化できずに、重たいモヤモヤが自分を覆い尽くす。嫌なシーン、嫌な気持ちを思い出して、ぶつぶつ言いたくなる。
そういうときは、うぉーっと叫ぶつもりで、自分の本当の気持ちを見つけにいく。自分の腹の底に溜まってる感情を、ぐわーっと外に押し出す。
「世界の中心でモヤモヤを叫ぶワーク」と名付けて呼んでいる。
この名前、なんか劇的な雰囲気が出ていいな、と思ってる。愛を叫ぶんじゃなくて、モヤモヤを叫ぶんだけれども。
怒りを放出する
「私」が主人公です。
自分を覆っているモヤモヤを、自分を中心に外に向かって飛ばします。怒ったらいいです。もう罵詈雑言でも。
ただ、公衆の面前で本当に言葉にして叫ぶと、かなり怪しい人なので、自転車に乗っている私は、心の中で叫んでいます。
実際に声に出して怒る方が、効果があるかもしれません。声を出すときは、クッションを顔に押し当てて、叫ぶといいみたいです。
要は、自分を中心に据えて、怒りを放出し、本当の気持ちを放出するのです。
ついつい他の誰か目線で考えてモヤモヤしてるのを、怒りとして外に出しきってしまうことで、自分に軸を戻します。
なんでもいいから怒っちゃえ。駄々こねちゃえ。
本当の気持ちを見つける
まず怒りの部分を、外に出してしまったら、ふっと本当の気持ちが現れる。
その気持ちは、悲しさだったり、寂しさだったり、悔しさだったりするかもしれない。自分を否定するような気持ちかもしれない。
で、その本当の気持ちを見つけたら、自分の体に意識を持っていく。お腹が固くなっていたり、肩がこわばっていたり。頭がぎゅっとなっていたり。
体感として、何かを感じたら、その固さやこわばりを感じ続けるようにする。そしたら、ふっと、やわらぐ瞬間がくる。
というのを、しょっちゅう繰り返している私。どんどん、放出の仕方のコツをつかんできている。
エネルギーの放出は芸術のように
そして、ふと気がついた。
この「自分を世界の中心にして、エネルギーを放出する」感覚。これに似た感覚があるじゃない!と。
歌を熱唱している瞬間。
その感覚に、すごく似ていることに気がついた。
歌の世界にハマりきっている感覚。そして、声とともにエネルギーや感情を外に出す感じ。
すごく似てる。
もしかしたら、演劇で演じている瞬間も、似ているのかもしれない。
もっと言うと、詩を生み出しているときも、そうかもしれない!
きっと、絵を描いているときも、そうなのかも!
なんやったら、夢中になってnoteに自分の考えを書き出しているときも、そうだ!
ついでに言うと、好きなことについて熱く語ってるときも、そうだ!
世界の真ん中に自分がいる感覚
何かを創造しているとき、自分が世界の真ん中に居る。
自分を中心に、エネルギーや感情を外に出す。その外に出すエネルギーや感情を、音楽や詩、物語や文章、そういったものが運んでいるのかもしれない。
芸術が心の栄養として大事なんだ、というのが、腑に落ちた瞬間だった。
アートに触れることで、自分が世界の中心に戻ってくる。
そこに正解はない。
ただ感じるだけ。
あなたがあなたの世界の中心なのです。
身近なところから
ふとカラオケに行きたくなる。自分の世界で熱唱したくなる。
歌がうまい人、楽器を弾ける人は、しょっちゅう、こんな感覚を味わっているのだろうか。
詩や短歌もいいな。小説も物語が思い浮かんで、うおーっと筆が進む感じを想像する。
世界の中心にいる感覚を、また味わいたくなる。
この感覚、身近なところから自分のやりやすい方法で、繰り返し味わうと、すごくいい感じなのではないかしら。
あなたの世界の中心にいるときは?
私が「世界の中心でモヤモヤを叫ぶワーク」をしてる間に、みんなもそれぞれの世界で、自分の世界を楽しんでいるのかもしれない。
私はこのワークで言語化するのが愉しい。自分の本当の気持ちを見つけるのが、楽しくて嬉しいと思っている。
自分を自分の世界の真ん中に置く感覚。
これを感じると、すんごい元気になるので、ぜひ、いろんな人に味わってほしいな、と思っている。
あなたがあなたの世界の中心に居ると感じるのは、何をしているときですか??