やさしい「どっちでもいいよ」
最近心に残っている言葉
やさしい「どっちでもいいよ」
最近、よくこの言葉を受け取る。
すごく心がゆるむ言葉だなぁと思う。
白黒に陥りがちな思考を、ふわっとさせてくれる。
責任感を背負いすぎたり、ついついこだわりが強くなる私には、すごく大切にしたい言葉かもしれない。
絵本「あっちゃんのはたけ」
やさしい「どっちでもいいよ」というと、どうしても思い起こされる絵本がある。
「あっちゃんのはたけ」という絵本で、子どもが保育園の絵本借りで借りてきた本。次女がめちゃくちゃ好きで、何回も借りてくるから、そんなに好きならばと購入した。
野菜嫌いの女の子あっちゃんが、おばあちゃんと畑できゅうりを育てることで、野菜を好きになれるかな?という話。
おばあちゃんがあっちゃんを畑に連れ出すけど、あっちゃんは「やさいきらいだもん」とそっぽをむいている。でも、おばあちゃんのはたけづくりは、なんだか楽しそうで気になってきて。。。とお話が進む。
あっちゃんの繊細な心の動きがよく描かれていて、つい感情移入してしまう。
途中、あっちゃんがついに、はたけのお手伝いをし始めるんだけれど、「おばあちゃんが好きだからだよ、やさいが好きだからじゃないよ」と言い訳をする。おばあちゃんは、にこにこしながら「どっちでもいいよ」と返す。
おばあちゃんのこの「どっちでもいいよ」に、いつも心が持っていかれる。
そう。おばあちゃんには、どっちでもいいんだよ。野菜が好きだからだろうと、おばあちゃんが好きだからだろうと。本当にどっちでもいいんだよ。
でも、あっちゃん目線でいると、その違いはめちゃくちゃ重要!!!と言いたくなる。野菜はきらいなんだよ。おばあちゃんが好きなんだよ、と。
おばあちゃん目線で読むと、あっちゃんが手伝ってくれるだけで、十分なんだよ、と思う。なんやったら、一緒に時間を過ごしてるだけでも、十分なわけで。
最終的に、おばあちゃんの思惑どおり、まんまと野菜が好きになるあっちゃん。
このおばあちゃんの手のひらで転がされる感じも、なんだか可愛くて、すごく面白いと感じるのかもしれない。
2人のどちらの気持ちもよくわかる。
そして、やさしくあっちゃんを包み込む、やわらかいおばあちゃんの心が、とても素敵に私の目に映る。
こだわりと制約と「どっちでもいいよ」
こだわっているのは、小さな私なのかもしれない。
こうしなければならない。これをしてはいけない。こんなことは言ってはいけない。
ただ、自分がしたいと思ったから、する。でいいんだろうな。
したくないから、しない。でもいいんだろうな。
しないといけないことも、するけれど。
そこには少しばかりの「やってやろう」を持っていたい。
エネルギーが足りなくて、やりたくない~とグズグズしてしまうけど。
やらないといけないから、やりたくない?
じゃあ、やらなくてもいいなら、やりたくなるかも?
そこまで、あまのじゃくではないか(笑)
どうしても「しなければ」と考えがちなところを、本当は「どっちでもいい」と解放されたら、何か見えていなかったものが、見えてくるのかもしれない。
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