わたしが全日制高校に通っていたとき
夜は太陽が出てる時間と比べて、脳内物質の量が変わるので考え方もだいぶ変わります。
夜は考え込んで止まらなくなって、訳もわからず涙が止まらないことが多いですね。
かなしくて、かなしくて、たまらなくて、どうしたらいいのかわからなくて、誰かに背中をさすってもらいたくて、さすってもらいたくなくて、たまらない時間。
私は全日制の高校に通っていた頃、夜中よく泣いていました。
課題がとにかく終わらない。
絵の専門コースがある高校に通っていたのですが、とにかくイラストの課題量が多い。
漫画を描いて、キャラクターデザインを描いて、物語のプロットを何枚も構想して…。
一枚絵を描いて…。
授業の最初にテーマとルールの説明がされ、手本が配られ、スケジュールを組んで、以降はひたすら絵を描きます。
終わらなかったらお持ち帰り。
家で好きに描き出してもいい。
私はとにかく授業中に何も描けなかった。本当に、白紙。
絵の学校で絵を描かないなんて有り得ない話ですが、私はとにかく絵が描けなかった。
人の目が気になってしかたなかった、怖かった
みんなお互いの作品を見せ合って、褒め合って、怖いことなんて何一つなかった
それは頭で分かってるのに、何も出来なかった
私は物心がついた頃からずっと絵を描いており、小学生、中学生の頃は授業中もずっと絵を描いて、休み時間は絵を描くか本を読むかの二択でした。
それくらい、齧り付いて絵を描いていました。
時には先生に怒られ、取り上げられることもありました。
ですがら中学2年生の頃「お前よりあっちの方が上手い」と言われ、何かが切れてしまった、本当に。
人前で絵が描けなくなった
怖くて 他人の目が怖くて
母親にスケッチブックが欲しいと言えば、「なんでお前の絵にお金を出さないといけないの」と言われて、家でも絵を描くのが怖くなった
私は自分の恐怖心に勝てなかった
でも絵を描くのが好きだった
その代わり、他の人に何を思われてもいいように、わざとゆるい絵ばっかり描いていました。
諦めたくなかった
また絵を描くこと好きになりたかった
だから、絵を描くコースがある学校に進学した。
でも、絵を好きになれなかった
友達の作品を見るのは、とても好きでした。
隣の席の子、後ろの席、ずっと、みんなは自分の作品と向き合ってるはずなのに、見られてる気がして怖くて、吐き気と目眩と、白紙にずっと責められてる気がして、何も描けなかった
トイレ抜け出して座り込んだり、支給されたタブレットでTwitterを眺めていたり、とにかく絵から逃げていた
向き合うのが怖かった、向き合えなかった
わたしは
立ち向かえなかった
絵を描いてる以上、多種多様な評価をされるのは知ってるし、もちろん否定されるのもよくあることだ
でも、わたしは無理だった
立ち直れなくて、怖くて、絵が描けない
でも…デッサンの授業は好きだったな
先生がとても優しい人で、よく褒めてくれた
少しずつ自分の上達が見えて来た気がして、コップとか水の流れを描いたり、布とレンガを描いたり、楽しかった。
そんな調子だから、課題が本当に終わらなかった。
家でも、自分の部屋でも出来なかった
吐き気がして、とてもしんどかった。
課題の提出はちょっと過ぎた後か、なんとか急いで終わらせて、合評が終わった後提出していました。
初めての授業で合評があった時、本当に吐きそうになった。
それ以降ずっと合評後に提出、期限を過ぎた後に提出。
私は一年生の頃から美術部に所属しており、展示会に出展する絵を描いており、わたしは顧問の先生によく構ってもらっていました。
夏休みの期間中も毎日学校に通って、提出する作品を進めて…
本当に朝起きれなかった、夜寝るのが怖かった。進めるのが本当に怖かった。
昼から登校してよく叱られてました。
寝るのが怖くて、朝になるのが怖くて、寝て起きたらいつのまにか昼を回ってるんです。
あの頃は本当にごめんなさい。
嫌でも手を進めたら終わるってわかってる、でも夜寝て起きてみんなの実力に圧倒されながら作品を進めることが本当に辛かった。
周りが画塾に通ったり、いろいろ知らないところで努力をしている中、わたしは中学生の頃から時が止まったままで、立体感も影もパースもうまく汲み取れないまま、周りの絵と比べたらわたしなんて絵の具の無駄遣いだ。
現実を受け入れるのがとても辛くて、周りを見たくなくて、一歩進むごとに何も進まないのが怖くて、ずっと ずっとサボっていて
余計また怒られて、凄く圧迫感があった
何もかも自分の蒔いた種で、誰も悪くなくて、
情けなくて、ずっと夜泣いてた
でも、絵を向き合おうとする気持ちは少なからずありました。
そう、写生大会。
いろんな学校が集まっての写生大会があった
2年生の時、顧問の先生に「行こうか悩んでるんですよね」と話すと「悩んでるくらいなら一緒に行こう!」と明るく言われて…わたしも一歩踏み出そう と思って、一歩踏み出すことにしました。
わたしを良くしてくれた先輩が朝話しかけてくれて、暑い日でした、友達と朝ごはんと水分を買って、集合場所に集合。
ルール説明、時間、範囲、そこから好きな場所へ。
わたしは仲の良かった友達と場所を選んで、絵を描いていました。
よくサボっていたけど、でもなんとか線画を終えて、絵の具で色塗り
色塗りをしていたら、色塗りを、始めた時、葉っぱに色を塗り始めて少ししたとき
知らない人が
わたしの前に自転車を停めて
わたしに言ったんです
「あっちの子の方が上手い、あっちの子の方が上手い」
わたしはどうしたらいいのかわからず、はい?はあ、はい。なんて、曖昧な返事をしていました
見にいけば、参考に見に行けばいいのか?と思って、筆を置いて、立ち上がろうとしたとき
「アンタの色塗りは小学生みたいや
あっちの子の方が上手い、あっちの子は葉っぱの色ひとつひとつ色が違う」
「まあ、ほな、頑張って」
って言われて、わざわざ停めてた自転車を下ろして、またどこかへ走り去っていきました。
ああ
あああ〜〜
わたしってやっぱりこういうこと言われる体質なんだな
あああ〜〜
そんな感じで、特にショックを受けたわけでもなく、でも、もうその作品を進めることはできなかった
でも、自分のその絵を嫌いになったわけではなかった
でも、筆を置いてしまった
そのまま、それを言われた時のまま、提出しました
審査時間があって、優秀賞の発表があった後、顧問の先生にぺち、と頭を叩かれました
そしたら
なんだか 無性に泣けてきちゃって
泣いちゃった
周りの子が「こんなことあった、わたし見てたんです」って説明してくれた
わたしの代わりに
副顧問の先生は、配られたアイスがどろどろに溶けて液体になってるのに、ずっとわたしのこと慰めてくれて
顧問の先生は謝ってくれて、よく顔に出さなかったね と言ってくれて、本部に連絡しに行った
友達も、慰めてくれた
そのカルトンを持って、電車に乗るのが、すごく辛くて、恥ずかしくて、死にたかった
次の日は学校に行けなかった
恥ずかしい話ね
辛い
わたしはずっと自分に甘えてる
わたしは弱い
まだ絵を描くのが怖い
自分に勝てない
恐怖心に勝てない
あの頃は
夜
たくさん泣いてた
眠れなかった
ずっと逃げてた
ずっとずっと 逃げて、いろんなサイトを見て、逃げ回ってた
顧問の先生、副顧問の先生、ごめんなさい
やる気のない人だと思ってましたよね
向き合うのが怖かったです
ずっと、ずっと、苦しくて、怖くて、向き合うのが辛くて、ヘラヘラして、辛かった
苦しい時、怖い時、ずっとヘラヘラしてしまう
笑っちゃう
夜寝て、朝起きるのが辛かった
眠れなかった
不安で、不安で、仕方なくて、何かをやるのが辛かった
でも、やりたかった
やりたくて、部活に入って、絵のコースに入った
でもね、結局3年生の春に学校行けなくなって、そのまま通信高校に編入しました。
あたしのカルトン、捨てたかな
誰か忘れた時用の、学校の私物になってるのかな
わたしのカルトン
取りに行けてない
学校に行くのが、怖いから
みんなの卒業制作、みたかったなあ
文化祭の時期、ちょっとだけ学校に行って、箸置きを作ったりしたの、たのしかった
みんなわたしのこと受け入れてくれて、すごく嬉しかった
あのときに、戻りたい
みんなありがとう
顧問の先生も、優しくしてくれてありがとう
2年生の時の顧問の先生にまた会いたいな
厳しくしてくれて嬉しかった、でも、応えられなくてごめんなさい
文化祭楽しかった
みんなみんな、わたしのこと受け入れてくれて、一緒に回って、全日制高校最後の素敵な、思い出だった
卒アルほしかった
みんなと同じ卒業証書ほしかった
貰えないのも、わたしが別の道を選んだのも、自分の選択だから、夜中泣き喚くほど辛くはない
もう、割り切ってる
それはね
通信制高校に通ってる今、夜に泣く回数は当時よりだいぶ減りました。
でも、ふわふわするの
今は当時ほどのストレスがないから、そして、当時と違って精神安定剤とかいろいろ薬を飲んでいますから
ふわふわ嫌な思いして、ふわふわ少し気持ち良くなって、こうやってnoteに書きたくなって、ちょっと泣いちゃって
1人で泣いて泣き疲れて眠ることから、誰かに見てほしい にかわりました
もう、ちょっと指が疲れてきたから、おわります
おやすみなさい
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