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すずらへんのこと。

珠洲は小さな村が集まってできた「市」の顔をした町だ。
人口的にも、すでに「市」の定義から逸脱しかけているだろう。
ただ、今の法律では、一度…市、として認められたら、それを外す定義、
もしくは条件は科されていないようなので、人口1万1千人レベルの市が存在し続けることになる。それがいいことなのかどうかは私にはわからない。

普通にメイン道路を走って珠洲道路を走り、ポケットパーク駒渡を越えたところから主な村落名を記すと(厳密にはもっと小さな区分がある)
・「宝立(ほうりゅう)」、見附島のあるところ、津波が集落を襲った鵜飼、春日野地区含む。宝立小中学校に避難所がまだある。
・「上戸(うえど)」、9月の豪雨で小さな川が氾濫し、流木が道路脇に寄せられていた辺り。。。上戸小学校グラウンドの仮設も浸水した。
・「飯田(いいだ)」、かつての珠洲市の中心商店街、朝市もたったところ。
市役所までは「上戸」で、市役所前の大きな道路の西側からが、飯田。春日神社もある。いまでも珠洲のことを「飯田はどうなん?」という年配の方はいるそう。
・「野々江(ののえ)、道の駅すずなりがある。珠洲市の総合病院も市立図書館も高校も中学校もあるけど、あんまり誰も中心とは思っていない(地元民は)。
他所目線から見たら、中心っぽく見えるのかな。田んぼが多くて空き地があったから、いろんな施設を立てるには好都合だったのだろう。地区の祭りを司っていた菅原神社は地震で倒壊、全壊だったので公費解体された模様。
・「正院(しょういん)」、海沿い道路沿いの家屋の損壊が一番酷いように見える地区。小学校のグラウンドに真っ先に仮設住宅が建設された。それくらい、ひどく揺れた。昔、お城があった、国司の立ち寄る町であった(院、、だし)、八幡宮に能舞台があった、などが密かに住民の自慢。文化の底力はあったと思う。
・「蛸島(たこじま)」、漁師の町、漁港がある。秋祭りの早船狂言が今も継承されている。ビーチホテルに向かう右手に入った旧市街はけっこう壊滅的な被害者。蛸島小学校に設置されていた自衛隊風呂には、たすけられた。。。

こんなことを書いていてもキリがないので、続きはまた。紹介した集落はこれでまだ半分くらいです。そしてそれぞれの地区に、小学校が存続しているのです。地震に時は、それが助けにはなりました。でも今後は? 復興計画なんて、いつになったら見えてくるのかしら。いっそこのままでもいいのかも。。。なんてマイナス思考の悪魔が耳元で囁く。いかんいかん、前向きに、ね。

地震発生から二週間ご辺り? あまり写真は撮ってない。見るだけで記憶に残す。

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