引き寄せと仮想現実と
なんとなく、いつかは自分で仕事をして生きていたいな、と思うけど、何をしたらいいのかはわからない。
自分が熱くなれる何かをずっと探している。
引き寄せの法則とか
そんなこんなで、本を読み漁っていたら、「引き寄せの法則」関連の書籍がおすすめにあがってくる。たぶん、これまでにも出会っている内容なのだと思うけど、ふーーん、ぐらいにしか受け止めていなかった。
今回、「引き寄せの法則」自体は、ふむふむ。そうなのねー。ぐらいで読んでいって、ふと、自分の過去を振り返ると、20代後半に「こうなったらいいな」を書き出したことがあって、その内容がわりと今の自分に当てはまっていることに気づく。
お、わりと私、引き寄せてきたのね。と軽く受け止める。
奥平 亜美衣さんの言葉は、わかりやすく心に響き、「『引き寄せ』の教科書」から「『創造』の教科書」と立て続けに読んでみて、もっと知りたい!と思うようになった。
「引き寄せ」の話はこの「『創造』の教科書」で終わりということで、その次の段階の、魂とか本当の自分についてとか、仮想現実の話とか、もう少し読み進めたいと感じたので、「本当の自分を知る本」のソフトカバーを思いきって買ってみた。上の2冊は、Amazonプライムで電子書籍版を無料で読んでいた。最初はちょっと迷っていたのだけれど、サンプルで1章分読んだら、もう止まらなかった。
この本を読むことで、ものごとを見る目が変わってしまった。
量子力学とか
奥平さんの言葉がつづられる合間に、量子力学コーチの高橋宏和さんの科学解説コラムが挟まれる。
量子レベルで考えると、ものは今まで認識していたようには存在しないのか、と知る。例えば、テーブルにコップがあったとして、コップに触って「ここにコップがある」と感じていても、触った手の感触も、あると感じていること自体も、脳がそう認識してるだけで、本当は「ない」のかもしれないという。書き出すとよくわからないこの感じ。
あと、コラムの中で紹介されている「二重スリット実験」が衝撃的過ぎて。電子を噴射して、2つの細長い長方形の隙間を通って壁に残る跡を確認すると、観察していない状況では縞々に跡が残り、観察されていると隙間と同じ2つの長方形の跡が残るという。観察者が見ている(映像として記録されている)ところでは、粒子となって形を作り出すけれど、見ていないところでは明確な形のない波線形になっているという。
見ていないところでは形づくられず、「ある形になり得るもの」として存在する。観察者=自分が見ていないところでは、「ある」と思っているものが形としては「無い」。
物理的にこのことが証明されている、と知った途端、そうか、自分が見ていないところについては考えなくていいんだ、と、すとーんと腑に落ちてしまった。
憑き物が落ちる
形があると思ってきたものですら、見ていないところでは形がないのだから、形のない気持ちとか感情とかは、自分の目の前でそれが表されていなければ存在しないのかもしれない。
今まで人の気持ちとか、わざわざその人の立場になって考えて、こう思っただろうか、あんなこと言わない方がよかったかも、と心配していた。
ご近所さんの目も、ママ友との関係も、何もかも気になって心配して、勝手にがんじがらめになっていたのが、すとーんパラパラと外れてしまった。
自分がどう感じてるかだけでいい。
憑き物が落ちる瞬間だった。
仮想現実と波動
あると思っていたものは、無い。今まで心配してきたものは、無い、でいいんだ。
仮想現実とも言える世界に生きていて、この世界を創り出しているのは自分らしい。
ここの部分に納得してしまうと、今まで見てきたもの聞いてきたものが、一気につながり始めた。
マトリックスもインセプションも、ダヴィンチコードも。なんか、つながっていく。手塚治虫も森博嗣も、読んで想像していた世界は、そういうことだったのか!と。仏教やヨガの世界もこういうことを言ってたのか!と。
どうやら私が知らないところでは、仮想現実に生きていることは多くの人が行き着いている考えらしい。
その1人である奥平さんは、いい気分で過ごすことが大事だと強調している。それが波動を高めるから。
なんか波形の見えないもの、波動というものが、ものすごく重要な位置を占めているらしい。
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