渡 辺 綱 さ ん の 坂 道
ご先祖様の同僚だったと思しき茨木童子さん。
その片腕を
名刀、鬼切丸を用いて一刀両断したのは渡辺綱さん。
彼の出生地に該当するらしい當光寺が
思いのほか近所だったため
怨敵ではあるけど
意を決して訪問を試みちゃいました。
行 く 手 を 阻 む は ラ ー メ ン 界 の 覇 王 …
近所とはいっても當光寺があるのは港区の三田でありまして
最寄りの自由が丘駅から
距離にして約10kmほど離れています。
ただ
普段から頻繁に利用してる東京駅行きの路線バスが
すぐその近くを通っておりますので
タイミングさえ合えば
身近と言っても差し支えない立地と言えるのでしょう。
驚 愕 の シ ン ク ロ ニ シ テ ィ 再 び …
まずは、有名大学の脇にある慶応義塾大前というバス停で降ります。
これまた有名なラーメン二郎の脇をかすめ
何やらシックな雰囲気の漂う坂道に差し掛かります…
そう、この坂道こそ
今回のタイトルにも掲げてる
渡辺綱さんに因んで名付けられた「綱坂」なんですよね。
當光寺へは
この坂を超えなければ辿り着きません。
訪問日は先週末の8月2日、10時半過ぎですが気温はもう…
とは言え流石は二郎本店
営業開始は朝の8時半からだそうで
炎天下でも20人ほどが並んで順番を待っていました。
そんな彼らを横目に見ながら木陰を右折して
綱坂の坂下へと足を進めます。
昔から名前がつけられてるような東京の坂道には
以下に配置した参考写真のように
坂道表札なる、木製の杭のような四角い柱が埋め込まれています。
でね、それがつい先ほど
お馴染みとなったシンクロニシティを起こしたのです。
もしも興味がある方は「坂道表札」の文字列を検索してみてください…
文字検索で表示される3つ目なのですが
シンプルかつ衝撃的ですから。
尚、ご自身の検索履歴が不用意に反映されてしまわぬよう
モード切り替えなどはお忘れなく。
伝 説 的 な 3 つ の 坂 道 が 交 わ る …
緩やかな坂道を200メートルほど歩き続けると
丁字路の状態で他の通りとぶつかり、綱坂はそこで終了いたします。
左角にあるのが、綱町三井倶楽部…
三井グループの会員制倶楽部だそうでして
綱坂に沿って設計されたベージュ色のタイル壁面の内側は
おそらくすべて
その敷地だろうと思われます。
左折して當光寺へ向かうその通りも「綱の手引き坂」と呼称される
伝説めいた坂道…
ということになってますが
ご住職さまがおっしゃるにはフェイクだそうで
ロープ/綱、の方と密接な関係があるとのことでした。
三井倶楽部の辺りから
當光寺の辺りまで
坂道ではなく150メートルほどの平坦な道になっております。
国道1号線へ向かう下り坂で撮影する予定だったものの
そんなこんなで、綱の手引き坂は一枚たりとも撮影してはおりません。
尚、逆側は麻布へと向かう下り坂になりますが
途中から呼称が切り替わりまして…
それが、日向坂。
特定の方々からすると聖地みたいな坂道なのでしょう。
綱 生 山 當 光 寺 へ と 到 着 …
平坦な道を麻布のある西側の方角へと向かい
日向坂に切り替わる直前で
當光寺の門柱へと辿り着きます。
檀家さんと思われる見目麗しい娘さんに倣うかたちで
インターホンにて
訪問の意図と、こちらの立場をお伝えさせていただきました。
突然の訪問にも関わらず
ご対応いただきまして本当に有難うございます。
お 話 し い た だ け た こ と に 感 謝 …
當光寺は浄土真宗。
元々その宗派は、節分の行事は催さないようなのですが
もう、鬼は成敗しているため
祓う必要などないだろうとの考えが當光寺…
お話くださったお母さまは寺院の直系でしたが
戦後の昭和ですから
それほど厳格な教えなどは成されなかったみたいです。
柔軟とも感じられるその姿勢からは
我が母の、鬼に対する認識と相通じるような色合いを感じました。
同い年くらいで
世代的に似たような傾向があるのかも知れませんね
GHQの影響もあるのでしょう。
今回の訪問により
何か具体的で、特別な答えを得られた訳ではありません。
それでも
間違いなく成敗/惨殺の関係者でもあり
當光寺のご住職さまという
真っ当な立場の視点が捉える客観的なお話しをいただけたことは
とても重要な機会だったと深く噛み締めております。
そのおかげもありまして
我が母の呟きが妄言などではなかったこと
そこから導き出した
ボクの推測が妄想ではないことを実感できました。
勢いのまま、これからも邁進し続けたいと考えております。
ご住職さま、そして、そのお母さま
このうえなく
充実した時間を過ごさせていただきまして
本当に有難うございました。
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終 了
ご 興 味 あ る な ら 少 し 延 長
鬼に関する内容をnoteでテキスト記事にした当初は
怪異レベルで起こるシンクロニシティを中心に据えていたため
鬼に関する伝承は
意図的に省くかたちで構成していました。
ただ、流石に不親切っぽい気もしちゃいますので
以下に要点をまとめておきます。
伝 承 を か る 〜 く 解 説 …
超 か ん た ん な 組 織 図 …
ご 先 祖 さ ま と の 関 係 …
最 後 に …
ご先祖さまが、どのような立ち位置だったかまでは
残念ながらまったくの不明なのです。
我が母の本家には、神楽を行うための一式が揃っていたらしく
割元庄屋の可能性が高いことは伏せたまま
そのことを、當光寺のご住職さまにお伝えしたところ
もしや豪商だったのでは?
と、推測によるご見解をいただきました。
更に、ご住職さまのお母さまからのご指摘によると
鬼を成敗した側も
節分には豆まき行事を行わないため
場合によっては、そちらの可能性も否定できないかも知れません。
ただ、茨木家の方々が住まわれる新潟県の長岡市軽井沢は
母の実家から3キロしか離れていない訳ですから
成敗するより、徒党を組んで暴れていたと考えるのが真っ当でしょう。
本家の所在地は未確認ですが
魚沼方面なのではないかと推測しております。
以下、渾身のシンクロ記事のリンクを貼っておきますので
興味のある方や
内容を確認したい方はご活用ください。
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