キャリア迷子の頭の中
今日はキャリア面談をやってきた。
いつもキャリアの話をすると、わたしは不思議と泣いてしまう。
もちろん人の前では泣かないようにしているんだけど、
涙が込み上げてきて、いつもググッとお腹に力を入れて堪えるようにしている。
そしてその後ひとりになって、そろそろっと泣いて、何事もなかったかのようにしまい込んで仕事に戻る。
その結果が今なんだろう、と、思う。
気づきを、整理できないまま処理できないまま、そっとしまい込んで、
今、こうやってまた途方に暮れてるんだろう。
思えば去年もそうだった。
わたしは去年も、悩んで悩んで悩んで、アクセラレータプログラム(事業開発プログラム)に応募した。
自分が4年間、モヤモヤしながら動き出せなかった夢を、どうしても諦められなくて、
今思えば何を失うリスクもないのに、プログラムに参加すること自体が怖くて怖くて、ぷるぷるしながらも応募して。
それで、世界が変わった。本当に大袈裟でなく、人生が変わった。
わたしは私のやりたいこと、そしてその方法のひとつの形を掴めたし
実際に今、そのやりたかった事業を運営している。
思えばアレが、人生で初めて、自分で下した自分のための決断だった。
恥ずかしいことに、私は私のことを自分で決められたことがほぼない。
外食する時のごはんから
受験する学校、恋人になる人、初めての就職先でさえも
誰かのひと押し、ふた押し、時には十押しくらいあったんじゃないかと思う。極端に押しに弱く、また極端に決断力がないのだ。
これをいうと、大体の人にすごくびっくりされる。
「あんなに頑固でこだわりが強くてバシバシ決めていくように見えるのに、なんで?」
このセリフを何度も何度も言われてきた。今日のキャリア面談ですら言われた。初対面なのに、カウンセラーさんはすごい。笑
単純だ。自分の答えに自信がなくて、応援してほしいのだ。肯定してほしいのだ。
自分の中でいくら考えても、「〜ねば」「〜べき」思考からは逃れられない。だから、その義務的思考から離れた誰かに、「〜てもいい」って言って欲しいんだ。
でも逆に、普段周りは私をすごくすごく心配してくれるから
「〜べき」「〜ねば」の言葉がたくさんたくさん降ってくる。私の大事な人であればあるほど、私を抑制する言葉を言ってくる。
わたしが如何に弱っちくて、傷つきやすくて、融通が効かない頑固なのかをよーく分かった人たちだからこその言葉。
もっと慎重になるべき
将来的なことも考えなくちゃいけない
わたしの大事な人たちのこんな言葉を、わたしは案外まともに受け取ってきてしまっているようで
もう、染みついたこの頭は、相談してない先から、シミュレーションの中でたくさんの降ってくるであろう
ねば/べき言葉群を想像しちゃうんだ。
情けない。
でも、そんな情けない自分の性格に反して、応募して世界が変わって爆走してきた一年が、
たった1年だけど大きな力を持ってわたしを内側から揺り動かしてる。
やっちゃえよ。なんとかなるよ。
思ったまま動き出せばいいじゃん。
そういう私と、
やれるの?本当に?
慎重にならなきゃ、将来のリスクも考えなきゃ、能力の限界を思い知らなきゃ、パートナーを幸せにしてあげなきゃ、
そうやって自分の意志と被りつつも違う別のねばべき軸を量産しまくって、
頭の中がもう大混乱に陥り中。笑
とはいえ、こうしてnoteを書いていると、むくむくと湧き上がってくる自分の思いにも自覚的になってくる。
この勢いのまま筆をすすめて本音を書くと…
事業開発がしたい。思いを込めて心を燃やして自分でサービスを作り、障がいのある学生や若手社会人のキャリア支援がしたい。
人事として組織を変えたい。個人の支援だけではなくて、組織として障がいのある人を含めた多様な人材が活躍できる組織を本気で作りたい。
家族が欲しい。
子供に胸張って仕事してる自分を見せたい。
パートナーにとってただお世話する人ではなくて、刺激し合って癒し合って、本当に一緒に歩んでいる伴走者でありたい。
こんな感じ。
そのためにどうするのかっていうところで、色々考えては転職って思ってしまっていたけど…別に今の会社でも、副業で法人化して始めていけばできることもある。法人化したものを本気でビジネススケールできるなら、
そこをやり抜きつつ、業務委託でたくさんの会社の人事課題に触れていくことが、わたしが一番やりたいことかも、しれない。
ちょっといったん筆をおこう。
まだまだ迷い中で、持ち前の衝動性で書き連ねたことが
また時を変えて見ると腑に落ちないこともあるから
こうやって何回も何回も、自分を塗り直して
重なったものの中でしっくり来る瞬間を待つために。
迷ってもいい。あと3ヶ月くらい、時間制限が来るまでの自分の変遷をしっかり確認していこう。