キミが想うよりもボクは…
髪の毛を乾かしてあげながらのチッチとミチカの会話。(会話というより、父親の何かを満たしたいがためのキャッチボール)
「ミチカはチッチのこと好き?」「え、うん。」「チッチもさぁ、ミチカのこと好きだけど、ミチカがチッチのことをオモウ気持ちと、チッチがミチカをオモウ気持ち、どっちが大きいと思う?」
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2人が映る洗面所の鏡の前から、時は25年ほど遡ります。
青春真っ只中のチッチ。カラオケボックスが全盛期。音楽が好きで、歌うことが大好きだったチッチは、余暇時間のほとんどをマイクを握る時間に費やしていました。歌謡曲の中で恋だ愛だの歌を好き好んで歌っていたから、久保田がチャゲアスがドリカムが必然的にセトリに。
そういう時代の歌って、いろいろなことと被って忘れられない。だから今でも機会があれば歌います。その中の一曲がチャゲアスの“LOVE SONG”。「トゥントゥンタンタン、トゥントゥンタンタン、トゥントゥンタンタン、トゥントゥンタンタン♪」のイントロが聞こえてくると、瞬時にあの頃の気持ちや匂いや、色や感覚に自分が回帰するのです。
(書いている、この時にも…。執筆しなきゃ!)
で、この曲のサビにこんな歌詞があるのです。
「キミガオモウヨリモ、ボクハキミガスキ」
青春時代、チッチの殺し文句。
「この曲のキミガオモウヨリモって歌詞の“オモウ”って部分、歌詞カード(昔はCDに添付されてたんですよ)に“思う”って書いてあるけど、俺は、“想う”だと思うんだよね〜(これって、作者の“想い”をねじ曲げてる!)」
「で、俺は君が思ってるより、君が好きなんじゃなくって〜、君が想ってくれてるより、より何倍も…」
セリフを全部書こうと腹をくくったつもりでしたが、守りに入ってしまいました。やはりビビリ。
当然、これを言われた相手は戸惑い、「え?何をおっしゃっているのですか?意味がわかりません!」と、至極当然な反応をなさいます。皆さんご想像通り、相手に使ったことはもちろんですが、熱い思いを共有したいと思った時に、仲間にもチームにも使い続けてきました、このセリフ。
もちろん、このセリフによってコトがポジティブな方向に進んだことはありません。(ネタとして話す時には、盛り上がりますがね!)
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で、時は戻って鏡の前の2人に。
ミチカ「う〜ん、チッチだと思うよ!」
チッチ「えっ!!!!、チッチなの?」(この後のセリフを失う私。)
「だって、チッチは自分の気持ちの大きさはわかるけど、ワタシの気持ちの大きさはわからないでしょう?だったら、チッチがわかるチッチの気持ちの方が大きいんじゃない?」
ミチカのこの返しには、言われたわけではないけれど、きっと続きがありました。
「チッチにミチカの気持ちの大きさがわかるの?それって比べることができるの?(だったら、チッチが大きいで良いです、はい。)」。はい、この25年の間に“くだん”の目にあわされた全てのみんなの声を代弁してくれました。8才のキミが。
相手の想い(気持ち)を決めつけてかかることは、スタートの時点でコミュニケーションを破綻させる危険を背負ってしまうことになります。くだんの私は、①相手の気持ちを決めてかかった、②マウントを取った、③自分だけしか通じない言語で伝えた、④コミュニケーションのゴールが自分の気持ちよさだった。ということで、コミュニケーションのルールを少なくとも4つもおかしていました。
頭の中でLOVE SONGが虚しく流れているチッチを鏡ごしに、ミチカはいつも通り「ねぇ、あと何分(でドライヤー終わるの)?」と君の都合100%で問いかけるのでした。
まったく、コミュニケーションって!!!!