工場見学で知る私の価値観
グローバル企業
グローバルな大企業の工場見学・倉庫見学に行かせてもらうことが続いた。見学用のルートとはいえ、普段はなかなか見られないような、裏側というか内側を見せてもらえて興味深い。
やっぱり大きい企業は、きっちりしてるなぁ!というのがおおよその感想。サービスもしっかりしているし、サービスや商品の利用者はもちろんのこと、働いている人やその家族までケアしてくれてそうな雰囲気がある。こんな企業でバリバリ働いてる人は、仕事も規模が大きかったり、ネームバリューもあって、プライドをもって働いている人も多いだろうなぁと感じる。きっと福利厚生もしっかりしてる。
拒絶感
ただ…ただね。残念なことに、私自身は絶対にここでは働けないな!と絶望するぐらいはっきり感じてしまった。
これまで押し殺していた感情を解放し始めている私にとっては、もう本当に、そこにいる間ですら拒絶感を感じてしまい、いかにそれを無視するかにエネルギーを相当取られてしまった。
とにかく、無理ー!と叫びたかった。
若い頃なら企業に頑張って合わせていただろうと思う。それはもう、従順に。会社が決めたことだから、それが全てだ、と。そして、合わせきれなくなって、適応障害とかもろもろ心に問題があらわれただろうなと痛感する。
ま、そもそも雇ってもらえないって話かもなんですが。それは、ちょっと置いておいて。
特に工場・倉庫の部分は、マニュアルにしっかりと従ってやれば、全てがうまくいくようにシステム化されている、という。そこで働く人たちは、マニュアルに書かれていることに、1ミリも違えず従えるという能力が非常に評価される、と。
機械化が進んでおり、機械よりも人が作業する方が効率が上がる部分には、人が配置される。そこで機械のように作業する人たちを眺める。
私の価値観
自分の価値観をこんなにもはっきりと感じたのは初めてかもしれない。
小さなことでもいい。ただ、自分の頭で考えたい!工夫したい!自分で選びたい!という心の叫びを感じる。
全てが自動化され、他の誰かが決めたことを忠実に守り、均質化されている、ということにいっさい魅力を感じられない私がいる。見学させてもらった世界では、誰かの工夫は均質化の邪魔になるものでしかない。効率が重要視され、そこに人間らしさは必要ない。
無性にアートを楽しみたくなる。個別の感性、一人ひとりの違いに面白味を発見したくなる。心が動く瞬間、おおっーと感じる瞬間が無性に恋しくなる。これはもう、衝動だ。心から突き動かされる感覚。
ラピュタのムスカ大佐
人間らしさが最小限にまで制限されている環境を見て、どうしても、天空の城ラピュタのムスカ大佐がちらついて、「見ろ!人がゴミのようだ!」と言うシーンが思い起こされてしまって。
あー。また悪役に自分を重ねてる。いや、別にムスカと自分が同じとかじゃないけど。ムスカがその台詞を言ってるときの感覚を想像してしまって。
ムスカ大佐の兵士たちとか、自分の意思より命令が優先で従っている人たちが、あっけなく空中に放り出されて落ちていく。そこにはもう、一人の人間としての存在はない。命令に従って動くシステムの一部で代替のきくもの、手駒の一つとしてすら認識されないものが、視界から消えるだけのこと。
そんなことに、虚しさを感じてしまったのかもしれない。
冷静さを取り戻す
かといって、製品やサービスの高品質が守られているのは素晴らしいことだと感じる自分もいる。この高品質が守られるためには、厳密に機械的に動けることが不可欠なのだ。その製品・サービスに魅力を感じて利用したいと思う自分がいる。
見学に行って心が拒絶感を示すのに、そこで産み出されるものにとても魅力を感じる。その矛盾がすごくしんどくて。気力の回復に、しばらくかかってしまった。
きっとそれぞれ違っていいんだろうな。誰かが決めたことを遵守できるのは、間違いなく一つの才能だ。ただ、私にはない才能なだけで。
言葉にしてみて、ちょっと落ち着いた。
そうだな。それぞれでいいんだな。それぞれの才能を活かしてると思うと、自分は絶望を感じてしまう世界も、誰かの素晴らしい世界なのかもしれないと思える。
そういった違いのおかげで、私だけでは得られない素晴らしいものを、私も手にさせてもらえるのかもしれない。感謝。
あの工場でつくっているものに惹かれるのは間違いないので、ありがとうの気持ちで購入してみようかな。