【成り立ちと精神性:三浦島悟】

※下記必読

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※長文が続きます。改行もほぼしません。読みたいときや確認したいときだけ読むことを推奨します。

進路選択という、何も考えず生きてきた彼にとってあまりに広大なライフイベントを機に、普段から少ないはずの、小さな小さな、でも人間な以上確実に存在する大元悟の臆病心がほんの少し暴走した。そのせいで、「あらゆることを知ってそれから進路を決めたい」という目的のために成立してしまった、概念としての三浦島悟は、自分から腑分けした悟を、腑分悟としてあらゆる世界に飛ばしてる。どの世界の彼にもホントのホントの根底には、「知らなければならない」という、彼っていう人格が持つ目的があるんだよね。そして結局大元の悟にとって、ほんの少し臆病な気持ちにさせられた進路選択だって、結局なんとなくで乗り切って上手いこと生きていけたんですよ。でもこの「臆病心」と「そこから生まれさせられた概念・三浦島悟」と「概念・三浦島悟から知るために腑分けされた各世界に散らばる悟」は、進路選択っていうライフイベントが現実に発生してた中3のたった一年しかない間にしか有用ではなく、活用もされなかったんだけど、でも! その後も「知りたい」という概念・三浦島悟の欲望は留まらせてもらえないまま、概念悟は欲望に抵抗するプログラムも組み込まれないまま、大元の三浦島悟の要請がないにもかかわらず各世界に悟を腑分けし続けて、見聞を広め続ける以外の行動ができない。決して誰に活用されることもない知識が、知りたいという欲望のためだけに生み出されたその存在理由のために、ただひたすら貯まっていく。望んでもないのに、早く解放してほしいのに。三浦島悟の話は本当はそういうしんどみがある話なんです、ていうのを、えふゴウやってる間に考えたんです。多分こうなっちゃった大元には、甘やかされて可愛がられて、「こう」しなくても生きていけるんだよあなたは。てみんなから世話を焼かれるという無言の圧力があったことがあったりして。反発。大元悟最大の反抗期。甘えさせてくれる人に、甘えなくたってやってけるもん!て気持ちの爆発の結果がこの展開なのかも。/

悟は「知る」ために腑分けされるわけじゃない?わざわざ腑分けを通して知りたいことって、そうでなきゃ知れないことって、悟が頭も体も含めたその身を以て知れることじゃん?わざわざ概念三浦島悟が腑分けっていう方法を一番に思いついたのは、三浦島悟が元から、自分で体感しないとわからない、想像だけじゃハテナになる人だってわかるからじゃないかしら。だから腑分けされた悟たちが本能的に求める「知る」ことは、基本自分の身を以て体感する物事なんだよね。だから、腑分けされた悟には、その素質がある。大元の三浦島悟はたぶんそうじゃないんだよね。そこまで「知る」ことに興味が強くはないと思う。普通のその歳の子らしい気怠さを感じもするし、面倒だと思うこともあるし、やーめよ、って思うこともある。きっと腑分け悟たちが大元の三浦島悟に収束されてくる瞬間があるとしたら(大元悟はもう概念悟を忘れてるからイフの話ね)、その時点においては、腑分悟の方が大元悟より人間として未熟さが無くなってるんだろうね。そうなるための腑分けなんだけどさ。/

私は悟を、無駄なことしようとする馬鹿として描きたいのよ。一生懸命考えた結果、それでも馬鹿なことしかできない、そんな愛らしい存在。彼らは絶対に頑張るんだもん。正解の答えじゃなくても、これだ!て思ったら実行するのをやめない。それって私に無い事だもん。尊敬するんだ。そんなの絶対意味ねーよってことをして、見てる方をムカムカさせるような奴。悟はそういうキャラクターなんです。/

えふゴウメモからなんだけど「今の自分が一番素晴らしいって、大元悟が辿り着けてなかった答えであって。辿り着いてんだよ悟。今の自分が一番素晴らしいって思えることが強さなんじゃないかと私は思ったわけよ。」大元悟はつまり、こうやって腑分悟が得て概念悟に持ち帰られる確かな知識を得ることはなくても、なんとなくその先の人生を歩めてるんだよね。概念悟が溜め込んだ知識はそんな大元の悟に未だ有用なものから不必要なほど膨大なものまでたくさんある。ただ肥えていく概念悟の知識全てを今の大元悟が受け入れることに完璧に意味があるとは言えないのがもう両者が噛み合えない理由よね。/

思ったんだけど概念悟って「太郎・花子」みたいに使われるようになるなら役立つよね…?日本語の例文で「太郎は○○である。」と出された時、「太郎」という概念からひとつの「太郎」が腑分されてるんだよね。いや何言ってんのこいつみたいな反応しないで!それと同じで悟も「悟はFGOの男主人公である。」って文が誰かによって例で使われることがあれば、悟の腑分は、その状態を誰かに説明する、誰かに知らせるっていう意味を持つことができるんだよ。今の概念悟のやってることは、どうやっても意味にはならない。大元悟に回収されないから。でもいつか、上みたいなやり方をすれば、悟の腑分によって培われた知識、大元悟が当時求めたその知識が、やっと何かに役立つことができるんだよ。三浦島悟が誰かじゃなくて、彼を例にした表現がどんな要素を表す記号なのかが重視されるから、概念でも大元でも腑分でもなんでも三浦島悟単体にスポットライトがあたるわけじゃないけど、腑分悟がやってきて概念悟が蒐集してきたものが、そういう方法ならやっと初めて「意味」になる。そしたらもしかしたら、いつか大元三浦島悟にもその例が何かの拍子に使われるかもしれない。むしろ、太郎・花子が不特定の人名として日本語の文脈で定着しているように、三浦島悟もそんな、不自然さのない存在としてたくさんの人に受け入れられるかもしれない。ちょっと自分で何言ってんのかよくわかんないけど、たぶん読み返すたび納得するんだろう。/

EGO'sTRAメモより。EXTRAとして特にやばいことは、悟が「自分は死の際でまだ「あきらめない」でいられる人間なのだ」って肯定感を持ち、きっと「彼or彼女(サーヴァント)にマスターとして認められるに足る人間として生ききれた」と思っても、実際概念悟に統合される頃になれば、自分がそんな大した人間ではなく、むしろ生き方がわからなくなって幻想の世界に自分を当てはめてチマチマ知識を集めるようなことをしだしてしかもそれを受け入れることすら飽きて止めたようなくだらない人間である、ってことを理解させられて、腑分悟が死ぬほど苦しんで概念悟を卑下しきって、それでもおまえは俺の一部分なんだよって概念悟がメンタルボコボコにされながら言い張らなくてはならないところでして。腑分体と概念体の間のしんどさってこれなんだよな。/

FGOオリュンポスで、アフロディーテから精神攻撃くらったときのメモよりコピペ→三浦島悟であるっていう根幹が揺らいだ瞬間、腑分悟は概念悟との接続が切れて探査不能、回収不能になるわけですが……???悟の状況にもよるけど、は、早めになんとかしないと、概念悟が腑分悟を見失って……え…そしたら、どうなるんだ………?概念悟に回収されることなく、えふゴウで生き続けることができるのでは……?そういうことなんですよねえ。まあ、この三浦島悟が「自分は三浦島悟である」という自我を取り戻すにつれて、また概念悟のサーチも効きやすくなるんだろうけど。見失っても世界中をサーチすればどこかに腑分悟の反応があるはずで、時間が有り余ってる概念悟は腑分悟を世界中あらためて探すのなんて余裕なんですけどね。まあ、そのアリより小さいような存在を探すまでの苦心は、ばっちり感じる上に誰にも理解されないわけなんですが。それでもその作業をやめることができないのが概念悟なので。でもここで問題なのが、概念悟が一度「とある世界の腑分悟」の反応を見失って、そしてその腑分悟をもう一度探すとして、概念悟は他にもいろんな世界を並行して見まくってるから、たった今消えた腑分悟が、その世界のどこで何をしていたのかを、絶対見てはいないんだよね。覚えていないというか。だから、マジで、いちいち世界中を探さないと見つからないわけで。もしも概念悟が、もうこんなバカみたいな作業やってらんない、でも体が止まらない、って涙も枯れ果てて機械になったつもりで黙々と探すとしてさ、その世界の腑分悟が、概念悟が見つける前に「自分は三浦島悟である」という自我を手放したとしたら?……たとえば、死んだりしたとしたら?そしたら、もはや概念悟はその世界に、腑分悟を見つけることはできない。腑分けしたはず、確かにここにいるはずなのに、と思って、何度も何度も時間をかけて無駄な作業を手と目と心が疲れきるほど繰り返したとして、もうその世界に、概念悟が観測できる「三浦島悟という自我をもった腑分体」は存在しないんだよな。それめちゃくちゃエグいな……と思った。まあそれは、概念悟が腑分悟を見失うかつ、見つかる前に腑分悟が自我を永遠に失う、ていう超超レアケースなんだけど。/

プリヤ読んでて思ったんだけど、別に上等じゃなくたっていいと思うんですよね。SNもFate関連作品の多くも、上等な倫理、上等な葛藤、上等な答えの狭間で織り成されてるけど、私が悟を作った理由ってまさにそこにあって。———そういう「上等」から脱した主人公。下手くそで、なり損ないで、半端で、ガキで、甘ったれで、バカだしわがままだし、救いようも、なくて。私が「死ぬのに生きてるから私は素晴らしい」と思わなくては生きていけない世界、私が乗り越えられなかった、生きることに、同じように苦しんでくれる、ダメダメな主人公。それが悟で、概念悟の発露で。だから、悟は悟の物語でいい。上等じゃなくていいんだよ。あなたは、悟は、上等じゃなくても主人公で居続けるために私が生み出した、私の願いを押し付けて生まれた希望なんだから。「上等じゃなくても生ききるんだ」「上等じゃなくても生ききった記録を集めるんだ」「その記録から、自分は上等じゃなくても生きていける、と確信するんだ」そのための、三浦島悟。私の悟。あなたは上等じゃなくていいんだよ。私の、そのための、あなたなんだからさ。上等じゃないのに、生きる喜びに溢れている、そんな悟であってほしい。私が成り得なかった、そんな人間に。生きることを歓迎して生きてほしいよ。私の勝手で生み出した悟だからこそ。だから上等じゃない悟の物語を、私はこれからも眺め続ける。/

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