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【他伝:誉さん③】生徒会室の扉を開くまで

私のページを訪れてくれた皆様、ありがとうございます。
そして、ようこそ!

どうも、LOLerです!
読みはローラーを想定しています。一応。

ついに始まってしまいました。
新学期......。(現在9月28日)

4年間の大学生活、最後の学期となりました。
通学は週2回。1限も週2回......4年生の履修だよね!?

まあ、1年生〜2年生の間は新型コロナウィルス感染症のために、
キャンパスライフを楽しむことができなかったわけですから、
いいとしましょう。いいよね......?

憂鬱そうに書いていますが、実はそういうわけでもありません。

大学に行けば、友人に会えるし、
昼休みになれば、学食の日替わりランチ(550円)が食べられるし、
講義が終われば、きっと皆で呑みに行けるし、
喫煙所で1人になることもなさそうだし。

そうそう、もちろん講義内容も楽しみですよ!!
真面目に講義受けてますからね!
手書きでノートとかとってますからね!

※これ、母親も見てるから......。
※いつも読んでくれて、ありがとう

さてさて、ボロが出ないうちに本題に入りましょう。

今回は、誉さんの高校生時代、特に生徒会活動についてです。

実は誉さん、小学生の時は児童会役員、中学生の時には生徒会役員を務めていました。

※私も私も!
※すみません、でしゃばりな性格が出てしまいました

とはいえ、生徒会に青春を捧げていた私としては、心躍る内容です。
早く書きたかったあ!この話!

※もちろん、大切に丁寧に執筆させていただきます
※『【自伝】はじめての将来の夢』参照


生徒会室の扉を開くまで

いやはや。
今回、目次に並ぶタイトルを見ただけでも
気合が入っていることが、お分かりいただけると存じます。

※前回とか、“幼少期について”みたいなタイトルでしたものね
※もっと捻りなさいよ!

今回のお話しは、誉さんが中学3年生、
進学する高校を選択する頃から始まります。

誉さんには中学3年生の頃、人生初の彼女がおりました。
誉さんが告白をして一度は振られてしまったものの、
1年後に彼女の側から告白をされ、付き合うことになったのだそう。

※中学生の頃の恋愛ってほんと甘酸っぱい
※青春って感じしますよね
※今度、恋バナ回とかどうですか?私の
※待てよ、元カレ様方に許可取らないといけないのかな......となると、見送りかあ

そんな彼女が進学を希望していたのは、
誉さんの学力的に“少し頑張れば”というレベルの高校でした。

「彼女と同じ高校に行きたい」

と、同時に通学に約1時間もかかる、自宅から離れたその高校へ行くことで
今までのしがらみをリセットすることができるのではないかと考えました。

※誉さんの住む地域には子供が少なく、
同級生の顔ぶれもほぼ変わらないという状況でした

大好きな彼女との青春と新しいコミュニティを求め、
進路を決定。両親に相談します。

「父は、自分の好きなようにしなさいって言ってくれたんですが、
母には、自宅から近い高校に通ってほしいと言われました......」

誉さんは心配性で慎重派な一面をもっているのですが、
それはお母さん譲りなそうで、
いつもは気の合う2人ですが、
高校を決める際には揉めたそうです。

それでも、自分が「やりたい!」と思ったことには、
真っ直ぐで頑固な誉さん。

どうにか、お母さんを説得し、受験という壁も乗り越え、
彼女と共に希望の高校への入学を果たしました。

これから始まる、新しいクラスメイトと彼女との青春を楽しみに
心弾ませていたであろう誉さんに悲劇が起こります

入学後1週間が経ったころ、
突然、彼女に別れを告げられてしまいます。

※ええっ!......えええっ!!
※ああ......ええっ!

様々な期待をもち、ウッキウキだったであろう誉さんは、
突如として、失意に埋もれ傷心しました。

そんな、誉さんの目の前に現れたのが、
“生徒会室”
の看板を掲げた一つの扉でした。

「開いちゃいましたよね〜扉」
「それは開いちゃうね。扉」

誉さんの心の中には、
「彼女を見返してやりたい」という気持ちもありながら、
教員からの関与も少なく、
”主体性がある”と言われていた
その生徒会に興味があったのだそう。

※「見返したい」で生徒会活動を選ぶというのは
なかなか話が合いそうですね笑

“主体性がある”ということは、
自由度が高い反面、
企画から、人員集め、資料の制作に、先生方のご機嫌取りなどなど、
とにかく忙しく活動しなければなりません。

※その忙しさって快感なんだよね!
※めっちゃ疲れるけどな

甘酸っぱい青春と、
日々の忙しさにまかれている間に、
1年目の高校生活が終わります。

2年生からも、生徒会活動を続けた誉さん。
それから、生徒会引退の3年次までは
“生徒会長”を務めていたそうです。

3年生になり、生徒会からの幕引きも近づく頃、
最後の大仕事である”文化祭”が迫ってきます。

次の章では、“文化祭”の成功に向け、
奮闘する誉さんの
苦悩、葛藤、勇姿
を綴ってまいります。


合唱コンを守るために


誉さんの通う高校では、
“文化祭”のイベントのひとつとして、
“合唱コンクール”が開催されることが伝統でした。

※以下”合唱コン”と省略する箇所がございます

皆様の通う高校には合唱コンクールはありましたか?

私たちの住む地域では、
“合唱コンクール”“音楽祭”といえば、中学校で開催されるものであり、
高校で開催されるというのは珍しいことです。

だからこそ、それを目当てにこの高校を選択する人もおり、
守っていきたい行事のひとつでした。

また、その企画や運営も生徒会の仕事でした。

しかし、誉さんが生徒会長を務める3年次、
合唱コンクールに向けた練習が始まり、学校中に歌声が響くようになった頃、
担当だった先生が、

「合唱コンクールを開催したくない!」

と言い始めます。

事情を聞くと、
当時の生徒の中には
音楽祭開催への賛成派と反対派がおり、
練習へ取り組む姿勢や意欲にもムラがあったそうです。

そのため、このまま開催したとしても、
伝統を守ることにはならないし、
良いものになるようにも思えないと。

さて、毎年恒例であった合唱コンクールの企画運営の仕事が
例年以上の難易度に跳ね上がったところで、
当時別の担当を請け負っていた、生徒会長の誉さんは、
合唱コンクール担当だった別の役員から、仕事を引き継ぐことになりました。

「他の高校にはない、特別な合唱コンを無くしたくない」

その思いから、合唱コンクールの“大改革”を計画します。

まずは、審査の公平性を考え、
今までには無かった“課題曲”を設けます。

さらに、練習の負担の軽減、課題曲を設けたことによる時間の調整のため、
自由曲の歌唱は、1番か2番のみにしました。

生徒全員の参加意欲を上げるため、
音楽に精通した審査員も用意しました。

また、各学級の合唱委員に都度状況を聞いてアドバイスをし、
お昼休みにはひとつひとつクラスをまわり、
合唱コンクールが無くなってしまうかもしれないことや、
全校生徒と共に伝統を守っていきたいという思いを伝え、
開催賛成派の生徒を増やしていきました。

もちろん、それに伴う企画書の書き換え、
先生方への説明や生徒たちの士気上げも誉さんを含む、
生徒会役員の仕事です。

この頃の誉さんは、
校舎退校時刻の21時になるギリギリまで学校に残り、
毎日、合唱コンクールに向けて準備をしていたそうです。

多忙の準備期間の中、行われたリハーサルの日、
誉さんは、ある1年生のクラスの様子を見学しました。

そのクラスには、
合唱コンクールへの士気が上がりきらない生徒もいました。

それは歌唱にもあらわれており、その姿を見た誉さんは

「このまま合唱コンに出ても、意味がないよ!」

と、強い口調で言葉を放ちます。

中学生の頃、野球部に所属していた誉さんは、
“怒られてやる気を出す”という指導を受けていました。

そのため、強い口調で言えば
「生徒たちもやる気を出してくれるのではないか」
と考えたのです。

当時のことを振り返り、
「今思えば、最悪の方法でした」
と、話す誉さん。

いつも穏やかな誉さんが、怒りを露わにする姿は、
正直、想像がつきません。

おそらくそれは、当時の誉さんからも想像できる姿では
なかっただろうと思います。

慣れないことをすると不安になったり、
後悔をしたりするものです。

しかしリハーサルの数日後、いつものように見回りをしていた
誉さんに先日のクラスの合唱委員が駆け寄ってきました。

「あの言葉のおかげで、クラスの意識が変わりました!」

誉さんの言葉が、クラスの士気をあげる助けになっていたようです。
そして、この言葉は誉さんの救いになったはずです。

一方で、そのクラスの担任の先生とは食い違いがあったそうで、
同日の放課後、職員室に呼び出されます。

「お前がそんなことを言ったせいで、うちのクラスがやる気を無くしている!
なんであんなことを言ったのか、職員会議で説明をしろ!」

と、声を荒げる先生に、
誉さんは、言葉選びに不備があったことを丁寧に謝罪し、
今さっきあったばかりの合唱委員との話をしました。

担任の先生は意表をつかれたような顔をして、
声を荒げることをやめました。

生徒会活動をしていると、先生方に支援をしていただくことも、
叱責をいただくことも、多くあります。

また、時間の関係、生徒会と先生方、双方の仕事量を考えると、
それぞれのクラスをまわって、直接説明をすることもできません。

自分のクラスの生徒を一番に思っている担任の先生だからこそ、
生まれてくる誤解もあります。

だからこそ、こういった対話は重要になるのです。

※だからといって、理不尽に怒りをぶつけられることに慣れるわけではありません
※嫌なもんは、嫌だよ!
※こっちだって幼気な生徒よ!と、いいたかったあの頃......

さて、山あり谷ありの準備期間をなんとか乗り越え、
迎えた文化祭当日。

合唱コンクールが始まり、
ホールに響き渡る歌と、それに続く拍手。

「今までで一番よかった!」

という声が聞こえるほどの、大成功で幕を閉じました。

そういえば、あの担任の先生も誉さんの方を叩き、
「俺のクラス、いい合唱になっただろう」
と、まるで戦友のような口ぶり。

※誉さんじゃ無かったら、嫌味のひとつでも言ってるぞ!怒
※命拾いしたと、思えよ!!
※......ふう。スッキリした。笑

準備期間中には、
「なんでこんなに、頑張っているんだろう」
と思い、気を落とすこともあった誉さんでしたが、
合唱コンクールを終え、報われたと安堵したそうです。

それと同時に、
「自分のキャパシティに合った仕事をしようと思いました」
と、頭をかきつつ、照れくさそうに話してくれました。

高校3年生の誉さん、本当にお疲れ様!!


次回予告


ふう、なんとか4500字程度におさまりました。
はたして、おさまったと言えるのでしょうか......。

さてさて、次回は誉さんの浪人時代から大学生活に至るまで!
ついに私と出会います!笑

謎に包まれていた、我々の所属するサークルについてもお話しいたします!

最終話(5話)に向け、
最後まで誉さんの人生を大切に扱っていきたいと思っておりますので、
お付き合いのほどよろしくお願いいたします。

今回も最後までお付き合い頂き、ありがとうございます。
では、また!

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